第13話
今頃、良雪は、節操なしにナンパをしている圭佑の横で…イライラしながらトロピカルジュースを飲んでいるはず。
化粧の濃い女子に腕を取られそうになって、それをさりげなくスルーするためにスマホを取り出して…わたしのメッセージに気が付く、頃。
先に帰ると告げた良雪に、圭佑がいろいろと…アドバイスをしている頃。
隣でニコニコしている舘岡さんが、ベンチから立ち上がろうと体を浮かせた。
わたしは、その手を取って…、お願いをする。
「舘岡さん…あのね、もう少しだけ、一緒にいてもらってもいいですか?もう直に、良雪が来るの。その時、あなたを…あなたがわたしの横にいるところを良雪に見せたくて」
今から、わたしは。
良雪から、心ない一言を告げられることになる。
良雪の苛立ちを真正面から受け止めた充は、涙ひとつこぼさずに…そのまま冷静に言葉を返し。そしてわたしたちの関係は、お互いに苛立ちをぶつけあう関係へと変わってしまったのだ。
苛立ちをぶつけながらも、充に対してずっと、ずっと……愛情をもらうことだけを望む、良雪の女々しい日々が今日から始まる。
……始まらせは、しない!!!
「じゃあ、良雪さんと目が合うまで、ここにいます。さすがに一大イベントのど真ん中で邪魔をするわけにはいかないですから。私の存在を確認してもらったら…心強い?」
「ええ…!私は良雪だった時、あなたを見た記憶がないもの!!記憶にない光景が目の前に広がったら、きっと、わたし…今度こそ!!運命を変えることができる…」
舘岡さんにはずいぶん…お世話になりっぱなしだ。
弱音を吐かせてもらって。
人生を変えるためのヒントをもらって。
勇気づけられて。
……きっと、これからも、私はこの人にずいぶん助けてもらう事に、なるはず。
…わたしも、何か…舘岡さんを助けることができたら、いいのだけれど。
「…わたし、あなたから、アカシックレコードを奪ってしまったのに。……ごめんなさい、何もかもあなたに…迷惑ばかりかけて」
「いいえ、あなたが奪ってくれたから、私はここにいるんです!すべては…これで、よかったんですよ」
今の状況を許している、目の前の舘岡さん。
この人は、こんなにも大きな心で…、優しく、生まれゆく私に寄り添っていたのだろう。
……管理人という、存在。
共に人生を振り返り、共に次の人生の目標を探し、新しい人生を歩む命を……見送る。
あの場所は、わたしがアカシックレコードを持っていくまで、開かれない。
わたしがあの場所にアカシックレコードを持って行ったら、また記録は再開されてゆく。
わたしが、あの場所に……、持っていく。
わたしが、持っていくのだから。
……ならば、わたしが。
「わたし…、決めた。この人生を、人として生まれる、最後の人生にする」
舘岡さんの目が、じっとわたしを見つめている。
……とても、とても、優しい目。
私がアカシックレコードを奪ったあの時でさえ、この人の目はずいぶんやさしかったことを思い出す。
わたしも…、こんなふうに、穏やかな目を向けることができるような存在になりたい。
「わたしは、これから良雪と共に生きて。人生を終えた後、管理人になる」
寄り添い、声を聞き、送り出す存在に。
「……ずいぶん、大変ですが、できますか?」
舘岡さんには、きっと、管理人の記憶が残っているんだ。
ほんの少し心配そうな表情が、それを物語っている。
「ええ。あなたもやっていたのでしょう?わたしも…やれるはず。やりたい。やると…決めたの」
必ず成すという、揺るがない、わたしの……決意。
「普通は、生まれる時に目標を決めるというのに。充さんは、〈私〉の中でも、かなり変わった考えの人なんでしょうね…」
人は皆、生まれる前に人生の目標を決める。
けれど、私は……人生を終える前に、管理者になるという目標を持った。
確かに、それはとても……変わり者といえるわね。
「ふふ…そうね!」
「応援します、フフっ!!」
わたしと舘岡さんは、共に声を出して笑った。
「…運命の動く時が来たみたいですよ」
ああ、桜の花びらが舞う、向こうから。
良雪がここに、向かっているのが…見える。
あの時、充は、一人でここに座っていた。
苛立ちながら、充を睨み付けていた自分を…思い出す。
良雪の目は、今…わたしの隣の舘岡さんを捉えている。
私の記憶が、重ならない瞬間が今、ここにある。
私の知らない記憶が、ここに、今。
「充さん!新しい人生を、共に楽しみましょうね!!」
「ええ…!ありがとう!」
立ち上がり、去って行く舘岡さんに手を振る、わたし。
良雪は今、何を思っているのだろうか。
私の知らない良雪がここにいる。
…怒りで周りを見る余裕がない?
ううん、私の知る今この瞬間、確かに充はたった一人で膝に手を置いて、思い詰めた顔をしていた。
今のわたしの顔に、悲壮感はない。
むしろ、晴れ晴れとしている、ハズ。
…ほんの少し、緊張はしているけれど。
わたしを見て、良雪は…どんな会話をするだろう?
すべてが既視感で構成される、わたしたちの会話。
口に出しながら、この話、したことあるなと、感じてしまうのに。話していて、終わりの言葉が予想できないのに。話し終わったとたんに、ああ、こういうこと言ったことがあると思ってしまう、会話。
読んだことがあるのに、結末を知っているのに、途中の文章が思い出せない、感じ。…なのに、印象深い会話は、一言一句すべてなぞることができる会話。
言葉選びを変えることができない、会話。
そんな会話を、何度も、何度も……繰り返してきた、わたし。
『…何?急に。もう帰りたいんだけど』
「…何?急に。もう帰りたいんだけど」
何一つ、変わらない、かつて自分が言った言葉。
ああ、今回も、何一つ変わっていない。
……けれど。
「少しだけ、言いたいことがあって」
『…はは、僕もね、充に言いたいことがあったんだ』
「…はは、僕もね、充に言いたいことがあったんだ」
わたしの表情は…、青ざめていた充とはまるで違うのよ!
「ずっと、言いたかったけど、言えなかったの」
うつむいて目を合わせようとしなかった充は、ここにはいない。
顔を上げて、良雪の気迫に震えて、すぐにまた目を伏せてしまった充は…どこにも存在していない。
まっすぐに、目をそらさずに、かつての自分の姿を…見つめる。
『…へえ、何を、言いたかったのかな?』
「…へえ、何を、言いたかったのかな?」
同じ会話をしていても!!
違う部分は…あるのよ!!!
「私…良雪のこと…」
ここに来る前に、圭佑にアドバイスをもらった良雪。
―――充ちゃんはさあ、いい気になってんだって!
―――お前が甘やかすからさあ~
―――思わせぶりが楽しくて仕方ないんだろ?
―――お前遊ばれてんだよ、だっせえなあ…
―――女と上下関係ができるとウザいぜ?
―――ビビらせとく必要があるんだって!
―――はっきり嫌いって言ってやれよ!!
今日、今、ここで、この瞬間に。
充に、関係性を完全に変えてしまう一言を、ぶつける。
言ったことに満足するのは、はじめのうちだけ。
口にしたことを後悔するのは、まだ先のこと。
どうして僕は。
どうしてあんなことを。
でも充だって悪い。
どうすれば良かったんだ。
どうしてこんな事に。
どうして忘れられない?
でも僕だって悩んだ。
どうすればこの苦しみから。
一生苦しんで。
一生を終えたあとも手離せなくなって。
……ああ!!
わたしに!!
私に!!
会話を!!
会話を超える、勇気を!!!
『私の存在は、そのアカシックレコードに、記録されていないのです』
そこに、活路を、見出せると。
既視感のない会話を、今。
……今!
『……充。僕は、充が、嫌いだ』
「……充。僕は、充が、嫌いだ」
『…私も、あなたが、嫌い』
「わたし」
声に出すのは…。
声に出さないといけないのは!!!
既視感のない、今の!!
わたしの気持ちをのせた、言葉!!!
「わたしは、良雪が、好き」
「え……」
……なんだ。
声に、出せるじゃない。
既視感のない、会話が。
……できたじゃないの!!!
「わたしは!!良雪が!!!大好き、なんだよぅ…!!!」
涙が、涙が……、あふれた。
ずっと、ずっと……言いたかった。
言いたくても、私の中の良雪の記憶が。
長く囚われ続けた感情の全てが邪魔をして、言えなかった、言葉。
伝えることができた、わたしの、気持ち。
ずっと、言いたかった。
今、言えた。
今、ここに、アカシックレコードに無い会話が、成立している。
ねえ、良雪は……。
良雪は、なんて、返して、くれるの?
私の知らない、良雪。
わたしの知らない、良雪の目を、じっと見つめる。
「……僕は」
「僕は…?」
「充が……」
「……充が?」
視線が、とても、痛い。
「充が!!好きだ!!」
ぎゅぅ…!!!
ああ。
…私の、知らない、展開だ。
力いっぱい、充を抱きしめた覚えは、ない。
震える手で、充のほっぺを包み込んで、のぞき込んだことは、ない。
こんな幸せな記憶は、どこにも……、ない。
わたしは。
アカシックレコードを、超えた。
記録されていない充の人生が、始まる。
記録されていない、良雪の人生が、始まる。
涙が、零れた。
涙が、溢れる。
目の前の、良雪の赤いセーターに、顔をうずめる。
私の中にある、良雪の記憶が……、泣いている。
好きだと言えた。
好きだと言ってもらえた。
わたしも、良雪に寄り添うことができる幸せを……噛みしめている。
桜吹雪が、わたしと良雪を包み込む。
…人通りの多い大学構内の、ベンチ。
派手に泣いている充を、人目を気にすることなく抱きしめている良雪。
多分、大学内でかなり…噂になると思うの。
良雪はどんな風に、みんなの言葉をかわすんだろう。
わたしはどんな風に、みんなの言葉に顔を赤くするんだろう。
アカシックレコードにない人生が、今、始まった。




