第4話
八月の半ば。
大学は夏季長期休暇中…いわゆる、夏休み。
二年生の私と良雪は、比較的時間に余裕がある時期。でも、学校がないので…毎日会える機会は、減っている。…会えない時間が、愛おしさを、募らせる。
わたしは今、ファミレスにきている。ここは、良雪がアルバイトをしている、イタリアンのお店。ドリンクバー付きのランチが、お安いのよね。
午前中、図書館でひとしきりお気に入りの本を読んだわたしは、ふと…空腹に気が付いて。良雪の顔を見たいと思って…、一人、この場所にやってきた。
…今日の夜、会う約束をしているのだけれども。たまには、驚かせてあげたいっていうか、驚いたことを…覚えていたというか。
良雪は、わたしの来店に気が付くと、一瞬ビックリしたような表情になって、にっこり笑った。
こちらに向かってきたウエイトレスの女の子を追い抜いて、スマートに席に案内をして、注文を取ってくれるのがおかしくて…、笑ってしまう。
かつての自分の懸命に働いている姿は…ひいき目なのかもしれないけれど、とてもかっこいいと、思う。つい、目で追ってしまうのは、良雪だった頃の嬉しい記憶を…再確認しているのかもしれない。
「お待たせしました、本日の日替わりランチです。……充、今晩迎えに行くからね」
良雪が私の注文した鶏肉のオーブン焼きを持ってきた。少し酸味のあるソースのにおいが、食欲をそそる。
丁寧にテーブルの上に並べられていくお皿に、気遣いが感じられる。こんなに自分は充にいいところを見せようと頑張っていたのだなと…感心してしまう。
……ランチのスープは、自分でセルフサービスになっているはずなんだけれど。…良雪がサービスしちゃう気持ちは理解できるけれど。…うれしいけれど、ほかのお客さんが見たら…ちょっとまずいと思うのよ?
「うん、わかった。ありがとう、スープ」
「いえいえ、ごゆっくり、どうぞ?」
良雪はいつも以上にてきぱきと仕事をこなしている。
充が見ている…、その事実が、テンションをあげ、行動の精度をあげているのだ。
いつも以上にいい笑顔で接客をし、いつも以上に爽やかに注文を取り。……充の恩恵が、凄まじい。わたしが言うのも、少しおかしな話なんだけれど。
良雪が、いつも以上にはりきって働いているのには、他にも理由がある。
今日、夕方から、地元の大きな公園で…花火大会が開かれる。そこに充と一緒に行くことになっているので、やる気がみなぎっているのよね。
3000発の花火が二時間にわたって夜空を彩る、一大イベント。出店が立ち並び、地元民だけにとどまらず県外からも足を運ぶ人は、多い。子供、大人、グループ、個人、夫婦、家族、カップル…、色んな世代の人々が、共に花火を見上げて幸せそうに笑う、夏の風物詩。
会場となる公園は、大学から歩いて一時間ほどの場所にある。わたしの一人暮らしのハイツからは、歩いて30分ほどの距離。
大学の屋上からきれいな花火が見えるので、毎年学生たちが昼ぐらいから集まってお祭り騒ぎをするのだけれど、今年は学生課が屋上開放をやめてしまった。去年不届きものが酒を持ち込んで、騒ぎを起こしたせいなんだけど。
……わたしはスープを飲みつつ、花火大会を、模索する。
この花火大会で。
良雪と充にとって、最大級のイベントが、起きる。
………。
バルサミコソースの香る、唐揚げをぱくりと頬張る。
皮のパリパリ感と、ソースの酸味、甘みが絶妙においしい。
これで1000円でおつりがくるなんて、最近のファミレスって本当に、すごい。
………。
顔が、赤くなる。
ダメだ、ほかのことを考えないと、テレが、入ってしまう。
そう。
今日。
わたしは…、良雪と、キスを交わす、の、である。
付き合い始めて、二ヶ月。
今日は、良雪の誕生日。
……プレゼントは用意してある。おそろいの、キーケース。
ここに、わたしの部屋の合鍵と、良雪の部屋の合鍵が、収まる。今はまだ、わたしの部屋の合鍵しか入っていないけれど。
今日から、一気に、私たちの距離が、近くなる。
そんな、この上なく、ターニングポイントとなる、一日。
もともと、朝から良雪はテンションがとても高い。
良雪は、わたしに誕生日プレゼントが、渡せなかった。初めて声をかけた日、わたしはすでに誕生日を迎えていたから。誕生日プレゼントを渡すには、あと一年待たなければならない。先に、プレゼントをもらってしまう、うれしさと、申し訳なさ。そういうものが、今、良雪を包んでいる。
付き合って……二ヶ月。
良雪の記憶に引きずられているのは、認める。けれども、わたしは、確実に良雪のことが、好きなんだと、思い知らされる。
いつも、目で追ってしまう。人混みの中で、その姿を探してしまう。見つめる目を、見つめ返してしまう。
……返ってくる言葉がどういうものであるかを知っているというのに、その言葉を、待っている。
セリフを暗記している演劇のようなものなのかも、知れない。
心を震わせるセリフを、自分に向けてもらえる喜び?かつて自分が愛する人に向かって伝えたセリフを、自らが受け止める。そして、幸せを…かみしめる。
…盛大な、自慰行為。
そこに、愛はあるのかと、自問する。
愛はあるのだと…、わたしは答を出している。
良雪を思う、わたしの気持ち。
こんなにも……、胸が高鳴るもの。
こんなにも……、切なく思えるもの。
わたしへの愛を、真正面からぶつけてくる、良雪が、眩しくて仕方がないもの。
……むしろ。
私がかつて良雪であった事実が、わたしを卑屈にしている。
私が愛していた事実が、充の心を、阻害する。
良雪のことを好きだという気持ちを、自分の気持ちではないと、勘違いさせる。
このところ、自分の気持ちの整理が、つかない。
……わたしはただ、良雪に、笑顔を見せたいと、願っているというのに。
食事を終え、テーブルの上で丸まっている伝票を取り、図書館で借りた本を抱えてレジに向かう。何も知らない、テンションの高い良雪が、会計をしてくれる。
「ありがとうございます!…あとでね!」
にっこり微笑む、良雪。…唇に目が行ってしまうのは、仕方がない、事だと思う…。
大学から少し離れたところにある、小さな公園横のハイツにわたしは住んでいる。
大学は実家から通えない距離ではないのだけれど…、進学を決めた時に一人暮らしを選択した。ためたお年玉と高校時代のアルバイト代をつぎ込んでまで決行したのは、家族と暮らしていると…、思いがけず知ってしまう事があるから。一緒に暮らしていなければ、知らずに済むことというのは…あるのよ。
部屋は、三階建ての、三階部分にある。エレベーターはないけれど、そこは若さで乗り越えている。
物の少ない、ワンルーム。パソコンデスクに、ドレッサー、ローテーブルと、ベッド。知識は、私の中にあるから、あまりものに執着しないという、背景がある。
わたしが、唯一、執着しているものがあるとするならば。おそらくそれは、本。…本は、何度も読み返すものだから。物語を知っていても、何度も結末までの文字を追いたくなる、そういう楽しみ方を、している。
現在の時刻は、三時。良雪が来るのは、五時半過ぎ。
ローテーブルの上にラッピング済みのプレゼントを置いて、お出かけ用の服をどれにしようかとクローゼットを開ける。
着替えてしまおうか…、まだ早いかな…。
……お出かけ用の、服?
あの時、充は、何を着ていただろうか。
…初めて唇を合わせた時、充は浴衣を着ていた。
私は、浴衣を、持って…いない。
持っていないものを、どうやって、着ていく?!
ドクン、ドクン、ドクン…
心臓の音が、大きく、聞こえる。
もしかしたら。
ドクン、ドクン、ドクン…
私の知らない、世界が、存在するのでは?
私が、浴衣を着ない世界がこれから展開されるのであれば。
ドクン、ドクン、ドクン…
アカシックレコードに載っていない世界が!!!
―――ピンポーン
心臓が、止まりそうになった。…私が心臓を止めるのは、まだ先のはず。
玄関を、開けると。
「充!!今日花火行くって言ってたでしょ!!イイもの持ってきたよ!」
ニコニコした母が、そこにいた。
…ああ、これは。あの日、充が着ていた、浴衣だ。
これを、着なければ、未来は、変わる?
「わたしいらないよ!持って帰って!」
「ダメダメ!!おばあちゃんの浴衣だもん。着せて写真撮ってくるって約束したの。お邪魔するよ!」
母は、強引すぎるのが玉に瑕なんだ…。
でも、私が命を終える間際、泣き崩れていたのを、私は知っているから。無下には、できない…。
逆らえない、流れが。
私を、包んでいく……。
あっという間に、わたしは浴衣姿になった。
……久しぶりの着付け。前に着たのは、中学一年の時かな。ずいぶん丈が短くて、もう浴衣を着ることはないと思っていたのだけど。……丁寧に、丈が…直してある。
「おばあちゃんのだけど、やっぱり若い子が着ると映えるねえ!ぼんやりした藍色に、赤い帯が映えること映えること!!これはいいわ!!あんた絶対このまま花火行きなよ?」
母は、何枚も…写真を撮っている。きっと、おばあちゃんのみならず、いろんな人に見せてまわる気なのだろう。
おばあちゃんは今、特養にいるので、なかなか会いに行くことができない。
今のうちに、会っておかないといけないのに、いろんな記憶が、わたしの足を止まらせている。懐かしい記憶を思い出すと、ふいにアカシックレコードが開いてしまうから。
…おばあちゃんは、少し変わった人生を送ってきたから、あまりのぞきたくないというのが、真相だったりする。…家族だし、見て見ぬふりを、しなければ、いけないとは思うのだけれど。
時刻は、四時半。
もう少ししたら、良雪が来る。
良雪が来る前に、この浴衣を脱げば、アカシックレコードに無い歴史が、開くかもしれない。
――――――充の運命を、変えることが、できる可能性。
今まで漠然と良雪だった頃の記憶をなぞっていた私。
それを、変えることができる可能性に、今頃気が付いた。
もし、変えることができるのであれば。
良雪と…、共に生きてゆける運命を手にすることができるのでは?!
ドクン、ドクン、ドクン…
心臓の音が、うるさくて、胸が痛い。
可能性を知ったわたしは、焦っていた。早く、この浴衣を、脱がなければ!!
「着ていくから!ごめんね、彼氏が迎えに来るの。また家帰るから。お願い、帰って?」
「ああ、良雪くん?挨拶まだしたことないんだけど…。あら、もう四時半。おじいちゃん間に合わないわ、やっぱ帰る、じゃあね!」
週に二回、ショートステイを利用しているおじいちゃんは、わりと元気なのだけど…食事介助の関係で七時には家にいないと大変なことになる。弟がいるけど、ちょっと頼りないので母が頑張るしか、ない。父は今日は夜勤だし。
ブーン♪ブーン♪
騒がしく帰っていった母を見送り、浴衣を脱ごうとしたら、スマホが鳴った。
発信者は…圭佑?
なんであいつから電話が?
どうしてもとしつこく言われて、断り切れずに連絡先を交換してしまった事が悔やまれる。
出ないでおこうと決めたのに、何度もスマホが鳴る。
…うるさくてかなわない。仕方がないので、出る。
〈ああ、充くん?今いいかな?〉
「ごめんね、忙しいから、もう切るよ」
〈ちょっと待って!今日さ、良雪の誕生日だろ?みんなで集まってパーティー開くんだけどさ!〉
「わたしは聞いてないよ、もう切るね」
〈困るよ、みんな集まってるのに、今すぐ良雪連れてきて!〉
そんな話は、聞いていない。そもそも、良雪が誕生日に圭佑と遊んだ記憶はない。
この前、圭佑の記憶が流れた時、こんな記憶…あったかな?
…圭佑の記憶をサラッと流してしまったわたしには、この記憶が思い浮かばない。
アカシックレコードの記録は私の中に流れるけれど、わたし自身には普通の記憶力しかないので…、こういう事態が、たびたび、おこる。アカシックレコードを持っていても、常に開いていなければ、常に意識を向けていなければ、記憶はふわりと昇華してしまう。
さらに、良雪の記憶も重なってくるので…たまに混乱もする。すべての情報があるからと言って、自分自身に知力が備わっていなければ…使いこなすことは難しいのよね……。
「良雪はいかないと思うよ、行くって言ってたの?」
〈言ってないけど、みんな集まってる、早く連れてきて!〉
言ってることが無茶苦茶だ…。何を言っても、無駄なパターンに違いない。
「無理だよ、急いでるから、切るね。」
〈あ!!ちょっと!!!〉
ぶつりと、スマホの通話を切った。
ブーン♪ブーン♪
またスマホが着信を知らせる。すぐさま、着信を拒否する。
着信拒否にする暇を与えないスピードで、着信がある。
ラインが入る。どんどん入る。
スマホと格闘を続けるわたしの耳に。
―――ピンポーン
良雪の、来訪を告げる音が聞こえた。
……わたしは、運命を変えることが、できるだろうか。