第?話 「往くとしよう」
あんまりの退屈さに、俺は大きく欠伸をした。
光もロクに差さない路地裏に俺は居る。
太陽の光は隣の建物に遮られ、残るのは暗い日陰だけだ。
こんな薄暗くてなんにもねえところにいるヤツは俺くらいかと思ったのだが、案外そこには俺みたいなアウトローな若いやつらが五、六人ほどたむろしていた。
アーガス領は平和すぎて、退屈だ。
犯罪率はすべての領の中で一番低い。
スリルを求めて犯罪なんぞ起こそうもんなら、ことが済む前に警邏がやってくる。
人口が多いから。区画整理が功を奏してどんなところでも目に留まってしまうから。警邏が勤勉だから。なんて理由は幾らでもあげられる。
だからアウトローが消えたかって? 答えはNOだ。
鬱憤を抱えた男女は、それを消化することもできずに日々を悶々と生きている。
今はこんなちっぽけな日陰にこもり愚痴を言い合うくらいが関の山ではあるが、抑止がなければ、抜け穴があれば、俺たちはなんだってできるという自負があった。
それだけの熱量はあると確信していた。
砲弾は筒に入っている。火薬は山のように溜まっている。
導火線に火が付かない、それだけなのだ。
「くそっ」
退屈だ、退屈だ。退屈で死にそうだ。
ほかの常識人どもが、一般人どもが憎らしくて仕方がない。
仕事に精を出すことに喜びを感じ、ただ平和の中で流れに呑まれ、日常を生きることに幸せを覚えられる人間が妬ましくてしょうがない。
俺にはその生き方が出来なかった。向いていなかった、それだけなのに。
一生懸命に生きていない俺たちは、不適合者たちは、白い目で見られるだけなのだ。
そして、俺たちはそれをにらみ返すことさえできないのだ。
「くそっ!」
転がっている酒瓶を蹴り飛ばす。
先の括れた円柱をしたそれは、ころころと転がって──誰かにぶつかった。
「──素晴らしい。よくもまあ、そこまで捻れたものだ。そこまで歪んで成ったものだ」
ぱち、ぱちと大仰な動くでゆっくりと手を叩く、男。
蒼い髪に紅い眼をしたその青年は、胡散臭い笑顔を顔に張り付けていた。
その仕草と表情のすべてが俺の気に障った。
「なんだ、テメエ? 馬鹿にしてんのか」
長身の男をにらみつける。
男は笑顔を少しも崩さず、逆に心底嬉しそうに嗤った。
「ク、くく、ククくクく……本当に素晴らしいな、君は。素晴らしすぎて思わず嗤ってしまったよ。嫌なに、馬鹿にしているのだ。許してくれ」
心底面白そうに腹を抱えて笑い続ける男を前に、俺の頭に血が上った。
──殺してやろうか、こいつ。
幸い、ここは人気がない。建物と建物の間にある細い道を進んでいった袋小路。誰の目につくわけもない。
たむろっていた男女はショーを見るかのように好奇心に満ちた目で俺たちを見ているが、まさか警邏に言いつけたりはしないだろう。
ポケットに手を忍ばせる。
ギラリと鋭く、冷たい金属が俺の指に触れた。
男は今なお笑い続けている。嗤い続けている。
俺はナイフの持ち手を掴むとその手を思い切り男の喉元へと走らせた。
ポケットがロクな抵抗もせず切り裂かれ、ナイフが男に死をもたらす。
真っ赤な鮮血がほとばしり、膝から崩れ落ちた男の喉は噴水の様だった。
──殺った。
俺は右手にかかった血の温度を感じてそう確信した。
全身が総毛だつ。これだ、このスリルを求めてたんだ。
「は、ハハ、は、」
男が、嗤う。
潰れた喉で、今なお嗤う。
俺にはそれが逆に滑稽に見えて、にやりと笑った。
「は、はは、ハハハ、ハハハハハ」
嗤う、嗤う、嗤う、嗤う、嗤う。
何処までも面白そうに、楽しそうに嗤う。
それは、滝を落ちる水の奔流が如く絶えることがなかった。
「はは、ハハハハハハ、ははは、ハハハハ、、ハハハハハハハハハ!!!ヒャハハハハハハハハ!!!」
嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う
俺はとうとう恐ろしくなった。
全身から血の気が引いていく。
なんで? なんでこいつは死なないんだ?
男の喉から血は流れ続けているのに。それは人一人殺すくらい容易な量のはずなのに。
「ハハハハハハハハハハハハ……ハ」
笑い声が止んだ。
全身からどっと汗が噴き出した。
──ああ、よかった。ようやく死にやがったか。
胸をなでおろす。
男はもう動かない。
視界が傾く。
ズルリと音を立てて、頭が地面に落ちた。
落ちた頭がくるりと周り、俺の足を視た。
あれ、なんでおれ、まだたって
「──アハァ♡」
男が立ち上がった。
何もなかったみたいに、立ち上がった。
「はあ、気持ちよかった。やっぱり死ぬ時が一番気持ちいいなあ!」
そんなことをいって、すたすたと歩いていく。
まってくれ、
しにたくな
「……さて、往くとしよう! 愛しの、愛すべき、あの少年に会いに! 彼の七度目の生誕を祝いに! 暇つぶしもここまでだ。さあ、愉しくなるぞ。この巷は!」