過去ログ4・日直当番
(……寝坊した!)
瀬川 楓。高校一年生。今日は日直当番だ。
楓のクラスの日直当番は男女二名で出席番号順に進行する。男女の数は違うので回る度に少しずつズレていく。何回か回って、遂に今日は紫苑と同じに日直となったのだ。
楓は日頃から紫苑の世話になっている。今日ばかりは日頃のお礼を込めて頑張らなければ、と意気込んでいたが、意気込み過ぎて夜眠れなくて寝坊した。
判を押したように同じ生活を続けることが出来る、という点だけが取り柄なのに、ここぞという時に限ってミスを犯す。自分でも嫌になってしまうが、とにかく今は全力ダッシュで登校中である。
遅刻と言っても、楓の登校時間は早い。一〇分や二〇分遅れたところで始業に間に合わなくなることはない。しかし問題は、紫苑も同じように登校が早いことだ。その二人が日直当番であれば、早い時間に作業を開始することは自然な流れである。
しかし、今日に限って楓が来ない。それを知ったら紫苑はどう思うだろうか?
『一緒に日直をするのが嫌なのかも』
そう思われたらどうしよう!?
楓は全力ダッシュで教室に駆け込んでいく。ガラッとけたたましく扉を開けた。
「おはよげほごござごほッッ!?!?!?」
「えっ!? お、おはよ……。ち、ちょっと、大丈夫? 瀬川さん!?」
「ごべんださだいじょべごごほッッ!?!?!?」
「み、水飲んで、ほら!? 水筒出すよ!」
多少遅刻したが、それでもまだ早い時間だ。教室内には楓と紫苑以外誰もいない。
楓が手提げカバンの中に水筒を入れていることを知っていた紫苑は、カバンの中から水筒を出して楓に飲ませてあげた。
「ん……ぶごッッ!?!?!?」
「わっ!?」
しかし、咳き込んで茶を吹き出した。
「ぼ、僕が拭いておくから、少し休んで!」
「は、はい……ハーハー」
(……な、何てことかしら!?)
この様なら多少遅くとも落ち着いて登校した方が良かったかも。
カバンを置いて数分休む。その間、紫苑は茶をこぼした床を拭きつつ、楓の様子を見てくれていた。
「も、もう大丈夫! お、遅くなってごめんなさい!」
「い、いや、別に遅刻したわけじゃないし」
「で、でもッ!?」
楓の心配したとおり、日直の仕事は殆ど終わっていた。楓が遅れたので良かれと思って紫苑は一人で先に作業を始めていたのだ。紫苑は仕事が早い。黒板も綺麗に消して、黒板消しも叩いた後だ。教室も部屋中ピカピカだった。
「な、何かやること残ってませんかッ!?」
「じ、じゃあ、黒板に名前を書いて貰おうかな。だ、大丈夫? まだ息が上がっているみたいだけど……」
「大丈夫ですッ! 書きますッ!」
黒板の右下には日直当番の名前を書く枠がある。楓はチョークを手に取り、そこに紫苑と自分の名前を書き込んだ。
「……??????」
(……ハッ!?)
紫苑が怪訝な顔をしているので、ようやく気がついた。
慌てていた楓は、高校に入って正式に名乗るようになった今の瀬川性ではなく、中学時代に名乗っていた元々の性、父親の性を書き込んでしまったのだ。
(……あっ……)
その瞬間、昔の記憶がフラッシュバックした。
自分の成績の悪さについて争う父と母。離婚。それを他の生徒にバレないよう偽装した。泣いて頭を下げる母の姿。気が狂ったように勉強して進学校へ。
ハイレベルな進学校。周囲に比べて劣る自分。環境についていけない。焦りは憎しみに変わり、その矛先は一番親切にしてくれた最優秀生徒に向いた。
何もかもが重過ぎた。自分はそんな重い物を背負い切れる人間では、到底なかった。
それでも、表向きには何の問題も無いかのように装い続けてきた。しかし、嘘には限界がある。遂にミスを犯した。しかも、この人の前で。この人は鋭い。僅かな手掛かりも見逃さない。誤魔化せない。
日頃の心労と勉強疲れ。昨日はよく眠れず体調が悪く、今は走ってきたばかりで動悸が治まっていない。
(……あっあっ。なにこれ、なにこれっ!?)
ぐるぐるぐるぐるっと視界が回転する。気絶するってこういうことなんだ、珍しい体験をしたな、と最後は何かピントのズレたことを考えていた。