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パスワード強化

「それで、君のアカウントをパワーアップしたいんだよね?」

「そうなの! やることは一杯あるから! 絶対頑張ってね!」

(……近ッ!?)


 二人は椅子を横に並べて紫苑の机の上のパソコンに向かった。必然的に肩と肩が触れ合うスレスレの近距離となる。紫苑が勉強を教えてあげる時もこれくらいの近距離だが、今日の楓は服装が違う。学生服の女の子とお洒落した女の子は丸っきり別人なのだ。


(……眼鏡を変えてちょっと髪を整えただけなのに、こんなことでやられてしまう僕って!?)


 凄くキスしたい! ちょっと首を伸ばせば簡単に唇を奪えてしまう距離にいる。肌から沸き上がる彼女の真実がそのまま嗅ぎ取れてしまう距離。そしてここは自分の部屋で二人っきり。母親がおやつを持って上がってくるのはもっと後。邪魔は絶対に入らない。何もかもが自分に有利で凄くチョロい状況だ。


 楓はジーッとPCの方を向いていて、紫苑がそういう心境なことに全く気付いていない。


(……瀬川さんは、僕の前だけでは凄く無防備なんだ。この僕だから気を許してくれているんだ。こんな僕がちょっとその気になれば何でも出来てしまいそうな位置にノコノコと何の警戒も無く来てしまうのは、それだけ僕が信頼されているということなんだ。僕は瀬川さんの特別なんだ。と、思いたい。これは僕の妄想なのか? 虫の良い勘違いなのか? キスしちゃっても別に良いんじゃないの、これ? 向こうが誘ってるんじゃないの? キスしてって意味だよ、絶対! ううっ……)

「どうしたの、新条くん?」

「い、いや、別に造作も無いことさ。じ、じゃあ、早速始めようか」


 忍耐と決心の間で揺れまくる紫苑だったが、必死で耐えた。


「えっと、カレイドスコープで検索して、トップページからログイン……」



―――ネットアイドル特化型SNS、カレイドスコープ


 アメリカの新興企業が運営しているSNSソーシャル・ネットワーキング・サービスである。世界中で大流行しており、登録アカウント数は十億人。SNSというのはサービス毎に利用者に一定の傾向があり、カレイドスコープの場合は若者が多く利用している。日本特有の傾向として、女性の方が情報を発信し、男性の方はそれを見るだけ、という使い方をするケースが多い。


 カレイドスコープの最大の特徴、それは『ネットアイドル特化型』ということだ。その名の通り、ネットアイドル活動を行う為の機能が充実している。


 例を挙げると、まず自分の名前は「本名」「ハンドルネーム」「芸名」を登録可能で、どの情報をファンに公開するかを選択出来る。登録可能な情報も豊富だ。年齢、血液型、出身地に始まり、スリーサイズなどのプライベートな情報まで、凡そファンが知りたがるような情報を一通り登録出来る。

 登録情報は検索やマッチングにも活用されており、例えば「小柄でおっぱいが大きいアイドル」のページを見ていると、オススメアイドルもその系統の人が表示されたりする。


 一番の目玉機能は、やはり『編集機能』だろう。カレイドスコープ内部に画像、音楽、動画のコンテンツ管理編集機能を備えている。一般のイメージだとそれらの編集は専用の高価なソフトウェアを使用しなければ不可能と思われているが、カレイドスコープはブラウザだけでそれをやってのける。

 編集モードも「簡単モード」「高機能モード」を選択可能で、使い易いように自分でカスタマイズも出来る。専用ソフトウェアは難しくて素人では扱いきれないが、カレイドスコープは凡そ素人が必要とするであろう機能に絞って提供しているので使い勝手は抜群に優れる。パソコンだけでなくスマホやタブレットでも使用出来るのはカレイドスコープならではだ。


 とは言え、カレイドスコープも万能ではない。全機能を解放するにはOSが最新でなければならず、古いPCを使っている場合は機能に制限が入る。パソコン、スマホ、タブレッドでも解禁されている機能が異なる。

 それぞれ長所と短所があるが、一般に定着している使い方としては、技術に習熟している上級者はパソコンから高機能モードを使用し、初心者はスマホかタブレッドで簡単モードを使うというものだ。簡単モードはクリックだけで殆ど自動進行である。


 紫苑と楓の場合、面倒な設定は紫苑がパソコンで行い、日頃のアップロードや簡単な編集は楓がスマホから簡単モードで行う、という運用を想定して進行する。



―――。



 紫苑が主に使っているのは別のつぶやきSNSだが、ログインまでの手順なんてどこのSNSも同じだ。慣れた手つきでログインページを表示すると、テキストボックスが二つあるページが表示された。


「IDとパスワードは?」

「ちょっと待って!」

「はい?」


 楓は部屋のドアをソーッと開けると外の様子を伺っているようだ。


「何してるの?」

「IDとパスワードが盗み取られたら大変なんだよ! それで何もかも失っちゃった人は沢山いるんだから!」

「そ、そうだね……」


 間違っているわけではないが、そんなドアの裏に潜んでIDとパスワードを盗もうとするのは産業スパイとかそういうのだろう。何でこんな一般家庭の家にそんなヤツが潜んでいると思うのか。中途半端に囓った知識でインターネットを間違った方向で恐れる。これだから初心者はッ!


「それで、まずIDから……って、ああ、そうか」


 まだ聞いていないのに紫苑は勝手にIDを打ち込んだ。


「なっ!? 何で私のID知ってるの!? し、新条くん! 私のパソコンにウイルスを感染させて私の何もかもを赤裸々に抜き取ったのッッッ!?!?!?」

「そんなことしないし、出来ないよッ! この前教えて貰ったURLの右から三番目がIDなんだ。カレイドスコープはそういう仕様なんだ」

「じ、情報流出!? 何てことかしら!?」

「IDは公開するものなんだから別に良いんだよ。守らなきゃいけないのはパスワードだよ」


 楓はITには相当弱いようだ。こんなにインターネットにビビっているのに良く情報を配信する側に立とうと思ったものである。自ら実名でSNSに顔写真を載せている癖にIDが見えているだけで何が情報流出だ!


「それで、パスワードは?」

「それは秘密だよ! 新条くんにも絶対に秘密ッ! これだけは私が地獄まで持って行くんだからッ!」

「君は死んだら地獄に落ちるつもりなのかッ!? まあ、パスワードは秘密にしても良いけど、それってブログの管理は自分で行うってことだよ? 家で何か分からないことがあっても僕がパスワードを知らなきゃログイン出来ないからね。ちょっと何かしたらページが壊れちゃった、とかなった時に自分で復旧出来る?」

「そ、そうね。う~ん、う~ん、う~ん……」


 散々迷った末の楓の結論は。


「ど、どうしよう?」

「君が決めるんだよ!」

「は、は、はいッ! お、お、教えますッ!」

(……しっかりしているように見えてすぐ折れるんだよな、瀬川さんって。でもそういう出来の悪い所も可愛いんだよな)

「でも私のパスワードを知ったら新条くんはもう本当に逃げられないんだよ! 私の事を丸裸にして何もかも知り尽くしているってことになるんだから! 地獄まで一緒に行って貰うことになるから! 絶対だよっ!?」

「秘密を共有し合う仲なんだ。お付き合いしますよ」


 本当にあの世まで連れ添うことになってもそれはそれで願ったり、と思っているのは黙っておく。


「はい、メモとペン。これに書いて」

「パスワードをメモに書いて机に張っちゃいけないの!」

「そんなこと言ったって覚えるまではメモっておかざるを得ないでしょ!」

「じゃあ、今覚えて。新条くんなら出来るはずだもん」

「覚えるから書いてみて」


 楓はネットアイドルを始める前に本か何かで勉強したのだろう。基本、教科書の丸暗記しか出来ない女だ。『初めてのインターネット』みたいな本に書いてある知識をそのまま鵜呑みにしていると思われる。楓は指示通りに紫苑の渡したメモにパスワードを書き込む。


「はいッ!」


 そして素早い動作で紫苑の目の前でメモを見せて、すぐ閉じた。


「終わり! 覚えた!?」

「速いよ! 他人のパスワードを一秒足らずで覚えられるわけ無いよ!」

「新条くんなら出来るはず!」

「まあ、覚えたんだけどね。maple1213。mapleってのは君の名前を英語に変えただけのハンドルネーム。1213ってのは君の誕生日だ。そして君は誕生日をSNS上に公開している。実に推測し易い、強度の低いパスワードだよ。僕がハッカーだったらわざわざ聞かなくても一分以内に破れる」

「嘘……」


 それを聞くと楓は顔色を真っ青にしてピラッと書いたばかりのメモを地に落とした。


(……パスワードはpasswordでなければ大丈夫とでも思ってたのかな? でもこれ、ちょっと面白そうかも)


 本気でビビりまくる楓を見ていると紫苑の心に魔が差してしまった。


「瀬川さん、大変なことをしてしまったね」

「な、何よ?」

「インターネットってのは恐ろしい所なんだよ。アメリカやロシアの諜報機関とか、世界中のスーパーハッカーが脆弱性のあるサイトが無いかと日夜嗅ぎ回っている。そういう所で真っ先に餌食になるのは、破られやすいパスワードを使っているこういうアカウントなんだよ」

「ど、どうすればいいの……?」

「どうするって言われても、このパスワードって最初からなんでしょ? こんな状態で一ヶ月以上も放置していたら、とっくの昔に君の全情報は抜き取られているかも。困ったな。助けてあげたいけど、流石の僕もインターネットの幹部が相手じゃ太刀打ち出来ないかも」

「や、やめてよ……。怖がっている私をからかうのがそんなに楽しいの……?」

(……超楽しい!)


 自分でも知らなかった性癖に目覚めてしまいそうだ。


「でも、やるだけのことはやってみるよ。この程度の脆弱サイトは山のようにあるから、世界中のスーパーハッカーもイチイチ相手にしてられないってのが実情だろうし、今ウイルスが仕込まれたりしていないかチェックすれば大丈夫さ。でも本当に既にウイルスが仕込まれ済みで一ヶ月も経っちゃった後だったら、君はもう……」

「やめてってば!」

「どうせ何も出やしないよ。大丈夫だって。でもパスワードは早急に変えた方が良いかもね。それこそネットアイドルとして人気が出たら本当に不正アクセスしてくるヤツが現れても不思議じゃない」

「ど、どんなパスワードにすればいいの!?」

「何の意味も無い文字の乱数が一番だけど、それだと覚えられないからね。推測され難い、他人から見て自分とは関係無い、でも自分にとっては重要で絶対に忘れない情報が良い。あと、英語の小文字と大文字と数字と記号を織り交ぜて八文字以上もあれば十分じゃないかな?」

「な、なら、これッ!」


 楓は名案を思いついたのか、直ぐにメモとペンを持ち直すと凄い勢いで書き走った。そして改めて紫苑の目の見せる。


「これならどう!? Sh!on0704。新条くん、貴方の名前よ! 新条くんが私のプロデューサーだって話は絶対秘密だし、貴方だって自分の名前なら覚え易いでしょ? 絶対に他人には推測されないパスワードでしょッ!?」

「い、い、良いんじゃない?」

「良かった~。これで安心だね。早速だけどパスワード変えて貰える?」

「僕の誕生日が七月四日だってよく知ってたね……」

「えっ?」

「へっ?」


 数秒の間、二人は黙って見つめ合ったが、そのうち楓の顔がカアッとリンゴのように赤くなった。


「す、少し前に知り合いのスーパーハッカーに頼んで調べて貰ったの! 新条くんの事は私に全部筒抜けなんだからね!」

(……瀬川さん。僕の誕生日、知っててくれたんだ……)


 耳まで真っ赤にして一秒でバレる大嘘を言う楓は凄く可愛らしかった。そして楓のブログのパスワードが自分の名前になったということは、これから楓はブログにアクセスする度に自分の事を思い浮かべるということとなのだ。

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