第1話
人は、すべての記憶をなくして生まれてくる。
自分の人生を送るために、終えた人生の記憶は必要がないからだ。
それが、人の、摂理。
記憶を持たずに生まれてくる人が、唯一もって生まれてくるもの。
それは、人生の、目標。
終えた人生を振り返り、次の新しい人生で何をしたいか決めて、生まれてくる。
……自我というものが、芽生え始めるのは、いつ頃のことだろうか。
自分には…、今でも覚えている場面がある。
あれは……、春。
母親と、祖母が、赤い布の敷かれた、椅子の上に腰かけていて。
自分は、その前に、立っていて。
祖母に手を伸ばし、届かずに……、顔面から、転んで。
その画面が、おそらくわたしの、最初の記憶。
どこに行ったのかは、わからない。
他に誰がいたのかも、わからない。
しかし、わたしが覚えている中で、一番、古い、記憶。
小学生の頃、ふとしたきっかけで…、その場面を思い出した。
あれはいつだったのかなと、思った刹那。
アカシックレコードが、ひらいたのだ。
自分の中で、アカシックレコードの記録がひらかれたのは、その時が…初めてだった。
……ごく普通の、子供だった、私。
普通に過ごしていた日々は、その日を境に、……変わってしまった。
……アカシックレコードがひらいた日。
私は……、世界を知りたいと、思ってしまったのだ。
世界の真相が、自分の中に広がった。
……世界の仕組み。
この世界は、私が作っているという事実。
この世界の、すべての命は、私。
私は、何度も生まれて、今、ここにいる存在。
この地球上の生命は、すべて私である。
たった一人で、私はこの地球を、作り上げている。
何度も生まれて、何度も死んでいる。
私の親は、自分。
私の友は、自分。
私の知らない誰かは、自分。
私が今見つめている、塀の上でまどろんでいる猫は、自分。
私が今見つめている、花の散った桜の木は、自分。
見えないけれど、地面を這うアリですら、自分。
生まれ、死ぬものは、すべて私であるという……真実。
アカシックレコードとは、この世界の、全ての記録。
書物のような、データのような、…曖昧ではあるけれど、確かな、記録。
誰かの記憶は、私の記録。
誰かの記録が、わたしの中に広がる。
アカシックレコードは、ふいにひらかれる。
知りたいと思うことがきっかけとなって、開いてしまう。
意識をアカシックレコードにもっていった瞬間、記録が開いて…、全てが、流れる。
知りたいと思った事だけでなく、知りたくなかったことまで…知ってしまう。
余計な事を知ってしまったせいで、大きく印象が変わってしまう事もある。
思春期を迎える頃の私は…、感情のコントロールを、見失いがちだった。
気持ちを抑えきれず。
気持ちをごまかしきれず。
気持ちの切り替えができず。
知りたくない記憶が、私を蝕んだ。
私の親が、かつて私を処刑した残忍な男だった。
私の親が、かつて私を食した、カバだった。
私の縁者が、こんな事をしてきた。
私の縁者が、こんな事をしたせいで。
私の知人が、こんな事を思って。
私の知人が、こんな事を誓って。
私の親が。
私の家族が。
気が、狂いそうだった。
気が、狂ってしまったのかも、知れない。
親は、私だ。
他人は、私だ。
私は、私だ。
私が何を思い、何をなしたのか。
私が何を悔やみ、何を残したのか。
私が何を思い、死んで。
私が何をしたいと願って、生まれてきたのか。
頭に中に、次々と思い浮かぶ、情景が。
想いが。
願いが。
怒りが。
悲しみが。
悩み、藻掻き、苦しみ、諦め、その果てに……わたしは、感情をコントロールする技術を備えた。
興味を持たないこと。
気にしないこと。
予想して避けること。
関わらないこと。
ごく普通の人として、生きていくこと。
私は、露木充という一人の女性の人生を、初めて生きる。
私の決めた人生の目標、それは、自分と出会って、恋をするという事。
……この世に生きる人は、すべて自分だ。
誰を選んで、恋に落ちてもいいはず。
……けれど。
私が、自分の目標を決めた時。
私は、自分と、恋をすると、決めた。
あの時、私は。
良雪だった。
良雪の記憶をはがすことを拒んだ私は、アカシックレコードに、手を伸ばした。
良雪が、深い悲しみに包まれ、孤独な人生を終えた事実。
良雪には、愛する人がいて。
良雪は、愛する人をなくし。
愛する人を忘れることができぬまま。
悲しみを手放すこともできないまま。
ずっと悔やんで……人生を、終えた。
良雪の愛した女性。
それが、露木充。
露木充は、良雪の来世の姿だった。
露木充の前世は、良雪だった。
生まれ変わりに、時間は無関係だ。
時間は、今を生きるものの指針でしかない。
私の中には、良雪のすべてがある。
良雪の生きてきた記憶がある。
まだ、わたしは、人生を終えていないのに。
これから先に起こる…出来事を、知っている。
……今なら、わかることが、ある。
なぜ、あれほどまでに、充が愁いを帯びていたのか。
なぜ、充が、頑なに良雪に向かって「好きだ」と言わなかったのか。
充は、良雪の前で、24歳になったある日、命を終える。
……別れを、知っていたのだ。
別れを知っていたから、充は日々…、愁いを帯びていたのだ。
別れてしまう事を知っていたから、充は…「好き」という言葉を口にしなかったのだ。