自宅へ
「新条くんって一軒家だったんだね。都内で一軒家って凄いよね」
「父さんが拘ったんだ。まあ、その父さんは今は海外に出張中なんだけど」
「エリートさんなんだね」
「まあ、そこそこ」
土曜日の昼過ぎ。紫苑と楓は駅で待ち合わせしてそのまま真っ直ぐ紫苑の家に帰ってきた。紫苑の家は東京都内にある二階建てだ。平日はここから電車に乗って三十分で学校に通っている。
楓は白のワンピースに紺のカーディガンを羽織る服装だった。靴は藍色のパンプスである。改めて上半身を見るとワンピースのお腹には赤色のベルトが巻かれており、靴と合わせてある。私服を見るのは始めてだが、知的で上品な印象を抱かせる服装で、隅々までお洒落が行き届いていた。そして何より、眼鏡がいつもの大きなまん丸眼鏡ではなく、細くて四角い赤縁の眼鏡だ! 学校用とお出掛け用で違う眼鏡を持っているのだ!
(……凄い! 大人のお姉さんに見える! キスしたい!)
服装の違いからだろうか、今日は胸まで大きく見える。真面目で清潔で清廉な楓が休日になると色っぽさ一二○パーセントアップ! 感動的だ。
居ても立っても居られなかったが、一応、紫苑も格好付けねばならないので、下心が見えないようクールを気取って家に入った。
「ただいま~」
「お邪魔します」
「あら、いらっしゃい。瀬川さんね。私のこと分かる?」
「新条くんのお母様ですよね。去年の授業参観でお会いしたのを覚えています。今日は新条くんに勉強とパソコンを教えて貰いたくて招待して頂きました」
「息子が女の子を家に連れてくるなんて吃驚しちゃった。この子って家だといつも部屋に籠もってパソコンばっかりやってるの。親に隠れてパソコンしている時点で何をやっているかなんてお察しよね。ちゃんと本物の女の子が来てくれて良かったわ♪」
(……恥ずかしいよ、母さん!)
紫苑はこの家の一人息子で、母親が二十八歳の時に生まれている。従って現在の年齢は四五歳だ。年齢に比べると随分若く見えて美人だと授業参観の度に評判になる。自分では分からないが紫苑は母親似だとよく言われるので、他人は顔を見るだけで紫苑の母親だと直ぐに分かるらしい。海外赴任中の父親の留守を守る専業主婦である。
「後でおやつを持って行くわ。ゆっくりしていってね♪」
―――。
(……とは言え、瀬川さんを家に連れ込むまでは成功してしまった)
二階にある紫苑の部屋に入ると、楓は物珍しそうにキョロキョロと部屋を見渡し始めた。
シーンと静まりかえった部屋に自分の部屋に好きな女の子と二人っきり。長年夢見たシチュエーションだ。
紫苑の部屋はカーテンやベッドのシーツなど全体的に青色のチェック模様を基調としている。カーペットは水色一色。棚には参考書や問題集が並んでいる。机の上にはノートPCが一台。それ以外に特にフィギュア等の玩具は見当たらない。
「新条くんのお部屋ってこんな風だったんだ。綺麗な部屋だね」
「こんなもんさ」
(……掃除するの大変だったんだぞ。でもこれで瀬川さんの僕に対する印象もアップするはず。女の子からの印象を良くするには清潔感が第一だからな)
紫苑は事前に部屋の掃除を行っている。見られてマズい物など一つも残していない。埃一つ落ちていない。窓の隅々まで雑巾で拭いた。床のカーペットもわざわざひっぺ返し、虫干ししてダニを滅殺した。カーテンは自分で薬品を買ってきてドライクリーニングした。机や本棚にはワックスを塗って磨いてある。
今日に備えて無菌室のように完全に掃除済み。快活な太陽の臭いが充満している。いつ、どのタイミングで楓を床やベッドにコロンとさせても清潔で安心の部屋作りである。
そして紫苑自身もついさっき風呂にを浴びて体を綺麗にしている。茹で上がるような高熱の風呂に入って汗を流しきり、上がってからは栄養ドリンクとビダミン剤を飲んだ。
この辺りの用意周到さが紫苑のの本領発揮だ。普通の人間なら「そこまでやってらんないよ!」という所までやってくるのが紫苑という男である。
(……準備は万全。よ~し、僕、頑張っちゃうぞ♪ と思いたいところだけど……)
ここまで準備を整えているにも関わらず、紫苑にはまだ一抹の不安があった。自分の準備は完璧であるが、楓の方はどこまで準備があるのか分からない。
服装を見る限り、楓は明らかにお出掛け用のお洒落をしてきている。普段の制服姿も可愛いが、私服の今は目を見張るように可愛い! 凄く気合い入れてお洒落してきたのではないか、と思いたい。しかし素振りを見る限り普通である。好きな男の子の部屋に入る時に女の子が浮かべそうな緊張や恥じらいみたいなものが全く見えない。実にすんなりと、自然に部屋に入ってきてしまった。
ってことは、何だ? 単にお友達の家に来ているだけの感覚ってこと? 楓は自分を男だとは見ていないのだろうか?
部屋に入った楓は部屋をあちこち歩き回り、隅から隅までチェックして回っている。
「私、男の子の部屋に入れて貰ったの初めて。私、女の子だから新条くんくらいじゃないと安心して遊びに行けないもんね。珍しい体験させて貰っちゃった♪」
(……あ、あれ?)
一応、男の部屋だという意識はあるようだ。頭の中は一体どうなってるの??? 楓は嬉しそうである。と言うより、どこかはしゃいでいる。
「ん~。よいしょ」
次に楓は、何を思ったか、カバンを床に置いてベッドに腰をかける。ギシッと音が鳴った。
「ベッドは私のより堅めだね。男の子のは女の子よりも堅めのベッドが好きなものなのかな?」
「し、知らないよ。女の子のベッドの堅さなんて」
「シーツもサラサラ。枕もスベスベ。ホテルに来ているみたい」
「それは今朝替えたんだ。別に毎日そんなクリーニング仕立てってわけじゃないよ」
楓はベッドばかり念入りに調べている。
しまった。ミスったかもしれない。確かにこの部屋は念入りに掃除済みだ。ホテル顔負けの清掃を行い、ベッドメイキングも完璧だが、完璧にやり過ぎた。
自分はただ綺麗にしようと思っただけなのに、そういう意図があると誤解されたかも。
「ベッドの下はどうなっているかな?」
次はベッドの上から頭を落とし逆さになって下を覗く。
「男の子ってこういう所にエッチな本を隠すんだよね?」
「僕はそんなもの無いってば」
「あっ!? 何か雑誌みたいなものがある!」
「引っかけようとしたって無駄無駄。そんなものは無い。そこも掃除したんだから」
「本当かな? 見落としたりすることもあるんじゃない?」
「無い無い」
こんな誘いには乗らない。掃除は完璧だ。ベッドを横転させて掃除機をかけてカーペットを叩いて太陽の光を差し込んで虫干しして、塵一つ残していない。
「そこまで言うなら、後悔しても知らないぞ。よいしょ」
ハッタリをゴリ押ししたいのか、遂に楓はベッドの下にガサゴソと猫みたいに潜り込んでしまった。カーペットと服が部屋に響くが、そのうち静かになった。
「あれ? 瀬川さん?」
どうしたのかとベッドの下を覗くと、楓は普通にこっちを向いてそこにいた。
「にゃ~ん♪」
「何がにゃ~んだよ。ほら、出ておいで」
「出して~♪」
「仕方無いなぁ。ほら」
「きゃ」
紫苑も地べたに這いつくばってベッドの下の楓の手を掴むと、ぐいーっと引っ張る。流石は男だ。片腕の体勢でも難無く楓を引っ張り出した。
「何やってるのさ、もう」
「お友達の家に行ったら、こうして隠れんぼしない?」
「僕達はもう高校生だよ。いつの頃の話してるのさ?」
「ふふ」
付き合ってあげているこっちが恥ずかしくなってくる。
大人のお姉さんに見えたり、幼稚園児みたいに子供っぽく見えたり、色々な顔のある面白い女の子だ。
「ほら。そろそろ始めるよ。ネットアイドルの仕事するんでしょ?」
「うん。頑張ってね。新条くんだけが頼りなんだから♪」
やれやれ、と紫苑は溜め息をついた。