魔と神の間(はざま)にて
耳たぶを噛まれた…
甘い香りと、温かい体温。
褐色の整った顔の大きな瞳には私の顔が映る。
目じりの皺が美しき彼女にも幾年の積み重ねがあった事を物がたり、あの出会いから二十年近い歳月が過ぎてしまった事を今更ながら思い出す…
初夏の光が溢れる森の中の古びた低い背もたれのベンチに腰掛ける私の膝の上に彼女は座っている。その顔には木漏れ日が降り注ぎ、眼前に広がる芋畑とそれを囲む柵代わりのバラの垣根、木々の匂いが彼女の香りと混じって何とも言えない幸せな気持ちにさせてくれる。
小さなベンチは畑仕事での休憩用に作られた古い物だが、今は畑には誰もおらず、ただ赤いバラが彩っているだけ。
あらためて眺める彼女に、短めの亜麻色と言うべきか濃い灰色とでもいうべきか銀髪にもこの距離だと白髪が混じっている事が十歳ほど年上だと改めて思わされるが、それでも美しい髪には小さくて真っ赤なバラの花が一輪、さされていて映えている。
滑らかな濃い褐色の肌は滑らかに輝き、白い麻のワンピースで覆われた筋肉質の体は常に鍛えられていて、普段は年齢を感じさせない。
私の左腕に、その背をもたらせながら にこやかな細面の笑顔を見せられると私もつられて笑ってしまう。
けっして大きくはないが形の良い胸が押し当てられて、しっとりとした温かみに全身が覆われると、再び唇を求めた…
うっすらと目を開けると彼女は大きな目を輝かせて舌を私の口の中で勢いよく暴れさせる。
「うっふふ」
年上なのに子供っぽいところがある人だ、と思っていたら、突然耳元で声が響いた。
甘く柔らかい声…
「なに、二人だけで楽しんでいるのよ!もう子供を作るのはキッつい歳なのに」と叫ぶ。
「うるさいわよ!おっぱいオバケ!ご主人様は年齢・性別・種族関係なしに赤ちゃんを授けられるの」と彼女は膝の上で私にしがみついたままハスキーな声で叫び返す。
「おっぱいじゃない、私にはペグと言う名前があるのよ!ルースお婆~さん」と同じような銀髪だかはるかに長い髪を振り回してるペグと妊娠中のルーシーの二人連れがたっていた。
ルーシーの散歩につきあっていたのかな?
私に向かって「三人で楽しみましょう、ご主人様♪そんなお婆さんは、ほっといて」と言うと、背中まである長い銀髪で淡い褐色の肌で私と歳が大して変わらない豊かな胸と丸顔の美女と言っても良いペグが唇を重ねようとする。
「こら!邪魔するな。だいたい、あんた先月に子供を産んだばかりじゃないの。毎年毎年、子供を産みやがって」とルースは言うとペグの両胸を鷲づかみにしようとするが大きすぎてつかみきれない
「おい!母乳が飛び散ったらどうするの。せっかく娘に飲ませた残りをパパにも飲ませようと思っているのに」
私の正妻を自認するルースと、初体験の相手だったペグのお互いの胸をつかもうとするケンカともじゃれあっているとも判断がつかない状況を呆然と見ていたら、長い髪を後ろで束ねたルーシーが何も言わずに横に座ると肩に頭をもたれさせてくる。
細身なルースの肌も同じく淡い褐色で、白い麻のワンピースはお腹が大きく突き出している。
原因は私です…
なるべく優しく丁寧に赤ちゃんの居るお腹を撫でていると、別の声が後ろから響いた。
「ママたち、裸で何しているの!」
あぁ…長女、私とルースとの間に最初に出来たメアリーだ。
取っ組み合っていた二人の服は大きくはだけている。
娘に見られた恥ずかしさからうつむく私の頭の上で、二人が一字一句同じセリフで同時に叫んだ。
「魔族の女は愛する人の前では服なぞ着ない!」おい、二人でなれ合いだったのか?
「うぁ~、どうするの?パパ」と言うと、その白い手で私の両肩をメアリーはつかんできた。
痛い。
視界の隅にメアリーの長い黒髪が揺れている。
髪の色は私ゆずりだが、褐色の肌の母親と黄ばんだ肌の父親なのになにゆえに白く桃色の肌なのかは判らない。
頭の上に顎がのせられたのを感じながら、ますますうつむくだけの私。
そこに姿勢を変えたルーシーが空気を読まずに唇を合わせてきた。
大きなお腹が目立つ。
「さすが神様と呼ばれるだけの事はあるわね。モテモテのパパ。それと妊婦さん、孫も出来たのに何しているのかな?」
「あーらヤキモチ?うちのドロシーと同い年なのに良い人いないの?」私の首に両手を回したままルーシーが挑発する。
ドロシーの父親は魔王だったけれど、メアリーと同い年のドロシーを妊娠させたのも…私です。
だいたい、この村には男と言えば私以外には、最近、娘の一人ジェニファーが連れ帰ったアーサーという農業が得意な緘黙で真面目なだけの若者が一人だけ。
おかげで、芋と豆ぐらいしか農産物が無くて、後は狩猟と採取に頼っていた村の食糧事情が大幅に改善した事も思い出す。
そして娘たちは魔族の母親たちとちがって男をシェアする事を嫌悪しているので、彼はがっかりしているだろうな…などと想像する。この親子の考え方の違いから私は娘から毛嫌いされているのだが…
「そんな意地悪言わないで、一緒に楽しまない?」と言い出すのはペグ。そして、そのまま胸を私の顔に押し付けてくる。関係も長くなったけれど、今でも何を考えているのか判らない。
「子作りは楽しいわよ。これからあなたの妹を作るのだけれど見ていきなさいよ。参加しても良いけれど」などと言い出すのは実母のルース。
とんでもない提案に思わず私はペグの胸から顔を上げたらメアリーと至近距離で目が合う。
「純粋な魔族じゃあるまいし、私たちは男を分け合ったりしないし、私は親子で関係はもたないのよ!そんなのだから魔族じゃなくて裸族だとか言われたり、色魔族だとか言われたりするのよ」と唇をとがらしているのが逆さまに見えて、鼻柱同士がくっついているので思わず
「近すぎる!」と叫んだら
「ねえ?パパ。あなたの子供の名前、全部言える?覚えていないから同じ名前がいっぱいいるんでしょうけれど」
黙ってしまうと、この娘は追い打ちをかけてくる。
「じゃあ人数は?」
大勢…なんて答えたらまずいよな、などと考えていたら思わず
「えぇっと…全員娘だから…」と答えにならない答えが出てしまって、娘を刺激してしまう。
「魔族は女の子しか生まないのは常識でしょうが!」
と顔をくっつけたまま叫びだした
「今、186人!ママは私を含めて8人産んで、そこのペグさんは最多の14人。ペグさんの長女のクリスは私より3日遅く生まれただけ。今生きている魔族28人全員と亡くなった方4人がパパの子供を産んでいて一番若いのは私と同い年、今出産可能年齢の26人中18人が妊娠しているから今年中に200人を超えるのよ!」
うん、魔族と私との混血なので神魔とか呼ばれて、人間の学校で学んだだけあって数字に強い。
互いのまつげがつくような距離に耐えかねて目をつぶると、初めてルースたちに出会った頃の事が思い出される。
「私の方が少ないのは、元族長としての責任をはたしていたからよ」
「歳のせいじゃない?私の方が十歳も若いんだから」
「去年、クリスが人間と間に男の子を生んじゃったからおばあさんなのはそっちじゃない。私の産んだ娘たちは誰も子供がいないからおばあちゃんじゃないんだから」
「産んだのはともかく、産ませたのはどうなのよ!」
二人の口喧嘩を見ないように目線を落としていると、横からルーシーが囁く。
「お腹の子の名前、考えてくれています?なんだか同じ名前が多いんですから、とてもいい加減…」
あえて意識を閉ざせば、彼女たちの話声が遠ざかっていく。
それは十九年前の話…
その時、私は…
いや、俺は…
俺は…
そこは記憶の始まる場所。
頭の激痛に耐えながら槍だと言って渡された先を削っただけの木の棒を杖代わりにしてかろうじて俺は立っていた。
左手にはどこかの家の窓だったに違いない盾代わりの板。
粗末なぼろ布はかろうじて身を覆っているから服と呼ぶのだろう。
裸足に石が食い込む。
痛みに耐えかねて後頭部を触ると乾きかけの血が手ににじむ。
ええっと、なんだっけ?
そうだ、魔族が攻めてきているから、若造お前はここで食い止めろ、とか言っていたな…色白なお貴族さま。
そう言っていた高貴な連中は荒地の中の一本道を馬車で走り去った。
少し前の事をゆっくりと思い出す。
たしか「神おろし」とか言っていたな。
あのおぞましい光景…
神おろしに成功したから、こんな役立たずでも魔族に対抗できるかもしれないとか言っていたはずだ。
騎士五人を中心に五十人以上詰めていた北の砦を一瞬で破った三人の魔族が南へ下ってきているのを、ここで防げと言われて捨てられた。
それにしても頭が痛い…
喉も乾いている。
とてもとても乾いている。
少し前の事しか思い出せない。
何故、あんな奴らの為にここに居なければならない?
生白い豚め…
道の少し先にある森まで行けば川があって水があるはずだ。どうせ馬車で行った連中は反対側だし、ここを離れてもバレないだろう。
そう決心した私はゆっくりと歩きだした。
歩数にして三百歩ぐらいか、ようやく森にたどり着く。槍は杖代わりだが、盾は邪魔なので途中で捨てた。他に持ち物はない。
森の中まで続く道の奥からかすかに水音が聞こえる。
近い、と顔がほころんでいたら、道に人影が出てきた…
一人…二人…三人…
一人ずつ現れた人影は私を確認したのか横一列になる。
それぞれに背より高い長柄の戦斧に左ひじに付けられた小さな金属の盾に円筒型の兜と鎖の鎧に毛皮のマントという完全武装の三人。この足音は木靴か?
黒い…いや茶色か、色の濃い肌の顔に白い髪の間から目が鋭く光る。
近づくにつれて脛当てや手甲までつけた重装備にも関わらず足取りは素早い。
腰には短刀も見える。
だが、それ以上に真ん中の奴には顔が三つ、三角形に並んでいる?やはり魔族は化け物だと思い知らされる。
近づくにつれて、顔だと思ったモノのうち真ん中が本物の顔で左右の下の顔だと思ったモノは胸かとも思ったが、大きすぎる。
ありえない大きさ、頭より大きいのが鎖鎧のせいで顔に見えたのだ。
まさか、鎧の下に、討ち取った首を左右にぶら下げているのか?
左は、長い髪を後ろでくくっているのが左右に揺れていて長身の女か?右は小柄な少年なのか少女なのか判然としない。
そんな事を考えているうちに、どんどん近づいてくる。瞬く間に相手の斧の間合いに入ってしまった。
動きやすさを優先したのか大きく肩がむき出しの鎧と、眉毛より下が丸見えの兜のせいで、三人ともようやく女だと判る。
そう、三人とも若くて美しい褐色の肌と灰色の目と髪の女だ。
真ん中のは俺と同じぐらいの歳かな?
あとの二人はそれより少しだけ若そうだ。左端のが一番背が高く右が低いので顔が斜めに並んでいる。
それにしても妙に色っぽい。何故かこの娘たちとじゃれあっている光景を妄想してしまった。
その妄想が「命が惜しかったら俺の女になれ!」と声になってしまう。
瞬間に真ん中の魔族の女がうつむくが、顔が、褐色の肌が一瞬で真っ赤になる…
赤黒くなった体がプルプルと震えているのが判る…
あっ、何を口走ったのだろう?命が惜しいのはこちらだ。
相手は三人で五十人に勝った化け物。
首から下げているのは騎士の討ち取った首か?
こんな棒切れで、あの斧の一振りを防げない。しかも三人…
逃げ切れない。
終わりだ。
沈黙のまま、しばし向かい合った。
その時間は一瞬にも永遠にも思える。
やがて、真ん中の魔族は斧の柄の石突きで真っすぐに地面に突き刺す。
どれだけの怪力。
枯れたいばらで飾りをされた兜を静かに脱ぐと長い髪が流れ出てきた。
「うん!」と怒鳴ると首の後ろに両手を回して、マントを落とすとガチャガチャと鎖鎧を緩めている。
邪魔になる討ち取った首を外す気だ。
左右の二人は口を半開きにしながら、その様子を見つめている。
首と喉を守っていた金属が外れるとジャラッという音とともに鎧が下に落ち下着も外れると、その下に隠されていた物があらわに…
瞬間に左右の二人が慌てて両手で隠そうとする。
「何考えているのよ!ペグ姉」と異口同音に叫ぶ。
討ち取った首なんて無かった…
有ったのは、手で隠している二人の頭と同じ大きさの胸。
それを揺らしながら「生まれて初めて、女になれ、と言われた。夢に見たとおりだ。夢で聞いたとおりの言葉…」と泣きながら言っている。
「ちょっと落ち着いて」と言いながら、左にいた少しだけ肌が白い長身の女は右手でペグの左胸を隠しながら左手を背中にまわす。
右にいた髪の短い小柄な女は両手で右胸を隠しながら、こちらに顔を突き出して「あんた!なんて事を言い出すのよ」抗議してきた。
いやいや、こんな事は予想外。
ありえない、まさかでしょう。
なんて言えば良いのかわからず、呆然としていると、ペグは両手を伸ばしてきて俺の頭を掴んだ。
しまった、と思う間もなく勢いよく引き寄せられて、顔が相手の巨大な胸にぶつかる。恐怖から固まって口が半開きになっていたら、頭を引き吊りあげられて口に舌を入れてくる。
「えぇー!」という声が左右から聞こえてくるが、叫びたいのはこちらだ。
そのまま後ろに押し倒されて、怪我をしている後頭部を再び打ち付けて意識が遠のく…
三人がパニックになっているのがかすかに聞こえる。
「怪我している。メイ、小川まで戻ってお湯を沸かして!ルーシー、肩を貸して!運ぶよ」
そこから意識は途切れて、気がついたときには焚火の横。
小さなせせらぎの横の砂地で火が焚かれていて円筒型の鍋が何かを煮ている。
私は毛皮の敷物の上に横になっていて誰かが傍に座っている。
たしか三人のうちの一人だ、この細い体は。
彼女は顔を近づけると「仰向けにはなるな。傷口にさわる。傷を洗って応急手当はした。私はルーシー… 覚えておいて」と言うと顔をあげて「気がついたよ!」と叫ぶ。
すると薪を抱えていたペグが駆け寄りながら「良かった」と言うと薪を捨てると抱きつこうとした瞬間にもう一人の小柄なのに羽交い絞めにされる。
「けが人ですよ。まずは無理させない範囲で話を聞く事からです。」と後ろから説得された。
「大丈夫?私はペグ。膝枕をしてくれているのがルーシーで、こっちの少年みたいなのはメイ」
「話は出来る?お腹すいているでしょう?ともかく今、食事の用意が出来ているから。芋のスープだから期待しないでね」とメイ。
「傷口には薬草の汁を染みこませた包帯をしているから外さないでね。」と言ったのはルーシー。
この頭に巻かれた布の事を包帯と言うのかな?
「とにかく食べながら、お話しましょう」と言うとペグは鎖鎧の胸元から金属の椀を取り出す。
「私のでも良いわよね。これ、鎖って切られるのには強いけれど、矢や槍に弱いから心臓を守るために入れているの。左右に入れて二個あるから、片方貸してあげる。それに兜は鍋と兼用だから、食べ終わったら綺麗に洗って乾かさないと大変なの。スプーンは持ち手の端が尖っているから気を付けてね。フォークにもなるけれど基本的に敵に投げつける物だから」
なんだ?この無駄話は?武器防具が色々と兼ねているを自慢されても…それに、この器って胸に当たっていたんだよな。
「芋の粉を煮て岩塩を入れただけと結構おいしいわよ。」とメイ「貴重なのでわずかだけど鹿の干し肉の刻んだのも入っていますし」
焚火を囲んで食事が始まる。
正面にルーシーが多少医学の知識があると言う事で座り、右にメイで左にペグ。
「名前は?」とペグ
「倒れる前から怪我していたみたいだけれど何故?」とはルーシー
「ひょっとして下奴婢?だったら名前なんてないわよね」と聞いたのはメイ
「ごめん、何も思い出せない」と俺「神おろしと言うのをやられたらしい」
「何それ?」とペグは聞きながら私の太ももを触ってくる。
「う~ん… なんて言うか、神官のやる儀式で人間の魂を追い出して、替わりに天から神の一部を入れるらしい」と知っている限り、覚えている限りの説明をする。
「神官が清めた大槌で選ばれた若い男の頭を後ろから殴って死なずに、そして魂が抜けて記憶が無くなれば成功だ。今回は十人ほど試したらしい。最初に目覚めた時に見たのが八人か九人の死体だったから」
「えっ!!」と三人が同時に叫ぶ
「そんな残酷な!何故逃げなかったの」「ひどすぎる」と口々にする。
「記憶が無くなっているのは神のせいじゃないわよ」とルーシーが言えば、
「野蛮人め!」とペグが炎を見つめながらつぶやく。
「下奴婢は家畜と同じだから祭りの時には屠られる事もあると聞いているわ」とメイが説明する。
この娘は私より若いみたいだが記憶のない私より人間より詳しい。
「奴婢には上と下があって上奴婢は下奴婢を取り扱ったり、主人の家で世話をするから名前があるの」
「奴婢の上には良民がいて、その上に貴族と王侯ね。神官はたぶん貴族ね」と説明を続ける。
「まあ今夜は食べてゆっくりと休みましょう」とルーシーが提案する。
「それに… 頭を強打されているから容態が急変するかもしれないから、そうなったら魔王さまに頼るしかない」と言葉を続ける。
「あっ魔王さまって魔族で唯一の男で、子供が簡単に死んでしまう事に悩んでいて何時も薬や手術の研究をしているから一番、医学に詳しいの」とペグが説明してくれた。
「私たちは全員、魔王さまの女ですから、先ほどの行為は裏切りですよ。ペグ姉」
「メイ、あんたは愛されているから、そんな事言えるのさ。こっちは胸がでかすぎて気持ち悪いと言われて何年も前に数回抱かれただけ。あんたほどじゃなくても、せめてルーシー並みに愛されていれば…」
「まあまあ、今夜のスープは塩が効いていて美味しいね。名無しさんもそう思うでしょう。おかわりがあるわよ」とルーシーが仲裁に入る。
その後は静かな食事で、手早く片付けられると焚火を囲んで雑魚寝。
誰も見張りに立たないらしい、と思っていたら
「夜襲するだけの根性があったりすれば、あんたを捨て駒になんてしないわよ」とペグに説明されてしまった。
心が読めるのか?
「名無しさん、あんたの事は特別だと思うから分かるの、何故か判るの。夢に見ていたから」
心を読まれている疑問は確信に変わった。抵抗は無駄だ。それは状況を悪化させるだけ、相手の言いなりになろう。
寝具替わりのマントの毛皮は三枚しかないのでペグと一緒に包まる事に…
この毛皮、鹿かな?何枚も麻糸で縫い合わせて一枚にしてある。そう言えば下着も麻みたいだ。
貴族みたいに亜麻や木綿は使わないで、俺たちと同じ麻の服だと思うと、何故か親近感が湧いてくる。
「けが人だから変な事するなよ」とルーシーから釘をさされているが聞いていそうにない笑顔で胸を押し付けてくる。
絶対に変な事をする気だ。
「だったら、同じところで寝ない方が…」と抗議するが、ルーシーが顔を合せずに答える。
「いやー、下手に邪魔して腕の骨をへし折られるのも嫌だし。」
「何しろ腕力だけなら魔王さまと対等ですから。」とメイが言葉をつなぐ。
生贄か?生贄にされたのか?
「いや、たぶん経験がないから無理。それに魔王さまに殺されたくない」と腰が引ける。
背中に手を回されて逃げられない。
力に差があり過ぎる。
「そうだ、話を聞かせてくれ。何故、砦を落とした?」
「ああ、それ」と、顔をくっつけたままペグが説明を始める。
ペグから笑顔は消えた。
「私たち、見た目は人間とそっくりだけど中身は全然違うの。例えば人間って手足を失えばそれで終わりだけれど、私たちは三年から五年で再生するから、人間たちの一部は私たちの体が薬になると信じているのよね。なる訳ないのに。」
さらに話は続く
「だから常に人間に狙われているのよね…」
「だから」とメイが言葉を横からつなぐ。
「クリスと言う子がいたのだけれど、人間の集団…野盗かな?に襲われたの。命を奪わられる前に乱暴されたのよね。で、殺される直前に私たちが間に合って間一髪で助けたわ」
「そして」とルーシー
「元々病弱な子だったけれど、それが精神に負担になったのよね。私たち、全員が魔王さまの女だから乱暴されたのを気にしていたのよ。魔王さまは、万が一に子を宿したなら私たちの子として育てよう、と言ってくれていたのだけれど、それも負担になったみたい… まあ私たちと人間では違いすぎて子供が出来たという例ははるか昔から一回もないけれどね。」
今までにこやかに笑っていたペグが真顔になる。
「クリスは結局自ら命を絶ったわ。そして埋葬したのだけれど、それを砦の連中があさったのよ!薬にしようと思ったのね。それで見せしめに砦を落としたのよ」
ペグは一呼吸をおいて言葉をつづける
「あ、もちろん誰も殺していないわよ。遺体を辱めようとしたけれど殺した訳じゃないし、それに野盗の連中は皆殺しにしていたし… だから脅しただけ」
「まあペグ姉が本気で暴れたら、あんな程度の建物は一撃で潰せるから。潰したら柱の下敷きになった奴がいたけど私が片手で柱を持ち上げながら、もう一方の手で引っ張り出してやったのに礼も言わないの。」と、メイ。
「動けない奴がいたら簡単な治療ぐらいしてやるつもりだったのに、みんな走って逃げちゃった」と不服そうにルーシーは言う。
「あんな事をしておいて油断しすぎなのさ」とペグ。「騎士連中は全員、女と楽しんでいる最中だったみたいだったしな」
お前が言うのか?と思いながら疑問を口にする
「砦に女が居るんだ?」
「いますよ。」とメイ。
「あそこには十人ほどの若い女いましたから、どうせ近くの村の奴婢から選んだのでしょう。それが普通みたいですし…」
「墓荒らしに失敗して憂さ晴らしに乱痴気するような連中さ」と言いながらペグは下着を脱いでしまう。
「どうして裸になる?」と疑問を口にすればつかさず
「魔族の女は愛する者の前では服なぞ着ない」と言うとんでもない答えが返ってくる。
「意味が解らない… 今の話の流れでとうして?」
「重要な事を言ったでしょうが!」とペグ
「いや、だからさ。復讐で砦を落とした話なのに。」
「しょうがないな…」と言いながらペグは俺を抱きしめた。
「肝心なところを聞き逃して…魔族と人間とじゃ子供が出来ないと言ったでしょう」と耳元でささやく。
「つまり今夜の事は黙っていれば、魔王さまには絶対にわからない、という事」
ルーシーも顔を近づけると「どうせ、こんな事になるだろうと思いましたから、怪我の手当をするついでに全身を薬湯で拭いてありますから清潔ですよ。」とペグに教えながら服を脱ぎだす。
「うぁ、これバラの香りね」
「ローズオイルです。」と二人で会話している
「いや、さっきまで反対していただろう!」と俺が抗議しても、顔を近づけてメイは淡々と言葉を続ける。
「ペグ姉は一度やると言ったら必ずやる人です。止められません。で、ヘタに邪魔して口封じされたくないですから、共犯者になる事にしました。」
「ちょっと待ってよ」と目を丸くしたペグが叫ぶ。
「口封じなんてする訳ない!それって横取りしようとしている口実でしょうが!私はこうして抱きしめているだけでも良いの」
「本当かな?」とルーシー「本音を言いなさいよ、ペグ姉」
「うぅ…」悔しそうな声をあげるペグ…
「さて、みんなで喰っちゃいましょうか?名無しさんを」とメイが言った瞬間にペグが俺を抱きしめたまま半回転して背中で守ろうとした。
「殺させないよ!」
「そうじゃないわよ」驚くメイ。
「うぁー、今まで一度でも私たちが人肉を喰った事がありました?肉なんてたまに獲れる兎ぐらいでしょ!鹿に至っては年に数匹…名無しさんもおびえないで下さい。」呆れるルーシー。
「い~や~ この前、大熊と遭遇したら威嚇してきやがったので一発殴ったら死んじまって、勿体ないので喰いかけたけれど不味過ぎてちょっとしか食えなかったし、だから誰にも教えなかったの。熊の生肉って食えないな」などとうそぶくのは当然ペグさん。
俺は今、素手の一撃で熊をも殺せる狂暴な女に抱きしめられています。
巨大な胸は魅力的ですが、おびえるな!なんて絶対に無理です。
朝、一番に目覚めたのは俺だった。
甘い香りと温かさと重みに包まれている、こんな朝は初めてだと思う。
何があったのか思い出して回りを見渡すと、左右にそれぞれ腕枕をしている上に体の上には小柄だとはいえメイが覆いかぶさるように寝ているので身動きがとれない。
全裸だが左のペグに比べたらまるで刺激がない、まるで少年のような体。
この少女が何故、魔王に気に入られて毎晩のように愛されているのだろう?
性格なのか?ペグはあれだからな、などと考えていると…
メイがうっすらと目を開けると唇を求めてきた。それに応じようとすると左耳に息を吹きかけられる。ペグだ。そちらを向けば後ろから背中をなでられる…ルーシーも起きたらしい。
無言でイチャイチャしていたら、突然声、声が響いた。
「楽しそうだな」
気配もなく現れた男…
威圧感に気おされる。
圧倒的な存在感を解き放って、その男は片肌見せていた毛皮を脱ぎ捨てる。
盛り上がった筋肉を覆う肌は褐色で、みじかい髪は銀髪、四角い顔には豊かな灰色の髭。
魔族だ。
魔族には男は魔王しかいないと言っていたのを思い出す。
「逃げて!!」そう叫んだペグは魔王につかみかかる。
「やめんか!おっぱいオバケ、痛いだろうが!お前の胸は筋肉で出来ているのか?」
はじかれ、振りほどかれたペグの手には魔王の下着が絡みついている…
筋骨隆々とした体が迫ってくる。
恐怖から身動きがとれない俺の両肩を魔王がつかむ。
あれ?俺より拳一個分ぐらい背が低い…大男に見えたのに?
「我もまぜよ」と魔王は言うと俺を抱きしめる。
「いや…あの魔王さま、当たっているですが」全裸の男同士で抱き合っているなんて、戸惑いしかない。
「心は女だ」
魔王は何を言っている?
理解が追い付かない。
「魔王さま、それでは…」とメイが目を潤ませている。
「まさか?突然すぎます。」は、ルーシー。
「あの…、お尻を撫でないでくれます?」これは、俺。
「男は初めてだ」などと言い出す魔王と横でニヤニヤしながら眺めているメイと座ってみているルーシー。
「私の胸は筋肉じゃない!名無しさんも柔らかくて美味しいと喜んでくれたのよ!」
ペグはなんとか引きはがそうと奮闘しているが、かまわず顔を近づける。髭が俺の顔に当たる。
そうだ、たしかメイは魔王のお気に入りみたいな事を言っていたよな?目線で助けを求めるが、この少年のような女は楽しんでいるだけ…
そこで初めて気づく。
女しかいない魔族の中で唯一の男、魔王は男が好きだったのか?
心は女だとか、言ったよな?
止めようとしていたペグをルーシーが邪魔をする。
「ここは全員で楽しめばすべて解決ですよ。」
「そうなのか?」
「魔王さまが心は女だとおっしゃった意味を考えてください。」
「まさか魔王が魔王ではなくなるのか?」
「はい!魔王さまは名無しさんの女になるとおっしゃっておられるのです。」
それを聞いたとたんにペグはルーシーにキスをする。
あっ、と思ったら、俺は魔王に唇を奪われた。髭が…気持ち悪い。
女同士でキスしている横では男同士でキス、そこに少年のような少女がどちらに混じろうか迷っている。
俺の頭は現実逃避を始めた。
ペグも魔王もやっている事は同じだ。そっくりだと言っても良い。
きっと同じ性格、同じ嗜好なのだろう。
入れ物がちがうだけで中身は同じ…
納得しよう、納得するしかない。
俺には逆らうだけの力がないから。
昨夜は三人に好きなようにやられたが今は四人にオモチャにされるだけ…
「我はこの男の妻となる」などと突然、魔王さまが言い出した。
はぁ?意味が判らない。この男は何を言っているんだ?さっきからの魔族の女性たちの会話も意味不明。
ペグも判らないらしくメイに説明を求めている。
それにお構いなしに魔王さまは俺に囁いた。
「我…いや、私の事はルースと呼んで。それが私の名前」
そう言い終わらないうちにペグがルースと名乗った魔王に飛びかかった。
「ぎゃあー!てめえ、元魔王!ルース」と叫びながら泣き出す。
それをルーシーが慰めだした。
「うぁー」と泣きながら今度は俺に飛びついた。「絶対に名無しさんの子供を産むから!」
「我も産んでやる」って魔王と呼ばれているオッサンまで言い出す。
何なんだ?男が子供を産むって?
元魔王というのも理解出来ない。じゃ魔王が新たにどこかに誕生したのか?
理解出来ない…
理解出来ないけれど、物理的に逆らえない。
なすがまま…
なすがままだけれど、魔王はやたら上手。
いや、上手すぎます…どうしよう?どうなるの?
そうして何とも言えない濃厚な時間が過ぎ去った。
そうして昼前まで過ごした後、俺は…否、私は新しい世界を教えられた。
それが全ての始まりであり、私の全部だ。
娘が生まれる始まりであり、魔族が変わるきっかけだった。
ルースは娘にいたぶられている夫を、目を細めて眺めている。
子供の数…確かに多すぎて名前と顔が一致しないのも仕方ない。
名前だって同じのが何人も居るし…
でも、そんな事に言い訳も思いつかないのが彼だ。
そんな、この男を村に連れ帰ったのは自分だ。
高齢だった二人を除いて、魔族二十七人と新たに生まれた五人を妊娠させた事を罪のように言っているのは、あの時の状況を肌で理解出来ていない証拠。
三十人を下回り、文字通り絶滅の危機に瀕していた魔族…
だから近親相姦なんて禁忌でも何でもなかった事を娘は嫌っているが、十五年の間には、ついに一人も十五歳の成人どころか七歳を迎えられなかった暗黒時代と、姉妹が二百人を超えようかというメアリーの世代では違い過ぎる。
それをたった一人で救ったのだから、私たち魔族は夫の事を『神』と呼んでいる。
まあ、スケベの神だが…名もなき神だ。
だが神だ、ありえない奇跡を起こしている。
命こそ奇跡、生まれるはずのない魔族と人間との間に奇跡を起こし続けているから。
しかもまだ一人も病気で亡くしていない事も奇跡。
私の時代、ようやく生まれた五人の子供たちは最高でも七歳を迎えられなかった悲劇を過去に変えてしまった救世主に我々魔族は導かれたのだ。
その導きに最初に気づいたのは私ではなくペグだったが…
魔族は女しか生まれない。
では男はどこから?群れの中から優れた者が一人選ばれて男に変化するだけ。
そんな生態系は魚類では珍しくないが、陸上生物では魔族だけらしい。
先代の魔王の死去のともない、誰が男性化するのかと思っていたら、まだ十四歳を越えたばかりの私だったのは驚きだった。
ルースと言う少女は消えて魔王が生誕。
変化に必要な日数は四日で終わったが、苦難は一五年も続いた。
高齢、病気、人間による魔族狩りで減り続ける一族の責任を我が身一つで背負された月日。
魔王となったものの、四十人以上いた同胞も減り続け、ついに悲劇的な結末で三十人を割り込んで苦難で自らが押しつぶされた時に族長としての資格を私は失っていた。
何も出来ない、思いつけない無能さをさらけ出すだけの私。
クリスの悲劇の時に動いたのはペグだ。
族長に相応しいのはペグ、なのに男性化するどころか一層女性である事を強調するようにありえない大きさの胸に膨らませてしまったうえに、新たなる王を見つけ出した。
そして最初に生まれた子にクリスの名を引き継がせた…何もかも私より優れているのに私の方が魔王になったのは十歳差という年齢にほかならない。
魔王になった時にはまだ、五歳にもならない幼子だったからな…だが、その後の成長に私は嫉妬した、その事実ひとつだけでも私は族長に相応しくない事を証明している。
クリスの亡くなった後の悲劇が起こった時、墓荒らしどもの家だった人間の小さな砦に報復を計画し実行したペグ。
大人数で攻め込む事に反対した冷静さ…全面戦争になり、こちらにも犠牲がでれば魔族は遠からず消え去るから自分に任せろと言い切って、治療に優れたルーシーと人間に詳しいメイの三人だけで砦を敵味方の誰にも犠牲を出さずに落とした功績も誇らない謙虚さ。
どれをとっても私には無いものだった。
深追いしすぎないように様子を見てくると言って後を追った、あの日…
つくづく自分は不要だと思い知らせるだけの旅路、魔王なんて子孫を作るためだけの道具でしかないと認めるしか無いし、その子孫さえ成功とは縁遠く惨めな気持ちで歩いた夜道は獣でさえ身を潜めて息を殺して気配を消していた。
孤独にさいなまれてとぼとぼと歩いていると遠くから嬌声が響いてくる。
人間がまだ残っていたのかとも、思ったがよく聞くと聞き覚えのある声だ。
メイの笑い声にルーシーの笑い声が混じっている。
三人は近くに居るのか?と思った瞬間に獣の遠吠えのような声が重なる。
「えっ?まさかペグの声?何をやっている?」思わずつぶやくと気配消しつつも急いで近づく。
数百歩も歩けば、河原で何やらやっている姿が焚火に浮かびあがっているのが見えた。
「誰だ?あいつ」
それを怒る訳でもなく、座り込んで眺めているだけの私。
「また負けたな…」誰にも聞こえない小さな声は後ろの森に消えていった。
言われなくても、あの男には何かを感じる。言葉には出来ないが何かがあるのは解る。
魔王という名の族長を譲るのはペグなのか?あの男なのか?
人間のようだが、人間といくら交わろうとも子供は出来ないはずなのに、何故か未来があるようにしか思えない。
自分も行きたいなどと思うのは本能からなのか?これって…男性化という十五年にもわたる魔法が解けようとしているのか?
この感覚には覚えがある。何かが体を変えようとしているのだ。
その間も、目の前のでの痴態は続く。
自分もと思っているが、決断がつかないまま時間だけが過ぎ、ペグたちと見知らぬ男が静かに眠ってからようやくそばに近づく。
四人でくっついて仲良く寝ているのを眺めながら自分の腕も見る。
この感覚、昔に経験しているから解るが間違いなく性別が変化し始めているはずだか、まだ外見には変化はまだだ。
メイの見た事もない幸せそうな寝顔を見ていれば、素直に負けを認めるしかない…
この男、この黒髪で黄色い肌の人間が新たな王だ。
運命の扉は開かれ、役立たずの私は この四人たちの若者に道を譲るのが正しいのだろうが、悔しすぎる。
悔しすぎて情けない自分が最後の悪あがきを始めてしまった。
幸せ過ぎて、敵中にも関わらず何の警戒もしていなかった四人は私にも気づきもせずに目覚めると再び愛し始めた瞬間に声をかけてしまった。
「楽しそうだな」
自分でも情けないと思う。
相手にされるわけもないと思いながら行動を続けていれば、ペグが全力で突っ込んできた。
「逃げて!」
知り合ったばかりのはずの男の為にとっさに命をかけられるのも、ペグが私より優れている事の一つ。
この惨めな思いが力を与え、慌てて突撃をした為に態勢も良くなかった事と相まって簡単にペグを横に飛ばす事に成功した。
「やめんか!おっぱいオバケ、痛いではないか!お前の胸は筋肉で出来ているのか?」わざと乱暴に言う。
そして立ち上がった男の両肩を掴んだ。
「我もまぜよ」
そして、そのまま抱きしめる。
「あの魔王さま…当たっているのですが」などと言っているのに、興奮した私は男の背中からお尻までを撫でまわしてしまう。
「心は女だ」
このみじめすぎる私を受け入れられるとは思えないのに思わず口から言葉が出てしまった。
何がおこっているのか真っ先に理解したのはメイだ。
「魔王さま、それでは…」
この可愛らしい少女を男として抱く機会が永遠に失われると思うと、それも寂しいと思う。
だが、あの寝顔を私は見たのだ、誰が幸せにしてくれるのかは明白だ。
「まさか?突然すぎます。」とルーシー。
生きている間に女性に戻った例もあるが、それは若い魔族が男性化してからしばらくした後だと聞いているからだろう。
私にも突然すぎて判らない…
今の私に出来る事はたった一つ、女性に帰結するのを加速させる事。
男に抱かれれば早まるだろうという事ぐらい推測できる。
尻を触るなとか言っている奴に
「男は初めてだ」と正直に伝える。
ペグが邪魔しようと必死になって二人の間に手を入れて引き離そうとしているが、胸や股間に手が当たるたびに興奮してしまってかえって力が入って、この必死で抵抗する名も知らぬ男とより一層密着し、もうすぐキス出来そうだ。
その邪魔がいきなり止んだので不自然に思ってみたらペグはルーシーと舌を絡めていた。
なぜ女同士で口づけをしている?
でも、これでペグかこの男かどちらが王になるのか判らなくなった。
だったら何が何でも、この男を王にしてやると決意して唇を合せて押し倒すだけ。
刺激すれば男の体も反応する。
その反応に、こちらの体も燃え盛る。
おもわず「我は、この男の妻になる」と宣言するもペグには意味が解らなかったようだ。
魔族の男はこいつだと言っているのに、妻という言葉を知らない者が多いのでメイが説明を始めた。
「妻って人間の習慣です。妻というのは男にとって特別大切な女の事であり、基本的に子供を作る関係の事ですが、人間って男がやたら多いので父親が誰なのかはっきりさせる為の制度ですから、妻になる女は男性経験が無い事を求められる事、処女を求められる事があるんです。」
それを聞いてペグの顔は真っ赤になると私につかみかかってきた。
ようやく自分が魔王になれる可能性が消された事に気づいたのか?
「ぎゃあー!てめえ、元魔王!ルース、お前が義務的にたった二回だけ抱いたせいで処女でないじゃないか!私だって名無しさんの特別になりたかったのに!」
「でも何故、特別に?」とルーシー。
「だって…」と説明を始めるペグ
「しばらく前から時々夢に出てきていたのよね、黒髪の男の人。そして抱かれて子供に恵まれるの。」
まさか予知夢?と思ったが声になるより早く、ペグの感情が爆発した。
「うぁー」と、泣きながらペグは男に抱きつく「絶対に名無しさんの子供を産むから!」
それって絶対に無理…そんな事が可能だったら苦労はなかった。
そこまで考えて、自分の愚かさに再び気づく。
当然次の王はペグでないと魔族は滅んでしまうのに、私はこの名前も解らぬ男を王にしてしまう道を開いてしまった。
嫉妬心から同胞を滅ぼした最悪の魔王、それが我だ。
再び自己嫌悪に包まれてしまう我…いや、私だ。
どうして人間との間に、一瞬でも子供が出来ると思ってしまったのだろう。
何もかも忘れる為に誰も彼もなく抱き抱かれた私。
完全に女の体になるまで六日もかかった。
その間には、今ではもう体験できない濃厚な経験を積み重ね…奇跡が起こった。
私もペグもルーシーもメイも、そして村に帰ってから全員と交わったうちの三人が子供を授かったのだ。合わせて七人もだ。魔族の四人に一人。
私以外は解る。
最初の三日間はほぼ男だったから妊娠させた可能性がある。
ただペグ相手には拒絶された記憶しかないのに妊娠しているし、なにより私のお腹の子の父親は、あの男としか考えられない。
十か月の間、様子を見る為に手はずを私は色々と整えた。
人間の王では魔族の事を何も知らないのだからしかたない。
まずは安全の確保…ペグも私もまともに戦えないのだから人間との和解だ。
あの男から聞いた話を最大限、利用する。
あの頼りない男を神として宣言し我々魔族は鎮撫されたと宣伝。
神官によって神おろしをされた事を逆手にとって、魔族の土地を犯し、魔族を傷つけようするものは、おのれらが信じる神への大逆という事にしたのだ。
神だなんて信じていないが、信じている事にすれば便利。
かくして魔族の森は神の森になった。
食料の確保、薬草の備蓄、河原からとれる砂鉄や洞くつの奥から削り出してくる岩塩…そんな雑用は例年どおりだが念のために今までより多くするように指示。
上手くいけば一度に七人も増えるのに、しばらくは有能な者が七人も働けなくなるのだから…などと思っていたら、臨月が近づく頃にはさらに四人が妊娠。
これはもう確実に名無しの子供だ。
本当に神だったのか?
その時になって、やっと恋した。ペグは会った瞬間に一目ぼれをしたというのに、私は利用価値しか考えていなかった事とお腹の中で動く子供に戸惑いを隠せない。
そして…
恐ろしさと喜びが入り混じったまま子供が生まれた。
それがメアリーだ、そしてペグにはクリス。
この二人は魔族ではありえない白い肌と黒い髪であり、しかも健やかに育ち人間の学校で十年間も学び、メアリーは十七歳で卒業して村に戻ったが、クリスは恋愛の末に卒業と同時に神官の息子の元に嫁いだ。
そして、もう子供がいる。男の子でジョンと言う名前
ルーシーやメイの子供の見た目は典型的な魔族の子供なのに大病も患うこともなく成人したが魔族の血が発動したのか我が夫に恋した…
ルーシーの子供ドロシーが生まれた日を最後に、黒髪の子供しか生まれていない。
これが文字通りの神魔の誕生だ。
急激に人口が増えた村を支えるのは河原からとれる砂鉄。大昔、空より落ちてきたという鉄の塊り、我々は魔石と呼んでいるが、それが良質の砂鉄を吸い寄せるのだ。それを少量だか人間に売っている。
それと最近は霊験あらたかな護符。
単に木切れに私たちが古代文字を書き込んでいるだけなのに、何故か効能がある。
安産と子孫繁栄は、ありえない確率で効力を発揮しているので王侯貴族や良民に高値で取引されるが、クリスの結婚は純粋に恋愛だったにも関わらず政略結婚だと人間たちから誤解されている事だけが難点。
とにかく子供ばかりの村で支えるのは私とペグの仕事だ。
最初は全員で雑魚寝をしていた家が一軒しかなかったのも、次々と建て増やされて倉庫も含めて三十軒を超えた。豆の栽培も始め、芋畑も十倍に増やしたが足らずに人間から時々麦を買っているし、肉は狩りでは間に合わなくなって昔は居なかった豚や鶏が飼われるようになった。麻も天然のだけではなく木綿と一緒に栽培されて、夜遅くまで機織りの音が響く。
娘たちの一人が農民の三男と結婚して村に移住してきたので農業の水準が向上したのだ。
メイたちは人間の街に屋敷を借りて七歳からの子供たちを学校に通わせているが、十年も通う子は少なく、多くの子は良民の子供と同じように三年から五年で卒業して村に戻ったり、街でメイを手伝ったり、あるいはまったく別の仕事を始めたり…十五歳で成人だから人間と一緒に暮らしている者は何人もいる。
神魔などと言われていても、母親が魔族だという事以外はほとんど人間と変わらない。
多少、病気に強い程度で、腕力や怪我の回復力も魔族よりはるかに劣っていて、私たち魔族からみれば人間と同じとしか思えない。やがて魔族の血は人間の中に溶け込んで消え去るのだろう。
それも良い。
成人した子供たちの半数は人間と家庭を築いている。
こんな穏やかな日々は今でも夢だと思う。
そして夢は、やがて終わるのに…
そして、その日は、何の予兆もなくやってきた。
夜のとばりの中、漂う血の匂い。
死の香り。
村の外れで、名もなき男は血だまりの中に横たわる骸となって、数多の女たちの絶叫に包まれていた。
それより暫し離れた森の外の荒地を、怒りで全身を赤黒くさせたルーシーとペグの二人が闇を切り裂いて駆け抜けていく。
目指すは眼前に迫った白い影…
肌は白いが髪は黒髪ではなく長い金髪の女。
粗末な服は返り血で赤く染まり、素早く動かしている足は裸足で傷だらけ。
必死に逃げるが、この二人から逃げ切れる訳がない。
足がもつれて倒れこんだところを、ペグに頭を右手で掴まれて、そのまま肩より高く持ち上げられる。
宙に浮いた両足をばたつかせながら、両手でペグの手を頭から放そうと試みるが無駄だった。
指が頭に食い込んで不気味な音を立てる。
「まて、殺すな!話を聞きたい」
地面に投げ出された女をルーシーが尋問する。
「誰に頼まれた?」
女は震えて答えない。
まだ若い。幼いと言ってもよい顔。
美しく長い髪、魅力的な曲線でてきた体と長い四肢。
誘惑して機会を狙うべくやってきた刺客だ。
だが、あの人は誘惑はされなかった。全部後ろから、やられた傷だったからな、とルーシーは思う。
次の日の夜、二人は人間の街に居た。
ペグの娘クリスの嫁ぎ先、高位神官の館。
「いやランチェスター殿、娘や孫に会いに来たわけではない。悲報を携えていてはいるが」
対応に出てきた主にペグが事情を話す。後ろには息子夫婦が控えている。
「して、悲報とは?ルース殿も一緒とは」
「端的に話そう」とルースが答える。ルースたちはバラのつるを冠のように何重にも輪にして頭にしていた。いばらの冠…それを見てクリスは息をのむ。魔族に伝わる心の痛み、悲しさを表す喪章。
「我らが主様が、ここの奴婢に討たれた。ペグが見覚え有と申しているゆえに間違いなかろう。名もなき者ゆえ、金髪白肌茶眼にて二歳になる娘が居ると特徴を述べよう。その者、我らが古来よりの掟により八つ裂きにした。この事、異論あらば我らと終世の争いとならん事と心得置き貰いたい」
「パパが討たれたって?死んだの!」クリスの絶叫が響く。
無言でうなづくペグ
全身の力が抜けて崩れ落ちるを支える若き夫のジョージ
「何ゆえ?で我らに如何せよと?」と、ランチェスター「それにしても下賤の者の顔を覚えておられるとは驚いております」
「我が主は元奴婢故にな、奴婢を下賤と見なす事は出来んのだ。さて、こたびの事…男と女の事ことゆえに詳細は解らぬ。聞きたくもなかったしな。されど、その者、娘が居るゆえにと命乞いをしおった。ならばのちのちの禍とならんと思う故に引き渡し願いたい」
壮絶とも言える気迫に満ちた言葉を吐き出すルース
「まってママたち、その子をどうする気?これ以上の血を流す事なんてパパは絶対に許さない」
「神官殿ならば、神と称された者が御隠れなされれば供物が必須であろうことは改めて申すまでもなかろう」
「判り申した」
「御義父様!」
「父上!」
「儀式は古来よりの魔族の伝統により執り行うゆえに、魔族のみだけにて他種族はご遠慮ねがうが、ご配慮感謝する」
ランチェスターは振り返ると控えていた召使に、連れてくるように命ずる。
やがて連れられてきた幼子にペグは手のひらを突き出す。
「見ろ!この手の血は貴様の母の血だ」
泣き出す幼子
「ははは、もうすぐ母の元に送ってやる。餓える事なき地にて仲良く過ごすがよい」
「ママ…やめて、お願い。子供に罪はないわ」
「あいにく私はお前たちと違って純粋な魔族だからな」とペグは言うと肩に幼子を乱暴に担ぎ上げた。
子供の泣き声が響き、若夫婦が魔族に取り付こうとするが一瞬で振りほどかれる。
「やめて!優しいだけが取り柄だったパパが許さないわ」
「ルース様、義母様、ご再考を」
「愚かな…親を殺された子供が大人しくしているとでも思っているのか?それにしてもクリス、その甘さは父親譲りだな」と吐き捨てるようにルースは言うとランチェスターに向き合った。
「お手数をおかけ申した。なお、殺めた奴婢の償いがいかほどの物が後程申し上げてもらいたい」と言うと早々に引き上げる。
魔族の足は速い。
一晩中駆け抜けて夜明けには村にたどり着く。
子供を産んだばかりのルーシーと長女のドロシーが迎えに出る。
「こちらへ」
ルースの家の奥の部屋に静かになった幼子を抱きかかえたペグとルースは周りを警戒しながら滑り込む。
「ほら、人質は取り返したぞ」と、ルースが小声で言う。
「お帰りなさいませ、母上」とメアリー達が、椅子に座らされた刺客の横でたたずんでいた。「言いつけ通りに、こちらは何事もなく」
弾かれた様に立ち上がる若い刺客にペグは子供を見せた。「眠っているだけだ。泣きつかれたのだろう」
寝息をたてて眠っている幼子を渡されて嗚咽をあげる女…
「アッハハ、嘘つきルースと違って私は一言も嘘はつかなかいで騙してやったぞ。それにしてもあいつ、娘は奴婢から良民にしてやるという約束なんて最初から破る気だったな。さて…うーん、下手に逃がしても見つかれば口封じされるしな。何しろ相手は教会、人の住む村や街は監視されていると考えるの妥当かな?いっそう髪を黒く染めるか?その肌の色なら髪さえ黒ければ、この村なら紛れ込めるし、よそ者はなかなか入ってこれない」と具体的な方針を立てるのはペグ。
「では名前が必要ですね」とメアリー「名無しは我が父の愛称でしたから」
「申し訳…ございません…何もかも」消え去りそうな小声しか出せない女。
「ならば、我が夫の墓守を生涯務めよ。神宿れし里の長たる夫の名代として、また元魔王としての権威をもってして、汝にアンの名を授ける」
「えっアンって?」ペグが驚く「いやいや、一番多い名前。三十人は居るわよ。親子や姉妹でアンもいるし、実際に区別するのに母親の名前とか大小で組み合わせて呼んでいるのに」
「だからですよペグさん。これだけ多ければよそ者には判りません。そうですよね母上。で、誰の娘と言う事にしておきます?」
「うーん、我が子とでもしておくか?私の産んだ娘にはアンはいなかったはずだからな。ところで自分の年齢は解るか?で、文字は解るか?」
「たぶん十六歳かと」とアンの名をもらった娘は顔を伏せたまま答える。「奴婢は六歳で母親と離されて働かされますから。文字は判りません。奴婢は覚える事は禁じられていますから。でも…でも…何故ここまで?親子共々八つ裂きされて当然なのに」
「これでも誇り高き魔族なものでな。他人の手のひらで踊らされるのは好かんのだ。まして、それが我の大切な者を邪な心得で奪った輩とあってはな。それにしてもこれよりどうする?クリスを始め人間に嫁いだ子供たちの大半は人質にとられているようなものだし」
「離別と死別で帰ってきた者は2名。里で夫婦で農業をやってくれているのが1名。今は11人が里の外で嫁いでいますから、これらを全て取り返します?母上。11人とも貴族やそれなりの家柄ですから、かなり困難かと」
「うーん全面戦争は避けないと、な。からめ手だよな」
「教会幹部を病死に見せかけて皆殺しにしてやろうかな?」とペグ「神殺しの大罪は身をもって知るべし」
「どうする気だ?」「どうやって?」
「トリカブトの根の毒性を消さずに…心臓発作を起こすはず。それにしても昔の魔王さまに戻ったみたいね」
沈黙ののちにルースは答えた「やりすぎだな。全面戦争は向こうも計算のうちのはず、それの口実は与えてはならぬ。それと、あいにく昔に戻る気はない。この体は、あの人に貰ったものだから手放す気はない。男に戻るようなら、この世より身を隠すだろう」
「戻る事はないと思いますよ」とメアリー「子供の時、お前の母ちゃんって昔は男だったよな、なんて言われてショックだったので色々と調べた事があるんです。で魔王になったのは全て出産経験のない者でした」
「ごめん」とドロシー「だって、お前の父親は今は女性をやっていると聞かされたものですから」
「そして」とメアリーは謝罪を無視して言葉を続ける。「あなた、新たなるアン。私は色々思うところが有るけれど母達が許しているので私も抑えましょう。母達は魔族…人間と違うんです。魔族にとって一番大事なもの、自分の命より大切なものは子供。それだけ。あなたが子供を人質にされていると言ったから全てを許したのも、また淫靡な魔族などと言う悪評も聞いた事があるでしょうが、それも全て子供が欲しいの一言に尽きます。だが、あなたは私たちの父、魔族に唯一子供をもたらしてくれる者の命を絶った事を忘れないで下さい」
「私たち魔族は全員、母親なんだよな」とドロシー「私にはたった二人しか子供はいないけれど、な。だが子供の為ならなんでも出来るのが魔族だ」
「まあ巨乳は正義だしな」とルーシーは言うとアンの胸をサラッと撫でる。
「私のは!?」とペグ。
「お前のは限界知らずのバカ胸だろうが!その歳で垂れてこないのはやっぱり筋肉か?」とルース。
「なにを!!」
失笑がこぼれる中、すすり泣くアン
「なんて取り返しのつかない事を…」泣きながらアンはようやく想いが至る。
この肌の黒い人たちは天使だ。あの神官の装束をした白い奴らの正体こそ魔物だ。
教えられ、信じてきたきた事の全てが真逆。
権力に酔い溺れた傲慢な外道が、寄り添い助け合って生き延びてきた誇り高き一族を貶めるために魔族と呼んでいただけ。
闇の生き物が、急速に輝きを増す光に恐れおののき、その根源を絶つべく恐ろしい事をやらされたのが私だとやっと気づく。
この褐色の聡明な人たちは、褒美は金か人質か尋ねた事と誰に命じられたを聞いた以外の質問はしなかった。
格が違う。
「おい、誰か文字を…我が使う古代文字と人間の使う文字の二種類を教えてやれ。毎日根気よく出来る者が良い」とルース。
「私が」とドロシー。「私なら結構ヒマですから。髪の毛を染めていても、我が里の者なのに文字を知らなければよそ者から不審がられるかもしれませんものね」
そのまま村の主だった者が集まって合議が開かれる。
決まったのは新たな村主にメアリー、魔族への迫害の可能性がある以上は神魔を代表にして乗り切る腹だ。
葬儀は埋葬だけという、魔族の伝統に則った行為で済ます事
悲しみを壮大な儀式で誤魔化さないのが魔族だ。
喪章のいばらの冠は通例通り枯れたら外す事
そして仇討ちはルースとペグの二人に一任。よってアンは仲間として扱い追及しない事。
ルーシーのたてた計略は単純…
最強の魔族が仇を求めて旅立ったの噂は相手に対する強烈な圧力となる。
露見を恐れて不安にさいなまされる状態に追い込むのが目的。
「チャンスを与えてやりたいのでな。やり直す機会をな。あの娘と同じように」
「母上、何故そこまで!ランチェスターをはじめとするまがまがしい神官どもは父の仇」と、メアリーは吼える。
「クリスや赤子のジョンを気遣ってくれているのか?」とつぶやくペグ。
「優しい以外に取り柄のない男の意思を守りたいのでな」とルースが小声だがはっきりとした口調で答える。
「娘たちが貴族以外とも婚姻するようになって、我々が自分たちの手に余る事がやっと気づいて卑怯な手を打ったのだろうが、貴族が奴婢より優れているなどと言う馬鹿げた考えを正してやりたい。殺しに溺れれば心が穢れるのでな…穢れを払うのは神の仕事だか、今の我は夫の名代だと信じているので、この仕事をやらしてもらいたい」
自分はそこまでになれるか、という疑問はあまりにも大きいとメアリーは思う。
「おぉ、つきあうぜ」と言い切ったのはペグ「武闘派二人が血を求めて彷徨っている、なんて話を聞いたなら大抵の奴はションベンちびるぜ」
「貴様、一番下の子はまだ一つにもなっていないだろ。こんな後十年も生きられない年寄りにつきあう必要はないぞ」
「あの子には大勢の姉がいるから大丈夫。というか魔族は一つの家族だからな。それに私抜きで暴れるな」
凄すぎる二人だ。
「帰る事のない旅になるな」とペグ
「死んだら、人間どもに知られないように、こっそりとあの人の棺に入れてもらうからな。朽ちて骨も土にかえる時に同じ土になりたい」とルース
「おー、私も!名無しさんは巨乳が好きだったから」
「ふん、骨になったら貧乳も巨乳も関係ない。第一、お前が愛されたのは胸なんて関係なかろう」
いつものように話をしながら二日後に村を後にする。何一つ変わらないように…
季節は秋、村は冬の準備と葬儀の支度が忙しいとの事で表立っては見送りもない。
だがアンには解る。それは教会の目を欺く為の平穏にすぎない事だと、子供の手を引きながら静かにたたずみながら思う。
「実は我は魔法が使えるのだ」
「アッハハ、そんなおとぎ話を」
そんな軽口を叩きながら遠ざかる全身をローブに包まれた二人を、いばらの冠をつけたアンは物陰から涙ながらに見送るしかなかった。「天使様…」
そんなアンを後ろから抱きしめるのはメアリー
「あっメアリー様」
「お姉さまと呼びなさい。母上があなたを娘の一人にした事を無視する気ですか?」
「滅相もございません。ただだた恐れ多くて…」
「お前、いばらを新たにしたな…まあ、よい。好きなだけ、気が済むまでつけるのを許そう」
遠ざかる二人を見つめていたら、彼女たちを隠れて見送っていたのは自分たちだけではない事に気づく…
翌朝、密偵の目を欺く為の偽りの葬儀が行われ、その場で姿を見せないルースの代わりとなる新たな村長が公表される。
参列者は魔族とその娘たちだけのはずだが、物陰から様子を見る行商人たち。
連絡を受けて数名の嫁いだ娘たちの姿もあるが、そこにクリスの姿はない。
ジェニファー以外は貴族階級や資産階級に嫁いでいるので、遠くに従者たちが何人も控えているが、命じられて顔を伏せたままで身じろぎ一つできないでいた。
人間で、この葬儀に参列を許されたのはジェニファーの夫アーサーのみ。
沈黙の中、棺が埋葬されると、顔をベールで覆い、いばらの冠で留めた白い肌の若い女が同じような恰好をした幼女を引き連れながら、頭上に木箱を奉げて進み出る。
それを埋葬したばかりの場所の前に置くと薪が組まれて火が放たれた。
鼻を突くような嫌な肉の焼ける臭いと同時に棒のようなものが箱を突き破ると一気に燃え上がり、一部始終を見守っていた行商人たちも顔をそむけると立ち去った。
それを横目で確認するルーシーとメイ。
その日を境にランチェスターの教会の庭園には何故かバラが植えられていった。
それは何故なのか誰にも知らないと言う。
その鋭い棘の為に人が近づく事を拒否しているのに魅惑的な花を咲かせるバラ
そのバラは次々と教会に誰かによって植えられていった。
そして、何故かそれに畏む神官たち…
時の流れは謎は伝説を呼び、いつしかバラは教会の象徴へと変わっていく。
四十年後、数多の推薦を得て、最高神官に座に就いたのはジョン・ランチェスター。
元々、教会では最高権力の家柄ではあったが母親が神魔と呼ばれる霊力溢れる一族であった事であり、更に愛妻が神魔の里と呼ばれる村で唯一の聖職者と言っても良い墓所の守り者の女性の一人娘で長く村長務めたメアリーから我が子のようにかわいがれていた事で有力者と見なされていた事から異議を挟める者は存在しなかった。
神が降臨して残した子孫との伝承がある里ゆえに、いまだに特別視する者も少なくなく、所縁の深い家柄として期待する声も大きかったのである。
新しい最高神官の誕生を記念して、各教会には銅製の赤茶色のバラの造花が天使を意味するものとして飾られるようになったが、その由来を知る者はいない。
ただ昔、バラが教会に咲くようになった頃から神官の指導の下に奴婢にも名前が付けられるようになり、その事に良民からの反発も大きかったが教会の権威に抗えるはずもなかった。
ただ妥協策として良民にも姓を名乗る事を許された。貴族に使われていないものに限られてはいたので、地名を名乗る者が大半…
さらに十数年後には奴婢の売買や生贄は憚れる様になったは天使の御業だと信じている者もわずかだか存在する。
ジョンの最初の仕事は、神の名のもとに奴婢の廃止ではあったが、それは現状の追認にしか過ぎないため反発も少なく、平穏な時代だったために功績の目立たない凡庸な最高神官の一人に数えられている。
そして元奴婢にも姓を名乗る事を許されたが、地名を名乗る良民にはばかったのか多くの者は、今も歩き続けているという伝承の褐色の天使にあやかって、誇りをもってウォーカーと名乗ったという。
神宿りし者、現出し、魔をことごとくその槍で貫きて帰順せしめぬ
故にこの地、神域となりて慶祝されるなり
栄え育まれるも、神宿りし者、いずれかの者の手により討たれん
縁在りし者、ことごとく号泣す
もって、これを墓碑とす
帰順しせし古が魔が二人、理を解きたく、この地を後にするも未だ帰らず
されば、神意に導かれて不死となりて弱き者 虐げれし者を守護せしめん
古き文字で、そう刻まれた古い石碑が、かつて『薔薇の聖女』と呼ばれる伝説の残っていた村の片隅に赤いバラに囲まれて建っている事を知る人は少ない。