10.女の心は猫の目
ごくりと、誰かが喉を鳴らす。
白狼天狗めが、じっとご主人を見つめ。さも今判定してるようにもったぶる。中々どうして、様になっているではないか。基本行商人に化けて手堅く金を稼ぐ天狗の金策係のくせに、十分に辻占でもやっていけそうな胡散臭さだ。
「…はい。全く以って彼女は問題ありませんね」
白狼天狗の溜息一つ。予定調和に出された答えに、一同の肩の力が抜けたようだった。
「恐ろしいほど魔力を多く持っていますので、それが呪い子と呼ばれた由縁でしょう。普通、魔力が多いと魔物に狙われやすくなりますから。しかし彼女には強い守護が有りますので、よほどの魔物…まあ、古代竜か精霊王等、お伽話級でない限り彼女に手を出すことはあり得ませんね。しかも、その守護の関係で、魔力を自分の意思では一切扱えませんし、外部から介入することもできません。毒にも薬にもなりませんから、つまり全く問題がありません」
「ほう?その守護のせいで彼女が住んでいた山は一切の魔物が存在し得なかったと」
「でしょうね。私のように敏感なモノなら絶対関わりたくないほどの守護が彼女にはついています」
淡々と白狼天狗から告げられた言葉には一切の嘘もなく、過不足ない答えに吾輩も満足である。嘘が無いのは以外だが。天狗は別に鬼と違って嘘を嫌ってはいなかった筈なのに。まあ、個人の好みもあるわな。そもそも白狼天狗のくせに狼の獣人と名乗っている時点で既に嘘をついているようなものだ。嘘をつかなかったのはつく必要もなかったからか。
さて、白狼天狗の答えに、ご主人とピカピカ騎士は安堵の表情をしているが。あの蛇男はそれに納得していないようだ。いや、納得した上でご主人の利用法を探っているのか。
「その守護を王都、敷いてはこの国に付けることが可能ですか?」
「………可能か不可能かと言われれば、可能でしょうが、やめた方が良いかと…」
「それはどういう?」
「…守護を拡大した場合、殆どの魔物は居なくなるでしょうが、代わりに一切の精霊も居なくなりますので」
うむ。吾輩であれば、ご主人の住まうこの国全てを縄張りにすることは可能であろう。その際にはこの国中を駆け回ってマーキングをせねばならぬから時間はかかろうが。ご主人の為となれば吝かでもないしな。
しかし、白狼天狗としては嫌だろう。この国全てを吾輩の縄張りにするということは、この国に住まう白狼天狗しいてはその上司の天狗の縄張りも侵すということになる。
縄張り争いは動物の性とはいえ、不必要に勝てない戦を天狗連中も仕掛けたく無かろう。
「それは、困るかも知れませんねぇ」
「困りますって、絶対。それに、彼女の守護を拡大して国を覆う形になりますので、彼女に万一があった場合、守護が解けますし、その後の揺り戻しも懸念されます」
「なるほど……ちょっと待ってください。守護が解けた場合、揺り戻しがあるのですか?とすると、彼女が現在住んでいる山も…」
ご主人が居なくなって、あの山が吾輩の縄張りでは無くなった場合か?それは勿論、化生連中は爆発的に増えるだろうな。吾輩の残り香のような妖力と混じってそれはすごく強い化生が生まれるだろう。吾輩、誰とも婚いだことはないが、そうして幾らかの妖を生み出したことはあるからな。まあ、我が子とも呼べぬ醜き連中であったし、そもそもが吾輩がいなくなってからの場所で生まれる奴らである。吾輩の感知することでもない。
「……ま、まあ。守護が解ける時期を見計らって、生まれたばかりの魔物であれば何とか倒せるのではないですかね…。幸い守護がかかっている場所はあの山だけですし」
「え、それは…私のせいで、あの山に、強い魔物が生まれるということですか?」
ふるふると、吾輩を抱えるご主人の腕が震える。むぅ、白狼天狗め。ご主人を不安にさせるとはどういう了見か。
「ぅなぁあお」
「ッ、イヤイヤ貴女の所為では無いですし、今すぐどうこうということもないのでご安心下さい!」
「…でも、」
「ホント、大丈夫ですから!ああ、飛竜で一日飛んで、その後メルヒオール・シャイト隊長やらエガス・ブルクハルト副隊長やらと話して疲れたのでしょう。疲れたから妙に不安になるんです。そうです。リュディガー・シュトラウス、早く彼女を休ませなさい!飼い猫、もちゃんと連れて、早く!」
「エッあ、はい!」
日和ったなあのヘタレ白髪めが。
○○○
吾輩とご主人を白狼天狗、もう彼奴などヘタレ白髪で良いな。ヘタレ白髪が追い出し、吾輩達は客室へとピカピカ騎士に案内された。
小綺麗で、薬草の臭いもしない、ごく普通の客室である。
吾輩達を案内した後、気を使ったのかピカピカ騎士は部屋から出て行き、吾輩とご主人二人きり。ご主人は早々に寝台へと身体を横たえたものの、眠れず、悩んでいるようだった。
「どうしよう、ネコ。私、わたし、また、ワルイことしてる?どうしよう、どうしよう、またわたしのせいだよ」
「にぃあ」
違う。ご主人のせいではない。
一体、ご主人は何を見当違いのことで悩んでいる。何故、そうも気弱でいるのだ。
「何で、でも、私が死んだら、強くて怖くて危ない魔物が生まれるんだよね。私のせいで、迷惑がかかるんだよね。わたしのせいだよね」
確かに、ご主人が死ねばまた新しくご主人が産まれるのを追いかけて、あの縄張りは放棄するから何かしらの化生は産まれるであろう。でも、それは今のご主人の死後のことであって、ご主人には全く関係ないことだ。何故そうも恐れる。
「魔物って怖いんだって、強い魔物を倒す為に、何人も騎士の人が犠牲になったりするんだって。騎士の人達は命懸けの仕事してるんだって。どうしよう。騎士の人たちがいっぱい死んじゃうよ。どうしよう」
全く、誰だ余計な事をご主人に吹き込んだのは。あの蛇男か?それとも他の誰かか?
未だ起こってもいなければ、死んでもいない連中を気にかけてどうする。否、そもそもだ。
ご主人が他人を気にかけてどうする。
吾輩のご主人であるのなら、しゃんと胸を張って、他人の屍を踏み台にして幸せを掴んで貰わねば。築いた屍の数を誇っても、悔いるなどあってはならない。それはご主人のする事ではない。
「ふにぁん」
ぺったりと、ご主人の顔に前脚の肉球を押し当ててやる。あのヘタレ白髪の言うように、ご主人はきっと疲れているのだ。疲れて、心にもない事を口走ってるに違いない。
だって、ご主人は吾輩のご主人なのだ。
「…ありがとう、ネコ。だぁいすき」
「みぃ」
吾輩の大好きなご主人なのだ。
※猫の肉球はケラチン質の滑らかな表皮、コラーゲンとゼリー状のヒアルロン酸をたっぷり含んだ真皮、そして脂肪球で構成されています。