4話 賢者の末裔
茶トラが人間の言葉を話しているのだけど、わたしは夢でも見ているのだろうか、それとも崖から落ちたときに頭でも打ったのか。そういえば顔面をズタズタにされたご主人も一瞬にして傷痕を消してみせたし……
「もしかして、わたしの傷痕もそんな風に消してくれたのかしら。ありがとうございます」
「いやいや、そこは『アナタ達、いったい何者なの……?』とか言うところニャよ。ほんとに危機感のないマヌケニャね」
「あんまり人をバカにしてると、その鼻にマタタビを突っ込むわよ」
「フェリクスさまぁ、この女から狂気を感じますニャァ。きっと王家の末裔に違いないのニャァ……」
あんなにジト目をしていた茶トラが、その姿からは想像もつかない程にクリクリさせた目を潤ませて、イスに腰掛けるご主人へしなだれる。
「大丈夫だよ。もしものときは私が灰にしてあげるから」
「ありがとうございますニャ。一生ついていきますニャ」
さっきからこの2人(?)は王国とか王家とかに強い反応を示しているけど、なにか訳ありなのだろうか。意味もわからずに灰にされたのでは堪らないのに、問いたくてもまともに話ができる人たちなのか疑わしい。
そうして今後の行く末を考え込んでいると、同じく考え込んでいたのか、陽に照らされたご主人の髪がキラリと輝いた。
「傷痕の話だけど、消したのは確かに私の魔法だ。森の結界を越えた者がいると聞いて、わざわざ部屋から飛び出し、君を見つけて怪我まで治癒したんだから、お礼を言われるのも当然だろう」
「そ……、それは、ご迷惑をおかけしま――」
「どうやって結界を越えた? 王国の人間が近づけないように森の一帯には結界を張っているんだが、ただのヒトが抜けられるはずがないし……、まさか、王家からの刺客じゃないだろうね?」
膝を組み替えながら淡々と語られる言葉には抑揚がなく、わたしを縛りつけてくるような見えない力を感じた。その若さにして不気味な程の迫力を漂わせるご主人は、1つ掲げた指の先に火を灯してみせる。
「答えを聞きたくて生かしてあげたけど、返答次第では君を帰すわけにはいかないよ?」
いきなり命の危機!? ど、どど、どう答えればいいの!?
「わたしは……、ほら、ただの通りすがりで――ヒィッ!――」
「『外』では女の子を大切に扱うのが流行りらしいから、なるべく穏便に済ませたいんだけど」
謎の流行りによって無傷でいられるようだけど、ご主人の指先から伸びる火は大きくなっていた。この距離からでもチリチリと焼かれる熱さが、わたしの危機感を煽ってくる。
どうしよう、正直に話してみる? 恥ずかしいけど、ここで倒れるよりかはマシでしょう!
「婚約破棄されて辺境に追放されたんです……っ!」
「…………は?」
わたしは話した、パーティー会場で起きた悲劇を。わたしは熱弁した、その屈辱からの崖落ちエンドを。こんなマヌケな話を他人にするだなんて女の恥だけど、命の危機に瀕している状態で背に腹は変えられない。
言葉を紡ぐ度に饒舌になり、怒りのボルテージが上がっていく。それに伴って周りの熱さが嘘のように下がっていくけど、わたしはお構いなしに語り続ける。
「あのオホホ、許すまじぃぃ!!」
語り終えたぞ、一切合切。それを受けたご主人は……、呆然と口を開けていた。
「……なにか言ってくださいよ」
「へ……? あ、いや――」
「乙女の人生に関わる恥を語らせておいて、黙りこくるつもりですか」
「……、なんか、ごめん」
わたしが王家の刺客とは関係ないと判明したことで、ご主人と茶トラの2人とも清々しく語り合うことができる。
「そんなわけなので、結界云々のことはわかりかねます。……さて、アナタ達は何者なのですか(今度はアナタ達がお話しする番よ。ニコニコ)?」
「さっきは脅すようなマネをしてすまなかった。私はフェリクス。かつて王国に滅ぼされた賢者の末裔だよ」
「ぼ、ボクはフェリクス様にテイムされた猫魔獣だニャ。フェリクス様の忠実なる仲間として、ニアという名前をいただいているニャよ」
茶トラの名前はニアちゃんか。あとで存分にモフらせてもらおう。
問題は、ご主人のフェリクスが賢者の末裔ということだ。遥か昔には賢者と呼ばれる強大な魔法使いがいて、彼らは当時の王国に滅ぼされたと伝わっているけど、こんな場所に末裔が隠れ住んでいただなんて。
「いまでは魔法を使えるだけでも珍しいのに、賢者がまだこんな場所にいただなんて。王国の力になってくれれば発展間違いなしですよ」
「……まさか君は、賢者狩りが起きた理由を知らないのか?」
「理由、ですか……。確かどの文献を読んでも、賢者狩りの理由は書かれていませんでしたね」
わたしとて領地の中枢に関わる者として、王国の歴史はもちろん賢者狩りについても勉強していたけど、その詳しい文献に触れたことはない。つまり、文献は歴史の中で失われてしまったか……
「王家が秘匿しているのさ。賢者の末裔である私でも詳細は聞かされていないが、力を持ちすぎた賢者を危険視した王国によってそれはそれは凄惨な戦争が巻き起こされ、賢者は滅ぼされたと聞いている」
「戦争……、ですか……」
「ああ。それだけのことを仕出かした王国に対して、私が力になってやる道理は無い。まして、ここから出れば途端に火炙りにされるんだ。そうに決まってる。……ぜ、絶対に出てやるもんか(ガクブル)」
想像するだけでも恐ろしいのか、賢者狩りの顛末を語り終えたフェリクスは肩を抱いて震え始めてしまった。いままでの彼の反応を見るに、賢者の一族には余程恐ろしい言い伝えが残されているのだろう。
「……私を王家に突き出すのかい?」
「それは……、たぶん無理ですね……」
あんなことが起こったのだから緑の伯爵家と赤の伯爵家とで『話し合い』が始まっているだろうし、そこへ戻るということは貴族社会の渦に呑まれるということだ。実家のことは心配だけど、せっかく逃げ出せたのに、またあんな環境になんて戻りたくない。
「なにより、お世話になった人に酷いことはできませんよ」
自分でも渇いた笑みをしているとわかる。
「つまり、君にも寄る辺がなくなったということか……」
「かもしれませんね……」
王家との因縁があって『外』へ出られないフェリクス。貴族社会に嫌気が差して戻りたくないわたし。こんなことを言うのもあれだけど、なんだか、似た者同士なのかな。
「そこで提案なんだけど、ここで働いてみないかい?」
「え? でも、これ以上お世話になるわけには……」
「帰るにしても行くあてが無いんだろう。大丈夫、ニアの言葉がわかるのなら君には魔法の適性があるはずだし、ここの仕事も問題なくこなせるさ。……もちろん、君さえよければだけどね」
魔法の、適性があるの……、わたしに!? 魔法が使えるようになれば、さっきみたいに自由に火を点けたり、怪我を治すこともお茶の子さいさいだよね! うわっふ~。
頭の中には杖を持ったわたしが、あらゆる奇跡を起こしていく姿が明確に思い浮かんでくる。幼いころに屋敷で読んだ絵本みたいなことが、わたしにもできるんだ。
それにこれは、なににも縛られることなく自分らしく生きられるチャンス。領地に戻ってまた窮屈な毎日を過ごすなんてイヤよ。わたしは変わるって決めたんだ。
「受けます! むしろ、受けさせてください!!」
「すごい圧力だけど、魔法を使うのは難しいし、やり過ぎても火炙りに――って、聞こえてないみたいだね……」
ららら~、今日からわたしも魔法使いよ~ん。
「フェリクス様、こんな小娘に話してもよかったのニャ?」
「いずれはわかったことさ。それが遅いか早いかだけで、ね」
かつてのわたしが「もっとよく考えて決めなさい」と言ってくるけど、自分の楽しみを追求するのも大切だと思うの。いまだけは、感じるままに生きてみたい。
「それなら早速、ニアに案内してもらうといい。……私はそもそも仕事内容を知らないし、この部屋から出るつもりもないからね」
「では、今日から改めてよろしくお願いします。ニアちゃんもよろしくね」
「ニャ、ボクに任せておけニャ。ついてくるニャン」
茶色い尻尾を揺らすニアちゃんに連れられて、わたしは部屋をあとにした。
よ~し、今度こそ自分らしく生きてみるぞ!
「適性があるだけで結界を越えられるはずがない。果たして彼女は魔女となるか、聖女となるか……。ニアに任せはしたが、君も引き続き監視を怠らないでくれよ」
「……御意」