5.猫に傘
魔女の研究書に書かれたことは、吾輩にとって受け入れ難いモノだった。
頭が、真白に染まる。ぐわんぐわんと耳鳴りがうるさく、噪ぐピカピカ騎士とご主人の声が遠い。
ご主人が、呪い子である?ご主人が、呪われた?何時だ。吾輩が、傍にいながら。ご主人が、ご主人の魂がナニかに害されるなど。
まるで誤って毛玉を飲み込んだ時のような、喉に引っかかってざらつく不快感が煩わしい。
『ねぇ、ワガハイちゃん、顔色悪いよ?大丈夫?』
『ッ!』
噎せても吐き出せない違和感を、甘ったれた獣語が搔き消した。
『吾輩の毛皮に覆われた顔の色がわかって溜まるか、羽付き蜥蜴め』
羽付き蜥蜴ごときに気を遣われたのが腹立たしい。しかし、頭が冷えたのは確かなので、礼がてら毒づいてやった。
吾輩がわざわざ声をかけてやるんだ。十分な礼である。
気をとりなおして一息。心を落ち付けようとご主人を見上げれば元より白い顔を紙のように漂白していた。
ご主人も、遅ればせながら呪い子云々の下りを読み取ったようである。
「にぁおん」
落ち着くように、愛らしく声をかけてやれば、ご主人の冷たく震える手が吾輩の頭に乗せられた。体温を分け与えるように、強く擦り付ける。
「あの、リュディ様…呪い子とは…何でしょう……」
「……申し訳ありません、自分も詳しくはわかりません」
眉を八の字に下げたピカピカ騎士だが、吾輩にはその目が獲物を見つけた獣のソレと同じだと分かるぞ。
「ですが、王都まで行けば、呪術に長けた知り合いもおりますので何か分かるかも知れません。この研究書も深く読み解くことが出来る者もいるでしょう。よろしければ、自分と一緒に王都へ行きませんか?」
「えっ…でも、ご迷惑をお掛けするわけには」
「にあおぅ」
そうだぞご主人。こんな胡散臭いピカピカ騎士について行く必要はない。
ピカピカ騎士を胡乱げに見つめ、ご主人に忠告する為に鳴く。
「ほら、ネコ殿も賛成して下さっていますよ」
「ぶみゃッ⁉︎」
勝手に吾輩の言葉を捏造するなこのピカピカ騎士め!
当のご主人はあのう、そのう、と口の中でもごもご言葉を転がしていたが、吝かではなさそうなのが見てとれる。
そして、とうとう吾輩の脇下に手を差し込んで抱き上げ、口元を吾輩の首筋に埋めて頷きおった。
「ネコも、一緒でよろしければ…」
『ワガハイちゃんも一緒!!やったァ!!!』
ぎゃおんと、嬉しそうな羽付き蜥蜴が本に忌々しいな!
○○○
結局、ピカピカ騎士に連れられて王都へと向かうことになったご主人ではあるが、今日行くのも急なので、支度の時間もかかるだろうと明日の朝行くことになったそうだ。
当然の如くピカピカ騎士と羽付き蜥蜴はご主人の家に泊まるらしい。
ご主人には自分が女子である危機感は無いのだろうか。…無いのだろうな。昔からご主人は奪われるより奪う立場であった故に、自分が他者の欲に害されるなど思いもしないのだろう。本能的に。
以前までのご主人であれば、確かに奪うだけの力があった。しかし、今は碌々力を持たぬというに。本に危ういことである。
尤も、あのピカピカ騎士が現時点でご主人に手を出すとは考え難いが。
それよりも、吾輩である。吾輩も伊達に歳を重ねてはいないので、あの羽付き蜥蜴からの秋波に気付かないわけではない。あの無邪気な振る舞いから見て、そこまで貞操の危機を感じてはおらぬが。
ずっとご主人がいた為、吾輩は清らかな乙女である。そもそも、他の猫仲間の話を聞くに、子を成す行為は苦痛を伴うものらしい。痛みと共に、己より劣った雄の種を得るのも可笑しな話なので、今まで求愛してきた雄共は悉く袖にしてきた。
故に、あの羽付き蜥蜴がどんなにちょっかいをかけてこようと、劣った雄に吾輩が応じる気はない。種族が違うということはこの際問題では無い。吾輩は飼い猫であっても、一応は猫又。妖であるから、異類婚姻には肝要である。問題は歴々のご主人や吾輩よりも強い雄でないということに尽きる。
さて、時刻は夜。
ご主人お手製の夕餉に招いていない客人共が舌鼓を打ち。ご主人は自室、ピカピカ騎士共は魔女の部屋へと就寝のために別れた。まさか魔女も自分の死後、研究書を持ち出す男が部屋に泊まるなど思っていなかったに違いない。
ピカピカ騎士も自分が魔女の部屋に泊まるとなった時にかなり驚いていた。魔女を自称する割に、そこら辺の常識を知らぬのがご主人らしい。
吾輩はといえば、これからが活動時間。吾輩は妖であり、夜行性動物であるのだ。昼に比べれば頭も冴えるし、力も漲ってくる。
それに、今夜はやらねばならないことがある。魔女の研究書の読解だ。
先程は衝撃と不快感が強すぎて、途中までしか読めなかったが、アレに吾輩の事が書かれていないかは確認せねばならない。
他の誰に気付かれようと大したことはないが、ご主人に知られるのだけは絶対に避けたい。吾輩はあくまでご主人の飼い猫でいたいのだから。
魔女の研究書はピカピカ騎士共が寝ている部屋にあるのが厄介だ。あの胡散臭いピカピカ騎士は恐らく一晩中起きているだろう。それをどうにかせねばならない。
この家にある睡眠薬やらを用いれば、簡単に昏倒させられるが万一にもご主人に疑いがかかってしまっては元も子もない。
第一、吾輩は薬の臭いが慣れたとはいえ苦手である。そもそもあの薬らは吾輩が猫又でなけば命に関わる代物である。人間と猫の体は大きさが違うため薬効も違うのだ。
はてさて、どう穏便に済ますべきか。化かして一本に見せた尻尾を揺らし。
「なぁん」
ふと、方法を思い付いた。
猫はハーブ類を口にするとものによって死に至る場合がある。
精油類は特に要注意が必要。
本作において猫又はその類ではないものとする。