第12話
見つめ合う、わたしと女性の間を……、桜の花びらが、ふわり、ふわりと、落ちてゆく。
この…女性は、いったい???
……アカシックレコードが開かなかったことなんて、今までに一度も…なかった。
ふいに開いてしまった、ごく普通の子供だったあの日から。
幾度も、わたしの意思など関係なく…ただ開かれ続けてきた、アカシックレコード。
……アカシックレコードには、この世界の全ての出来事が記されている。
生きとし生けるものの全ての行いが、思惑が、願いが、感情が。
生まれる前に決めた、人生の目標が。
目標を決めて生まれて…、どのように生きて、何を思ったのか。
人生が終わった時に…、振り返りの場で、すべてを記録する。
アカシックレコードの記録は……起きた出来事の記録。
生まれていく際、時間の流れは関与しない。
時間は、今という瞬間を何度も重ねていくための指針でしかない。
アカシックレコードには、過去に生まれたもののことも、未来に生まれるもののことも、全てが記録されている。
……けれど。
生まれる前の出来事を知ることはできても、これから起こる出来事は知る事は、できない。
なぜならば、記録というのは起きた出来事を記したものであり…、存在していなければ確認することはできないから。
出来事はすべて…、今現在という時間に混じった瞬間に、アカシックレコードの記録として存在することが可能になるものだから。
……私は、良雪が人生を終えた時に記録をした、アカシックレコードを…奪った。
私は、良雪の記憶を持ったまま…、過去に生まれてきた。
だから……、この先に起こる出来事を…不意に知ってしまう。
良雪が人生を終えた時点で起きていた出来事の全てが、アカシックレコードに記録されているせいで…知りたいことも、知りたくないことも、知ってしまう。
今まで散々押し付けられてきた、知りたくなかった記録。
ふいに開いて、わたしを飲みこんできた、アカシックレコードの…重すぎる記録。
それが、開かないなんて。
ダメ、混乱が…。
私、わたし……。
「…辛かった?」
女性が、にっこりと、微笑む。
けれど、そのほほえみは、少し悲しそうで、眉間のしわと眉の下がり具合が作り笑顔であることを物語っている。
この人は、どうしてこんなにも……、わたしに…優しい眼差しを、向けてくれるの?
「………、……うん」
押しつぶされている……わたしの、心が。
ふいに……。
ポロリと。
あふれ、出して…。
「…つらい、辛いの」
女性を見つめる、わたしの目から……、涙が、こぼれる。
……ああ、そうだ。
私は、辛い。
私は……、辛くてたまらないの。
誰にも言えない、この悲しみを、わたしは、今。
初めて、口に、出した。
初めて、口に、出せた。
「どう、頑張っても……、変わらないの」
どうにもならない、この運命を。
初めて……言葉に、する。
絞り出すように出した言葉が、悲しみと共に…嗚咽となって。
涙と一緒に、ぼろぼろとこぼれ落ちてゆく…。
止まりそうにない涙を、女性がそっと……、ハンカチで押さえてくれた。
優しさにふれて、さらに涙が……、抑えきれない悲しみが、あふれ出す。
「…うん、うん……、そっか……」
号泣するわたしの背中を、そっと撫でる手が…とてもあたたかい。
私は…、わたしは、こんなにも、弱かったんだ。
誰にも言えなかった、言う事ができなかった苦しみを、今…。
アカシックレコードが開かない、この、不思議な人の前で。
どうして、わたし。
こんなにも…わたし。
ますます涙が……とまらない。
「…あのね、私…思うんです。変わって、いるのかも、知れませんよ?」
!!!!
「なに一つ!何一つ変わらずに!!わたしは今、ここに…いるの!!」
どう頑張っても、全く変わってくれない、運命の強引な力に…ねじ伏せられて!!!
何一つ変わらない出来事と、何一つ変わらない言葉が…忠実になぞられていくだけで!!!
……ああ、ダメ。
わたし、こんなに優しい人に対して…、こんなにも感情的になって。
「…例えば、あなたが、私にワンピースを貸してくれたこと。それは、あなたが頑張ったから、起きた出来事だとしたら?」
わたしは、何も…頑張ってなんかいない…。
ただ、流される事しか、できなくて……。
運命を変える事を、怖がって……。
「でも…わたしは、変えたいと願ったけれど、何も…変えられなかったもの……!!」
あの時、わたしは、アカシックレコードの記録のまま、私の記憶のままに、良雪とキスをして…絶望の涙を流したのよ。
「あなたの優しさが、運命を変えて…、私と、接点が、持てたと思うんです」
「……接点?」
あの時わたしは、浴衣を着続ける運命を変えるために…着替えを持っていった。…そのチャンスを、この人にワンピースを差し出すことで自ら潰してしまったけれど。
困っていたこの人に、ワンピースを差し出さなかったら……?
この人とわたしは、確かに…こうして話すことはなかった、はず。
あの日のわたしの選択が、今のこの会話につながっていると…いうの?
「私は、自由に生きると決めてきました。だから…自由に、摂理を超えようと思ったの」
自由に…生きると、決めて……?
わたしの目を、まっすぐ見つめる、この、女性、は……。
!!!!!!!!
「あなたは…!!もしかして!!」
私が充として生まれる前に…。
良雪として、孤独な人生を送った後で、生まれる時の目標を決めた、あの場所で!
私の目標を確認した、アカシックレコードの……、管理人!!
女性は、にっこり笑って……、わたしの手を取った。
優しく、握られる、冷たくなってしまった、手。
……あたたかさが伝わってくる。
「私の記憶は、すべて剥がれなかったのです。案内人としての記憶が、あまりにも多かったのかもしれません」
……優しい眼差しを向けてくれる、この人は。
「とりわけ……最後に会話を交わしたあなた。あなたに関する記憶が、残ったの」
……温かい手で、冷え切ったわたしの手を包み込んでいる、この人は。
「私に残る記憶は、良雪さんであった頃の…あなたの記録の一部と、世界の摂理…世界の事実。人の生の記憶ではない、知識」
…わたしの運命を変えるための何かを…、ヒントになるような情報を…くれるかもしれない。
「私の存在は、アカシックレコードには、記録されていないのです」
……あの時、私が。
良雪の記憶をはがすことを拒んで手を伸ばした、アカシックレコード。
わたしの中にある、この世界の全ての…記録。
「わたしが…持ち出して、しまったから……?」
管理人だった女性が、優しく……微笑む。
「あなたの持つアカシックレコードに、私の記録はありません。なぜなら、まだ、記録されていないからです。だから…、アカシックレコードが、開くことはないの」
今、アカシックレコードが…ここにあるという事は。
あの時生まれることを決めた…、この女性の記憶を記録することが、できないという事……。
「アカシックレコードは、誰かの過去の記憶。人は現在を生きるもの。あの時、言ったことを覚えていますか。今を生きるあなたには、荷が重いといいました。…重かったでしょう?大変でしたね」
重い、重すぎる、世界の記録。
誰かの記憶。
自分の悪意につぶされそうになって。
心を痛めて。
悲しみを呼んで。
かつての自分である事実に、打ちのめされて。
…あの時手を伸ばしたことを、どれほど私は…後悔しただろう。
「けれど、あなたは今、アカシックレコードを手放すことができません。あの場所に、戻さなければならないからです。時間の流れないあの空間は、アカシックレコードと共にある場所。持ち出したものが、あの場所を開くことになるのです」
わたしがあの場所にアカシックレコードを戻さなければ、記録がされることはおろか、場所が開くことさえ、ないと、いう、事……。
だから、この管理人だった女性の記録がなくて。
記録が無いから、分からなくて。
それは、とてつもなく自由で……。
今のわたしにとって、とても羨ましい、存在で…。
……自由な存在が、運命に雁字搦めになっている…わたしの、目の前に、いる。
「あなたは、孤独を…共に乗り越えると決めて、ここへ生まれてきましたね?」
そう……、そうよ、私は。
良雪とともに、孤独に人生を終えた過去を乗り越えるために、生まれて来たの…。
………。
わたしは、良雪の思う相手が、目の前で死んでしまうことを、知ってる…。
わたしが死んでしまえば、良雪はまた孤独になるのだと、諦めていた…。
必ずやってくる、良雪の深い悲しみを、どうやって共に乗り越えたらいいのか、わからなかった……。
「ええ……。でも、うまくいかなくて、どうしようもなくて…、何も変える事ができずに、今日まで、生きてきてしまったの……」
確かに…アカシックレコードは、今を生きる者には、必要のないモノだった。
アカシックレコードがあったから、わたしは何度も、何度も…記録に振り回された。
「…わたしがあの場所にもっていかなければならない事…教えてくれて、ありがとう」
アカシックレコードを奪った私が、気付けなかった…摂理。
すべてを知っていても、知りたいと思うきっかけがなければ…、知ることはできないという事。
すべての記録が記されたアカシックレコードを持っていても、今のわたしには知らないことが……たくさんあるという事。
管理人さんが教えてくれたことで、私の中に、一筋の光が、射した。
「あの場所に行くまで、わたしは充でいなければならない。けれど……、わたしは良雪の知る充でいなければならないことはないって……わかった」
わたしには、どこか…仕方がないと諦める気持ちがあった。
流されなければならないのだと、思い込んでいた。
一生懸命…運命に抗うという流れに、乗っていた。
それは…、まるで。
悲劇のヒロインになって、その状況に浸っているだけの、ただの、役者。
露木充という一人の人間の人生を、良雪という人間の人生に丸投げしているだけの…ただの、傍観者。
自分の人生を、自分の選択で生きようとしない…ただの、心を持たない人形。
「わたしは、あの場所に行って、わたしの記憶を…あの場所で、記録する……!!!」
私の持つアカシックレコードに記録されていない存在が…ここにいるのであれば!!
まだ記録されていない出来事が…今、ここで起きてもいいはず!!!
わたしが、良雪の知る充の運命を…、そのまま記録しなければいけない法則なんて、どこにもない!!!
「少し、意地悪なことを、言ってもいいですか?…例えば、私が…良雪さんと寄り添う事もできるかもしれませんよね。あなたは…それを望みますか?それとも、アカシックレコードを乗り越えようと…もがきますか?運命に、手を伸ばすことが…できそうですか?」
いつの間にか、涙は…止まっている。
…それはきっと、私が。
……運命を変える覚悟が、できたから。
「わたしは!!良雪と、恋をする!!恋を、愛に変えてみせる!!私が生きた良雪の孤独な運命を、わたしの意志で、変える!!!充の運命は…私自身が、今から手を伸ばして…、必ず手に入れる!」
わたしの中の…、あきらめていた気持ちが、スッと、晴れていくのを感じた。
わたしは変わる。
わたしは変えることができる。
予感がわたしを包み込む……。
「ありがとう……わたしに声をかけてくれて。あなたの…おかげで、わたし、変わることができる」
わたしは初めて、笑顔を…管理人だった女性に向けることができた。
女性も、わたしに笑顔を返してくれている。
「あなたの優しさがあったから、私は声をかけようと思ったんですよ!…また、声をかけても、良いですか?」
「もちろん!よろしくお願いしますね、管理人さん!」
管理人だった女性は、目を丸くしている。
肩までの短い髪が、風になびいて……ふわりふわりと揺れている。
「私、今は管理人はやってませんよ?!舘岡ななみです!!ここの、文学部の一年なんです!!!」
今度は、わたしが目を丸くして…舘岡さんと見つめ合って。
……二人で、そろって。
「「ふふ…あはは…!!」」
声を出して、一緒に笑い合うことが、できた。
こんなにも、声を出して笑うのは……ずいぶんぶり。
テンションが上がった、上がりきった…わたしは。
今から、運命を変えるために。
スマホを……手に、取った。
わたしと良雪の運命が、間もなく……、変わる。




