第11話
四月。
大学構内には、桜の花びらが舞い散っている。
本校舎から体育館に行く道にはたくさんの桜の木が植えられていて、その華やかさに浮かれる学生がたくさんいる。どことなく落ち着かない新入生たちのテンションをあげてくれる、貴重な桜並木という、存在。
…けれど、わたしのテンションは、下がる一方で。
「良雪、もう履修登録は終わったの?」
「うん…、いよいよ専門分野に入るから…ちょっと頑張ってみようって思って。…いっぱいに埋めたんだ」
良雪が授業の履修をたくさん埋め込んだのは…充との時間を減らす目的があるという事を、私は知っている。
やることがあれば、充と一緒にいない時間を増やすことができると…、充と一緒にいる時間を減らしたいと…、願い始めたのよ。…願い始めて、しまったのよ。
久しぶりに…、桜の木の下で一緒にお昼ご飯を食べている、わたしと良雪。
少し険悪な空気が漂ってはいるけれど、それは決して…嫌いになったせいでは、ない。
お互い好きであるからこそ、ぎこちなくなってしまっている、ただ…それだけ。
こんなに好きなのにどうしてわかってくれないんだというもどかしさは…、私が感じたものなのか、今、わたしが感じているものなのか。
一緒にいたい気持ちと居た堪れない気持ち、一緒にいていいのかと疑う気持ちと好きという気持ち、いろんな感情が…グルグルと渦を巻く。
今日は午前中で新学期ガイダンスが終わり、午後からはサークルなどの活動が中心となる。
わたしも良雪もサークルには入っていないので、このあとお花見に行くことになっているのだけれど。…行きたいと、願っているのだけれど。
「充、どこの桜見に行こうか?…出店が多いところがいいよね」
「うん…」
このあとの展開を知る私は、どうしても…、テンションが上がらない。
今日、わたしと、良雪の関係性が…大きく変わる。
良雪は…充に絶望し。
充を、憎むようになり。
充は、良雪を見るたびに…悲しい顔をするようになる。
充への激しい怒り。
充に対する憎しみ。
充に裏切られたという絶望。
充が死んだ後も手離すことのできなかった感情が……わたしを苛む。
良雪は、おかしな空気を少しでも良くしようとがんばっているけれど、充のテンションが低くて機嫌が悪くなっている。
……テンションを上げたいと願うのに、上がらない、上げることができない、わたし。
ああ…、良雪だった時に感じた、イライラした気持ちが…私の、中に。
―――なんで充はこんなに不機嫌なんだ
―――久しぶりに充の弁当を食べることができてうれしい僕の気持ちなんか…気にしないってことか
―――こんなに僕が気を使っているのに、充は勝手だな
わたしのテンションが上がってこない理由は、他にもある。
それは…、ホワイトデーの、クッキーの一件。
あの日、確かに運命が変わることを願って、一石を投じたはずなのに。
今、わたしは…なにも、変わらない道筋を辿っているから。
あのクッキーは…、何も、変えてくれなかった。
変えたいと願うのに変えられない、その事実が…重くのしかかる。
なんで、どうして、あのメッセージを見ても、良雪は何も言ってくれないの…?
『チョコケーキ美味しかった、ありがとう』
わたしのチョコケーキは、確かに食べてもらえたようなのだけれど。
良雪は……、私の記憶に残る言葉を伝えてくれただけだった。
勇気を出してクッキープレートに書いたメッセージは、結局…何も変えてはくれなかった。
【何も変わらなかった】、その事実が…、さらにわたしの表情を曇らせて、良雪の機嫌を損ね始めている。
せっかくチョコケーキで上がった良雪のテンションが、どんどん、どんどん…下がっていく。
―――どうして充はこんなにも不機嫌なんだろう
―――どうして充は僕に好きだと言ってこないんだろう
―――どうして充はこんな状態なのに僕と一緒にいるんだろう
良雪の不満が、私の中に容赦なく再生される。
…悪循環が、わたしを蝕む。
「よう!花見かー?!」
「圭佑!…今から行くつもりで、計画してたところさ」
圭佑が、きた。
…今から、わたしは、良雪と。
イヤ、絶対に、嫌だ!!
わたしは、良雪と…、良雪を…、良雪に……!!!
「いやあ~充ちゃん、お菓子作り美味いんだね。この前のホワイトデー、美味しいモノありがとね!!」
わたしは…、圭佑に美味しいモノなどあげていない。
「…充、圭佑になにかあげたの?」
―――なんで?僕はなにももらってないけど
―――なんで…僕にくれないものを圭佑に?
―――なんで、なんでそういうことするんだよ!!
ああ、良雪の怒りが……。
自分がかつて感じた怒りは、こんなにも漏れ出して、充に…圧迫感を与えていたんだ。
「あげてないよ?!」
おかしなことを言い出した圭佑を放っておき、すぐさま返事をする。
怒りがあふれ出して、まとわりついて…、わたしを見ようともしない、良雪。
「この前さ、良雪んち行った時にもらったんだよ。うまかったー!ごちそうさま!手作りって、いいねえ!!」
―――僕だけじゃなかったのか?!充の手作りを食べられるのは!!
―――いつ圭佑と二人で会っていたんだ?!
―――僕のいない所で…会っていたという事なのか!!
かつて自分の中で燃え盛った、嫉妬の炎が!!
充に対して激しい怒りを持った瞬間の、煮えたぎるような感情が!!
「わたしが作ったのは、良雪にあげたケーキだけだよ?!」
「だーかーらー!それをもらったって言ってんのwwwちょっと甘ったるかったけど、素人が作るレベルとしては上出来だったし!!」
良雪だった時、私は何を思った?!
今、わたしは何を言えばいい?!
……ダメ、怒りが大きくて、何を充が言っていたのか全然思い出せない。
謎が……解けていく。
良雪は…、怒りに囚われてしまって、この会話を…私と圭佑のやり取りを聞いていない。
だから勝手に勘違いをして、思い込んで!!
今、良雪に聞かせるために圭佑に向かって話をしているのに、それすらも仲睦まじく会話しているように感じてしまって!!
ダメ、混乱が…、冷たい目をしている良雪に言葉を告げることを躊躇させている!
でも、言わないと!言わないと良雪は勝手に思い込んで、充に対して不信感を持ったまま…!!
「どうして…勝手に、食べたの…?あれは、良雪のために作ったケーキなんだよ?!」
がんばって、絞り出すように、言葉をつなぐ。冷たい…良雪の目を見ながら。
けれど、良雪の目は、虚ろで…どこを見ているのか、自分ですら、わからない。
「良雪のために焼いて、クッキーにメッセージを書いて……」
「ごめん!そのクッキーのことね!俺なんも見ないで食っちゃったわ!!いやー、うまかった!!充ちゃん、クッキー屋さんでもやれば?」
……食べた?
あの日、メッセージを入れた、クッキー。
願いを込めて、運命を託した、たった一枚の…クッキーを。
良雪は……あのメッセージを、見ることなく。
圭佑が、食べていた……。
……圭佑に、運命を変えるクッキーを、食べられていた!!
わたしのショックは、大きい。
運命を、踏みにじられた…!!!
目の前の、圭佑に!!
ああ、アカシックレコードが!!
開く…!!
…あの日圭佑は。
アパートの前で、良雪を待っていて。最近うまくいっていない良雪をさらにうまくいかないようにしてやろうと目論んで。ホワイトデーを邪魔しようと…考えた。
部屋に入って、机の上のケーキを見つけた圭佑は、靴を脱ぎ散らかして一目散にケーキに駆け寄って…メッセージ入りのクッキーを素早く食べて、靴を片付ける玄関の良雪に声をかけた。
—――おーい!うまそうなケーキがおいてあるぞ!!食っていい?!
クッキーなど、はじめからなかったようにふるまって。
―――クッキーに書いてあったメッセージなんか俺は知らないね
―――まあ、読んでやったけどさwww
―――クッキーなんて食うもんだろう?
―――つまんねえ演出してるぜ。
―――めんどくせえ女。
圭佑の悪意に…、飲まれる。
私の運命は、どうしても変えられない。
わたしの運命は、どうしても変えられない。
私の運命は、どうしても変えられない。
わたしの運命は、どうしても変えられない。
私の運命は、どうしても変えられない。
わたしの運命は、どうしても変えられない。
私の運命は、どうしても変えられない。
わたしの運命は、どうしても変えられない。
私の知る、前世で見た充も、クッキーを乗せていたのではないのか。
ただ、良雪が知らなかっただけで。
私の運命は、どうしても変えられない。
わたしの運命は、どうしても変えられない。
私の運命は、どうしても変えられない。
わたしの運命は、どうしても変えられない。
私の運命は、どうしても変えられない。
わたしの運命は、どうしても変えられない。
私の運命は、どうしても変えられない。
わたしを包み込む、絶望。
わたしを包み込む、やるせなさ。
わたしを包み込む、悲しみ。
わたしを包み込む、怒り。
わたしを包み込む、諦め。
わたしを包み込む、無力感。
冷たい目をしてわたしを見ているであろう良雪の顔を…、見ることが、できない。
―――言い訳もしないんだ
―――結局僕なんて充にとっては圭佑と同じレベルの友達?
―――はは、バカみたいだ
―――僕だけが好きで
―――僕だけが結局一生懸命で
―――充が……憎い
あんなにも、私は良雪と寄り添うことを誓って生まれてきたというのに!
私の誓いが、運命に押し流されていく。
孤独に人生を終えた自分だからこそ、まだ孤独になっていない良雪に寄り添うことができるはずと信じて生まれて来たはずなのに。
良雪に言葉を伝えることが…どうしても、できない。
たったひとこと、『わたしは貴方が一番好き』と言いたいだけなのに!!
運命に流されるしかない自分に絶望している。
運命に流されるしかない良雪に絶望している。
良雪の人生の記録が載っているアカシックレコードが…今の自分を押しつぶす。
まだ存在していない未来が、アカシックレコードに残る《孤独に生きた自分の記録》で塗りつぶされていく。
運命の重さに、つぶされていく……!!!
「充、調子悪そうだね。今日は家に帰って休みなよ。…しばらく、連絡しないからさ、ゆっくり休んで」
「充ちゃーん!無理ばっかしてるから―!ま、良雪は俺が花見に連れてってやるからさ!俺バイクで来てんだ、後ろ乗ってけよ!」
何も言えず、ベンチで俯く私をちらりとみて、良雪は圭佑と一緒に…花見に行ってしまった。
行って、しまった。
良雪の知らない、充の時間が始まる。
良雪が置き去りにした充は、何を……思ったのか。
今から、わたしは…身をもって、それを知る事となる。
―――どうせ何も僕の事なんて考えてなんかいないだろうけどね。
私は、そう、思ったけれど。
わたしは、今……、良雪の事しか、考えていない。
どうしたら良雪に好きと言えるのか。
どうしたら良雪に寄り添えるのか。
どうしたら良雪に笑ってもらえるのか。
どうしたら良雪に優しさを取り戻してもらえるのか。
初めはただ…、使命感で、良雪と共にいようと思った。
けれど、良雪の一途さと、優しさにどんどん惹かれていって。
気が付いたら、好きになっていた。
わたしは、良雪と、恋に落ちた。
孤独に人生を終えた良雪が、充のいない世界でずっとその姿を追い求め、悔やみ、恋焦がれたのを知っている。
その想いすべてが、私の中にある。
今は、充に対する怒りが多くても…、いずれそれが後悔に代わることを知っている。
長い、長い、孤独な年月を……、知って、いる。
……どうにかしたい。
どうにかして、良雪をあの孤独な人生から救い出したい。
あの孤独を知るのは、孤独な人生を終えた私だけでいい。
ぽたり、ぽたりと…、涙がこぼれた。
…どうにもならない悔しさが。
どうすることもできない悲しみが。
どうしたらいいのだろうという…身動きできない状況の中で、ただただ素直に涙となって……、あふれ出したみたい……。
「…大丈夫ですか?」
あふれ出る涙をぬぐう事もせず、ただ風に流されている桜の花びらを見ていたわたしに、ハンカチを差し出してくれた…女性が……。
この人は…わたしの記憶にも、良雪の記憶にもない人。
「ご、ごめんなさい、大丈夫です、ありがとう…」
わたしは慌てて…、自分のカバンの中からハンカチを取り出して、そっと涙を拭いた。
「…ここは、桜が奇麗ですねえ」
女性は、ベンチに積もっている桜の花びらを二、三度払ってから、わたしの隣に腰かけた。
…さっきまで、良雪が座って…私の作ってきたサンドイッチを食べていた、場所。
良雪の座っていた場所には、今、別の人が座って…わたしを少し心配そうに見ている。
…優しい人は、意外とあふれていると、私は…知っている。
もらえなかった優しさを悲しむより、いただいた優しさを受け取って、前を向こう…。
人のやさしさに触れて、涙はようやく…溢れることを、やめた。
「…あの、私の事、覚えてます?」
…人懐こそうな、大きな二重瞼の、ショートカットの女性。
新入生かもしれない…会ったこと、あるかな?入学式の時とか?体験入学の時かも…?
…正直、記憶にない。
わたし自身は、あまり記憶力のないタイプの…ごく普通の人だから。
「ごめんなさい、ちょっと記憶になくて」
「あの、これ…ありがとうございました!」
女性が差し出した袋の中を…見ると。
ヒマワリ模様の、クリーム色の……。
これは、わたしの、ワンピース!
「あ、あなた夏祭りの時の人?覚えて無かったです、えっと…返してもらわなくても、良かったのに…」
こんなところで逢うなんて…偶然ってあるものなんだ。
女性は、去年の夏まつりで、破れた浴衣を着ていた人だった。
「私、入学説明会の時にあなたを見かけて…遭遇したら絶対に声をかけようって、決めてたんです。毎日持ち歩いてて!!ちゃんと洗濯してありますよ、本当に助かりました!!ありがとうございました!」
あの時も、運命を変えられなくて…、悲しくて…。
……もう、変えることのできなかった過去を振り返るのはやめておこう。
…悲しくなってしまうもの。
「じゃあ、かえしてもらいますね、お役に立ててよかったです」
女性は、ニコニコと…わたしを見つめている。
…さっきまで泣いていたから、少し気恥ずかしい。
お昼も食べたし、もう家に帰って…ゼミの希望書でも書こうかな。
スッと立ち上がろうとするわたしに、女性が…遠慮がちに、でもはっきりと、声をかけた。
「あの、ちょっとお話、していきませんか」
女性は少し真面目な表情になって、わたしの目を……のぞき込んできた。
…ああ、このままだと、アカシックレコードが、開いてしまう。
あまりアカシックレコードを開きたくないと願っているわたしは……、この場を一刻も早く立ち去ろうとして、女性から目を逸らす。…ちょっと、あからさまだったかもしれない。不快に思われちゃったかな……。
「大丈夫ですよ。…怖がらないで?」
女性は、わたしの目の前に立って、目を……のぞき込んできた。
ああ!!
開く!!
開いてしまう!!
アカシックレコードが!!!
アカシックレコードが…。
アカシックレコードが、開かない?!
…わたしはただ、女性の目を、見つめることしか……、できない。




