7話 屋敷の魔物たち
畑の種蒔きを終えたわたしは、ダンスレッスンとは違う労働に疲れたのか、ベッドに潜ったあとは気絶するように眠った。
久しぶりの深い眠りができると悟った身体がここぞとばかりに停止していくけれど、貴族社会の闇に染められた本能がそれを拒み続け、「上手くやらないと」「怒られてしまう」「寝ている場合じゃない」と、わたしに訴えかけてくる。
何かに急き立てられるように瞳を開けども、そこはまだ夜中のベッド。実家でも領主宅でもない見知らぬ部屋に囲まれ「もう解放されたんだ」と理解が及ぶと安心感に満たされるが、それも束の間、体力が尽きて動かすこともできない身体がわたしを再び悪夢へ誘っていく。
悪夢がわたしを叩き起こし、安堵がわたしを眠りに落とす。そんな呪いを何度も何度も、朝が来るまで、ただ1人、堪え忍んでいた。
光が天井を照らし出す。ようやく朝が来てくれた。
涙に濡れてベタつく枕を元の位置に戻し、カーテンを開ければ今日が始まる。新しい日常を、わたしは笑顔で迎えいれるのだ。
「ニャ、初日から早起きとは殊勝な心掛けだニャ」
ガラスに映る自分の顔を調整していると、扉を開けたニアが声を掛けてくる。慌てて目元を拭ったわたしが振り向けば、そこには無垢なる天使がいるように思えた。
「ニャー! 朝っぱらから急に抱きつくんじゃないニャア!」
「大丈夫……、もう、大丈夫なの……」
「……、どうかしたのニャ?」
夢は最悪だったけど、このもふもふは夢じゃない。改めて自分の居場所を確かめたわたしは、今度こそ本当の笑顔でニアと向かい合った。
「ニアちゃんがあまりにもカワイイから、ついね」
「まあ、それは否定しニャイけど……。ごはん、食べるかニャ?」
「うん!」
この屋敷には広いダイニングルームがあって、壁には絵画や壺が並び、暖炉も備えられたりと立派な内装をしていた。埃が積もっていないので、昨夜のうちに整えてくれたのだろう。
中央の長いテーブルには2人分の食事が用意されており、片側にはお子さま用の座面が高いイスが。思わず笑みが零れる。
「これはボクとお前の分ニャ。さっさと食べて、今日の打ち合わせをするニャよ」
案の定お子さまのイスによじ登ったニアは、わたしにも席に着くよう促しながら、目の前の野菜スープに手を伸ばした。
「打ち合わせって、なにをするのかしら」
「畑の収穫は1週間ごとになるから、その間にお前の仕事を決めておきたいのニャよ」
なるほど。畑の管理は主にニアが担当しているから、わたしには他の仕事を任せてくれるらしい。屋敷の仕事といえば侍女や庭師が思い浮かぶけど、日頃から見慣れてるからどれを任されても大丈夫のはず。
そうして屋敷で働くわたしを想像していると「また思考に耽っているニャ。早く食べろニャ」と食事を勧められた。
「料理をしてくれる魔物もいるのかしら。一見すると質素に見えるけど、カットの丁寧さから料理人の高い技術が窺えるわね」
味はどうだろうかと野菜スープをスプーンに掬ってみる。おお、これは食材の味を最大限に引き出した野生への原点回帰に挑む料理だ……、ひとことで言えば、薄い。
「これ、ニアちゃん用のスープなんじゃ……」
「ボクをその辺のネコと一緒にしないでほしいニャ。猫魔獣だってなんでも食べられるし、味が薄いのはこの屋敷に調味料が乏しいだけニャよ」
外との関わりを断っている環境では周辺の森までしか食料を調達できないのだそう。畑から塩は採れないので、どうしても味が薄くなりがちのようだ。
それだけは豊富な食後の果物をおいしくいただくと、ダイニングの扉が前触れもなく開かれる。食事中に扉が開かれるなんて何事かと思いきや、そこにいたのは……
「はぅぁ……、ウサギさんだ……!」
ニアよりも少し大きいわたしの胸元くらいのウサギが、二足歩行でテコテコと歩いてくる。侍女の服装をしてカートを押していることからも、食器の回収に来たようだ。
「しょっきをさげるね」
「うぁ、うさ、ウサ、ウサギさんがぁぁ……」
ウサギが爪先立ちでテーブルの皿を回収していく。大きな耳と頭に対して、短い腕を懸命に伸ばして皿を掴んでいるのだ。
「これが兎魔獣の仕事ニャ。食事の配膳から屋敷の清掃、洗濯を主に活動してもらっているのニャよ」
「ぐはぁ、こんな生き物が屋敷中をテコテコしているのね……!」
どうやらこの屋敷はメルヘンに溢れていたらしい。さっそく拝みに行かなければ。
「それじゃ担当を決める前に、今日はウサギの仕事でも見せてやるニャよ」
ニアの提案で屋敷探索へ連れられたわたしは、ウサギの様子を見るために廊下を歩く。
「ウサギ部屋は設けられてるけど、この時間ならあそこにいるはずニャね……、はぁ……」
こんなにわくわくする探索をしているのに、ガイドを務めるニアは疲れたように溜め息をつく。どうやらこの廊下の先ではウサギの『醜態』が見られるようだ。
「これが、屋敷魔物の醜態ニャ……」
「こ、これは……!」
朝の日差しが照らし出す廊下の隅。そこには謎の白い毛玉が密集して、互いの塊がモヨモヨと擦り付けあっている。これはまさに……
ウサギ団子だ……!!
もっふもっふ、もっふもっふ……、もふ。
「はぅっ、ヤバい。……鼻血出そう」
「白い毛玉を赤く染めたくなければ、ガマンするのニャ……」
侍女ウサギ達は気を抜くと陽が差す場所に寄り集まって、このような団子を形成するらしい。お互いのモフに埋もれあう姿は言葉にし難い尊さがあるが、ただ仕事をサボっているだけだと知るニアは黙っていない。
「兎魔獣たち、早く仕事に戻れニャ! ワンビット、お前がしっかりしないでどうするのニャン!」
「え……。どうしてもおそうじしなきゃ……、だめ……(うるうる)?」
「くっ、ダメなものはダメ! 頼んでおいた浴槽の掃除は終わったのかニャ?」
「うるうる……」
体を小さくするウサギは、瞳を潤ませて震えている。そのあまりに怯えた小動物の姿に、わたしは思わず叱りつけるニアを制止した。
「ニアちゃん。あんまり言うと、ウサギさんが可哀想よ……」
「うるうる……」
「騙されちゃダメニャ。こいつらは自分の容姿がカワイイと理解していて、相手の懐に潜り込もうとするアザトイ生き物なのニャ。……あんまり気を許していると、破産させられるニャよ」
なにそれ怖い。まるで上級貴族長子に擦り寄っているお色気令嬢ではないか。どこかで見たことあるな。
けど、こんなに純粋な生き物が、そんなこと……
「むぅ、よけいなこというのね。せっかくあたらしいかもをみつけたっていうのに」
……へ? いまの抑揚のない声は、ウサギさんが……?
「もうやんなっちゃう。みんな、いこ」
……ウサギ……、さん……
「魔物なんてあんなものニャ。わかったら、見た目に騙されるんじゃニャイぞ」