第二話 「七年前」
──何が、起きた?
暗転する視界。
目に光が差し込まない。鼓膜は震えず、手足の感覚もない。
味覚はなく、皮膚は温度も圧力も覚えない。
体が、動かない。
俺という個人が世界から喪われた。──そんな感覚。
俺は確か、ゲームをしていて。
そうだ、ゲームの途中で、これからって時に胸が、苦しくなって。
狼狽える母さんが、目に焼き付いていて──。
唐突に、音が鳴る。
爆音、というに相応しい。それは音楽で、ファンファーレと呼ばれるものに酷似していた。
「おめでとうございます、人間。貴方は厳正なる抽選の結果、見事、当選いたしました」
カタカタと古めかしいタイプライターを叩くような音がする。
無機質で機械的な、感情の乗らない女の声がする。
詳しくは知らないが、それはボーカロイドとか、ボイスロイドとかと呼ばれる合成音声に近かった。
──誰だ、貴方は。
声にならない声。比喩的なそれではなく、文字通り俺の声は声として成立しなかった。
まあ体がないのだから、発声もできないか。
あまりの状況の意味不明さに、俺の頭は一周回って冷静さを取り戻していた。
「どうやら困惑なされている様子。自己紹介をいたしましょう。私は<神の代行人>。名前という固有名詞は存在いたしません。私は個ではなく、群でもって一つと定義されるものであるが故」
……いや、何を言ってるか、本当にわからない。
中二病をこじらせた人が書いた設定集みたいな自己紹介だ。
「貴方は、相良 彰人様で間違いありませんか?」
──ああ。間違いは、ない。
やはり声にはならないが、どうやら通じはしているようだった。
「結構です。我らが神に間違いなどあろうはずもありませんが。では、説明を。貴方は抽選に当選なされたのです」
わあ、恐ろしいほど端的。
そしてやはり悲しいくらい理解不能だった。
一から十まで説明してくれないとわからない。
「抽選とは、貴方方人間、他多種多様の動植物が存在する下界において死者が少なかった時に行われる儀式です。神、自らの手によって為され、足りない死者を補完する。そして選ばれた人間は、”心臓発作”としてお亡くなりになる決まりとなっています」
──なんだ、それ。
──滅茶苦茶だ。不合理だ。理不尽にもほどがある。
──そんなこと、そんな理由で。ただ運が悪かったってだけで。
──俺は死んだってことなのかよ……!
カタカタ。
カタカタカタ。
音がうるさい。
「いえ、そうご悲観されることもないかと。最初におめでとうございます、といったのは決して皮肉ではないのです」
──どういう、ことだ。
憤る心を抑えて、聞く。
聞かなきゃ、ならない。
「貴方は生まれ変わることが出来ます。それも他人には決してまねのできない才能を持ち、敵はなく、努力もなく、成り上がりは約束され、人の上に立つことの快楽を容易に得ることのできる──そんな世界に。どうでしょう、貴方は前世よりも成功し、称賛され、幸せを手につかむことが出来ることでしょう」
──……要らない。
「……なんと」
──要らないって言ったんだ、そんなもの!
そうだ、何を言っているんだ、この自称神の代行者とやらは。
俺は十分幸せだった。
高校には友達がいて、家に帰れば母さんがいて、勉強をすれば将来は開けていたし、大好きなゲームだって好きなだけ出来た。
これからもっと幸せにできます?
そんな文句ひとつで、人の幸せを勝手に奪いとっていいわけがないだろう。
それに、才能を行使して成り上がる?
成り上がった人の裏側には蹴落とされた人がいる。
それをしていいのは、たゆまぬ努力だけだ。けっして、与えられた才能なんかじゃない──!
苦労もしていない人間に蹴落とされた人間がどんな気持ちになると思っているんだ。
与えられた才能におんぶにだっこで、苦労もせず、誰かの上に立つなんて、そんなのチーターと同じじゃないか。
「……変わったお方ですね、貴方は。今まで私が応対した人にはいなかったですよ、そんな人は」
──変わり者かもしれないな、俺は。
「ですが、神は絶対です。そして死は不変のもの。貴方は死んでしまったのです。これはせめてもの慈悲のようなもの。それにそもそも受け取らない、などという選択肢はありません。なぜならこれは権利ではなく、義務だからです。受け取っていいですよ、ではなく。受取りなさい、人間風情──ということなのですから」
──────
俺は絶句した。
そうするほかなかった。
機械的な声に、軽蔑、侮蔑という感情が乗せられたからだ。
むき出しの心臓を冷たい手で鷲掴みにされたような恐怖が与えられたからだ。
「ご安心ください。貴方に与えられた義務とは、生まれ変わり、才能を受け取る。そこまでです。才能を使わずに生きていく。それもいいでしょう。なんであれば生まれたその瞬間に自ら首を絞めて死ねばいい。
貴方の命に価値などない。人間だけに限っても七十億弱分の一でしかない、矮小な存在であることを自覚しなさい。神を侮辱するなどという傲慢な行為が、二度許されるとは思わないことです」
女の声は、なおも続ける。
「そして、貴方のこだわりなど。一体誰が聞きましたか? 努力、才能。そんなちっぽけな差になんの意味があるのでしょう。蹴落とされた側からすれば同じです。蹴落とされた人がこう言うとお思いで? 『ああ、俺はあいつに負けてしまった。不利益を被ってしまった。でもあいつはたくさん努力しているし、負けてもしょうがない。いやあ、明日から心機一転、頑張っていこう、はっはっは』……少年漫画の読み過ぎです、目を覚ましなさい。
一緒ですよ。蹴落とすことそのものを否としないのであれば貴方に才能を否定する権利などないのです。才能に蹴落とされた有象無象の人々を哀れむ権利も貴方にはない。苦労など味わったこともない人間の云っていいセリフではない。
まあ、才能だけで成り上がった人間など、少なくともあなたの世界にはいないというのもあるのでしょうが、貴方のそれは欺瞞と偽善に満ち、あまりに傲慢な考えです。今から貴方は、その”才能だけで成り上がる”人間になることができるのですが、ね」
────
「……私としたことが、少し話しすぎましたか。もう結構です。本当なら才能を選ぶこともできたのですが、使わないというのであれば関係もないでしょう。大丈夫、心変わりを神は許します。使おうと思えばいつでも貴方はこの才能を行使できる。誰にも負けることはない。誰に見下されることもない。そんなバラ色の生活に、貴方は進むことが出来るでしょう」
──使わないよ、俺は。
きっと、使わない。
否定されても。欺瞞と偽善と、傲慢に満ちた気持ちだったとしても。
間違っていないと信じたい、俺の気持ちだから。
「結構です。では、さようなら」
音は途切れた。世界には、一切のものがなくなった。
そして、背中から光が差した。
それは、あまりにまぶしくて──。
◇◆◇◆◇◆◇◆
これが七年前のことである。
忘れもしない、七年前の事件である。
そして、俺は平民の子として、(あの代行者の弁にはなかったのになぜか)記憶も受け継ぎ生きてきた。
そう、平民の子として生きてきたのだ。
その筈だったのに──。
視線が痛い。こんな大勢の人間の前に立ったのは初めてだ。
豪勢な恰好に身を包んだ彼らは、期待とかいろいろ入り混じった視線を僕に向けてくる。
なんてこった、逃げ場もなさそうだ。
父親を名乗った男が僕の背中を軽く押した。
いよいよ、あとには引けないみたいだ。
僕は深呼吸をして、声を張り、はっきりと名乗りを上げた──!
「僕の名前は、エイリアス。エイリアス・シーダン・ナインハイトです! み、皆様、どうぞ、よろしくお願いしましゅ!」
──噛んだ。