世界一のネットアイドル
「まさかここまでになるとは思わなかったよ」
「私もビックリ!」
ある喫茶店のカウンター席で、二人のカップルが仲良さそうにおしゃべりしている。新条 紫苑と瀬川 楓。今では二人は共に大学二年生。しかも東大生だ。
紫苑と楓が正式に付き合い始めてから三年が経った。
二人は未だに清い交際を続けており、楓は今でもネットアイドルを続けている。
『これからはグローバルの時代なのっ!』
まだ高校生だったある日、楓はこんなことを言い出した。またどこかで聞きかじったような中途半端な知識を、と思ったが、聞いてみるとブログの記事を英語で書いたらどうか、というものだ。
中身は今までと変わらない。普通の日記である。しかし、楓が得意の英語を活かし、文章の上の方を英語で書いて、下の方に和訳を書くのだ。
これが勉強になると評判で、多くの受験生や英語習得を目指す社会人がこぞって読みに来た。卒業する頃にはカレイドポイント六百万に到達し、百合と並ぶ学校の二大ネットアイドルとなった。しかし、話はそれで終わらない。決定的なブレイクは卒業後に訪れた。
東京大学への合格である。
『東大生ネットアイドル』
頭に東大が付く。これが日本では最強のキラーワードなのだ。
高校時代から『教育・学習』の部門でトップクラスの人気を誇った楓は、高校時代の勉強の軌跡が世間に知れ渡っている。そして有言実行で見事に東大生になった。大学進学を目指して頑張る中学生と高校生の憧れの星なのだ。
今、楓は東京大学で一番のネットアイドルだ。これはつまり、日本の大学生で一番のネットアイドルを意味する。記事が英語なので外国からもファンが集まっている。
そして、カレイドスコープ『教育・学習』部門の第一位。遂に楓は世界一のネットアイドルに上り詰めたのだった。
―――。
「僕達が映画化されちゃうなんて……」
「ちょっと恥ずかしいけど。でも嬉しいよね♪」
これでもまだ終わらない。中学時代は偏差値四○台の落ちこぼれだった女の子が頑張って東大に入った、というストーリーは映画化や書籍化、ドラマ化などメディアミックス展開が可能なくらい絶妙に日本人の趣向にハマった。
加えて、どこから嗅ぎ付けられたのか分からないが、その彼氏である紫苑の正体が知る人ぞ知るあの有名なペロペロ神であると、いつの間にかネットで出回っていた。
ネットのアンダーグラウンドな部分で大人気。まとめサイトや改変コピペは山ほどある。やられてしまった。何てこった。
そんなこんなで、とにかく誰もが憧れるような理想のカップルになった紫苑と楓。今日はその映画の公開初日だ。
ここは映画館の正面にある喫茶店だ。どんな映画かは事前に観ているから今更二人が映画館に足を運ぶことは無い。しかし、楓が前売り予約券を二枚買っていた。どうするのか、と聞いてみたところ、楓はこう答えた。
『お父さんとお母さんにプレゼントするの♪』
(……楓さんのご両親か)
もう付き合って三年にもなる。彼女の家庭の事情は聞いている。楓は一緒に住んでいる母親と、離れている父親、それぞれに自分達の映画のチケットを送ったのだ。
そのチケットの指定日時が、今から二五分後。目の前の映画館である。間もなく、楓の両親が映画を観に来るはず。それをこっそり近くの喫茶店で待ち伏せしているのだ。
その時、楓が気付いた。
「あ、お母さんだ!」
一人の女性が歩いてくるのが見えた。
楓の母親とは何度も面識がある。四十代前半で、かなり美人なキャリアウーマンだ。しかし端から見ても表情は浮かんでいない。俯きがちで暗い表情である。気が進まないようだ。映画館の前に来ると、そこで立ち止まって誰かを待つ。
「お父さん!」
(……あれが楓さんのお父さん……)
次に楓は父親を見つけたようだ。背が高くて肩幅も広く、胸板も厚い。あの優れた体格は、恐らく若い頃に相当激しいスポーツを経験して身につけたものだと思われる。堀が深い顔立ちで、口ひげを蓄え、なかなかのダンディーである。眉間にしわが寄って厳格な顔をしている。楓とは全然似ていない。
真っ直ぐに楓の母親の方に歩いて行く。
二人共、目の前まで来たは良いものの、父親は睨み付けるみたいだし、母親は目を合わせようとしない。気まずい。
(……大丈夫かな。心配になってきた……。ん?)
どうやら父親の方から何か言ったようだ。母親の方は驚いたように顔を上げる。更に父親が話を続ける。次の瞬間。
(……あっ!?!?!?!?!?)
母親がジャンプして父親の首に腕を巻いて捉え、熱烈にキスした。
あんな街のど真ん中でよくやる! 知らぬとは言え娘が観ているというのに。そのままご両親は腕を組んで、新婚さんみたいに中に入っていった。
(……あんなラブラブ中年カップル初めて見たッッッ!! あれは果たして楓さんの狙い通りになっているのか……。あっ……。そうか……)
その光景に、紫苑は思わず目を細める。
両目から涙を零す彼女の頭上から、金色の光が降り注いでいた。
(……楓さんは、成し遂げたんだ)
紫苑は楓を抱き寄せ、優しく頭を撫でてあげた。
「よく頑張ったね、楓さん。頑張ったね、頑張ったね」
「うん……ッ! うん……ッ!」
その夜、誰も知らない秘密のSNSに、こんなつぶやきが書き込まれた。
『ちょっとゆっくりだけど、世界で一番の頑張り屋さん。僕はそんな彼女が大好きだ』
完
長きに渡りご愛読ありがとうございました。