11.虎狼より人の口畏し
≪クルト視点≫
リュディガー・シュトラウスにネコ様とそのご主人を私室から連れ出させた後、深く息を吐く。ネコ様という重圧から軽く解放された自分にエガス・ブルクハルト副隊長は極めて冷静に問うた。
「……クルト、実際のところ彼女に実害はないのですか?」
「恐らくは。レオノーラと言いましたか、彼女自身はただの業が深いだけの小娘です」
蛇を彷彿とさせる副隊長殿は、言葉のチョイスと話し方を除けば、合理的で頭の柔らかい、割と真っ当な人間である。
そして、自分の正体を知る協力者でもある。
協力者といっても、自分の正体を秘密にし、我が主について不問に処す代わりに、人力では解決し難い問題を処理するという相互関係なだけだが。
「問題は、彼女の飼い猫様の方で…」
「…あの変わった毛並みの猫が何か?」
「彼女は、我々と同類、つまり妖です」
「ほう?」
「猫又という、年老いて生命の枠組みから外れ、化ける力を得た猫になります」
エガス・ブルクハルト副隊長に、ネコ様の正体を知らせることに迷いはない。
ネコ様の噂は昔から我が主より聞いていたが、実際に対面して分かった。あの方は、自分が誰に正体をバラそうが気にもしない。ただ、彼女のご主人にバラさなければいい。
「なるほどねぇ。レオノーラ嬢の守護とはそのネコマタというあの飼い猫のことでしたか」
「ええ。ただ、あのネコ様は…我々の中で有名な方でして。自分もお会いしたのは今回が初めてですが」
「有名、などあるのですね。貴方達のような中にも」
ひょいと、副隊長殿の片眉が上がる。いくら頭が柔軟な彼とは言え、我々のことを話のわかる魔物としか思えないこの世界の人間だ。妖社会が下手をすれば人間よりも俗っぽいものとは信じられないのも無理はない。
「ええ、彼女は我々の中でも古参に類する妖ですから、その分噂もよく耳にします」
「噂とは、どのような?」
「"主人狂いの飼い猫又"と」
○○○
主人狂いの飼い猫又。
それはネコ様を端的に表した言葉だと、対峙した今ならよく分かる。
彼女の頭はご主人で占められており、彼女の行動理念はご主人のためにある。
猫又である癖に、飼い猫であることに重きを置き、猫である癖に犬のように主人に忠じようとする。
だから、歪む。
白狼天狗である自分には魂を見ることは出来ないが、それでもべったりとネコ様の臭いが染み付いたあの人間には鳥肌が立った。
決して離れぬように。
まるで欠けたレンガを補う粘土のように、ぴったり隙間なく寄り添っているような。粘土が噛み合いやすいように欠けを更に削って無理矢理くっつけたような。そんな違和感がそこにはあった。
正に、あのご主人たる小娘が呪い子と称された通り。ネコ様のご主人への執着は呪いのようなものである。
かつて自分を飼っていたご主人の転生した魂を見つけたのがきっかけだったと聞いている。しかし、その後千年に渡り、ご主人が死ぬたびに、魂を引き寄せ転生させる。
その妄執が、呪いでなくて何なのか。
「"ネコ様の主人に手を出してはならない"、"ネコ様を否定してはならない"、"そもそもネコ様に関わらない事が望ましい"」
かつて、我が主に言われた言葉を復唱する。
「エガス・ブルクハルト副隊長。ネコ様は強い妖です。我々が彼女をネコ様としか呼べない程度に。そして、決してレオノーラ嬢に余計なことは申されませんように」
重々、釘を深く刺す。ネコ様の扱いは非常に厄介なものなのだ。
「でなければ、この世界が滅ぶやもしれません」
ネコ様こそが、我々妖が、異世界へ進出する道を作り上げた方でもあるのだから。
狼の平均寿命は野生で5〜6年。飼育下で15年程度だとか。