結託
「ごめんなさい。許してください。この通りです。この件はみんなに内密に。特に新条くんには秘密に。バラされたら生きて行けません」
二秒後、楓はトイレの床に額を擦り付けて百合に謝り倒していた。
「か、楓ちゃん! 顔を上げて! いくら何でもトイレで土下座は無いよ!」
「許してくれるまで顔を上げません。許してくれないなら私はトイレに流されて消えてなくなります。本当に自分の命よりも重要です。死にます。冗談ではありません」
「許してあげるから! ほら、顔を上げて」
「百合ちゃん~~~~ッッッ!!!」
顔を上げた百合は涙はボロボロ、鼻水はズルズルで、とても男子には見せられない酷い有様だった。
「と、とりあえずここから出ようね。何でトイレなんかにいなきゃいけないのか……」
泣きじゃくる楓の手を引いて、百合はトイレから出て空き教室に移動した。
―――。
(……授業始まっちゃった)
空き教室は机も椅子も無かったが、教壇はあった。教壇の段差をイス代わりに楓を座らせた百合は時間を確認すると、既に次の授業が始まっている。しかし、どう考えてもこれは授業より楓が優先であろう。
ひとまず紫苑にメールを送ってみる。
『楓ちゃんを見つけたよ。そっちは?』
すぐに紫苑からメールが返ってきた。
『アイツラは何とかした。先生には瀬川さんの体調が悪くなったから西沢さんが付き添ってることにしてる』
(……流石紫苑くん。上手い)
楓の体調不良で百合が付き添い。これなら何とでも言い訳が立つし、実態としても大筋として嘘では無い。
『楓ちゃんの事は任せておいて。先生にはまだ時間掛かるって言っておいてね』
『ありがとう。ごめんね』
ひとまずこれで授業をサボっていることは乗り切れそうだ。
(……さて、問題は……)
「…………」
スマホを閉まった百合は楓の様子を伺う。膝の中に頭を抱えて、無言でうなだれている。完全に自己嫌悪に陥っていると見受けられる。黙っていても進まないので話し掛けてみる。
とりあえず、うっかり見てしまったスマホの記事のことだ。
「あ、あの、楓ちゃん。き、聞きづらいんだけど、あ、あれって、何だったのかな?」
「日記。私の」
楓は顔を上げず断片的に言葉を紡ぐくらいしか出来ないようだ。
「あ、あはは。か、楓ちゃん、やっぱり紫苑くんのこと好きだったんだね。そうなんじゃないかなぁとはずっと思ってたけど」
「…………」
無言である。
「ご、ゴメンね。私ったら楓ちゃんの気持ちも考えないで」
「百合ちゃんは悪く無いよ……」
「私が紫苑くんと話してたら気になっちゃうよね。ゴメンね」
伏せたままフルフルと頭を横に振るわせる。
「そ、そんなに好きなんだったら、告白すれば良かったのに。紫苑くんも楓ちゃんの事が好きなわけだし」
「だって……だって……」
ようやく楓は顔を上げたが、ダバーッと滝のように涙が流れていた。
「私、穢れているから」
「穢れているって、またそんな……」
まさか既に男性経験があったりするのだろうか、と一瞬不安になってしまったが、楓に限ってそれは無いと考え直した。
「これとか……」
楓の上着の内ポケットから男物のシャープペンが出てきた。先ほど読んだ日記によると、これは本当は紫苑の持ち物のはずだ。紫苑は楓が用意した同じ形の違うシャープペンを知らずに使っている。
「ストーカーだし、窃盗犯だし」
「窃盗って程のことじゃ……」
同じ物を用意して入れ替える手口なのだから、窃盗は窃盗だが盗まれている紫苑が困るわけでは無い。
とはいえ、やはり普通はこんなことやらない。
「紫苑くんが勉強を教えてくれたの。最初はね、その時に使ったノートが宝物だったの。でもね、魔が差しちゃったの。もっと色々欲しいなって」
「それで、同じシャープペンを買ってきて、コソッと入れ替えた」
コクリと一度だけ頷く。
「そしたらね、舞い上がっちゃってね」
「他にもあるの?」
「消しゴム、定規、ボールペン。結局、筆箱丸ごと……」
「はは……」
同じ物と入れ替えると言っても、使用した痕とかは微妙に違うわけだから、ふとしたことで気付かれる危険もあると思うが……。まあ、紫苑もまさか自分の持ち物が入れ替わっているとは思うまい。使い古しが新品に入れ替わることで綺麗になるわけだし、気にならなかったのだろう。
「Yシャツ、体操服」
「は?」
楓はガソコソといつも弁当を入れている鞄を漁ると、確かにその奥から体操服が出てきた。胸には「新条」と名札が縫い付けてある。
(……え、本当に?)
流石に目が点になった。
どうやってこんな物を入れ替えたのか? そもそもいつも持ち歩いているのか?
「Yシャツは家で着てるの。お風呂上がりに下着の上から紫苑くんのブカブカのYシャツを着て鏡を見ると、まるで私と紫苑くんが同棲しているかのような気分になれるの。体操服は、こんな風に泣きたい時に涙を拭くように使っているの。紫苑くんが優しく慰めてくれているみたいで落ち着くの」
そう言って、楓は紫苑の体操服を左頬に押し当て抱き締めるようにギュッとした。
「変態だよね」
「え? あ、いやいや、そ、そんなこと無いよ!」
流石にドン引きしたが、百合は強いので持ちこたえた。
「私、気狂ってるの。自覚あるの。私みたいな地雷女を新条くんに踏ませるわけにはいかないの。正しいお付き合いなんて出来ないの」
「わ、私は大丈夫なんじゃないかと思うな。紫苑くん自身もかなり……な所もあるし、ちゃんと受け止めて貰えるんじゃないかな?」
「それに、百合ちゃんも紫苑くんのこと好きだから」
「えっ?」
「百合ちゃんも紫苑くんのこと好きだから。百合ちゃんなら、紫苑くんとも釣り合うから。私はいない方が二人の為になるから」
それを聞くと、百合の両目からも大量の涙が伝わり落ちた。
「あのね、楓ちゃん。私、聞いちゃったの。紫苑くんが好きなのは、楓ちゃんだって」
「え? き、聞いたって?」
「紫苑くんがそう言ったの。みんなの前で。ついさっき」
「えッッッッッ!?!?!?!?」
「知ってたけど。知ってたけど。ずっと知ってたけど。本人の口から、聞いちゃったの。だから私、もう諦める! 紫苑くん自身が、そう言ったからッ! 本人から、聞いたから! だから代わりに、楓ちゃんを紫苑くんとくっつけてあげる! 紫苑くんが好きなのは、楓ちゃんだからッ!」
「百合ちゃん……ッ! ぐすっ……」
二人は午後をずっと、二人きりで泣き通した。