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第一話 「僕の名前は」

 あんまりの退屈さに、私は大きく口を開けて欠伸をした。

 それを見てお母さんがこれ、と私を窘める。


「淑女たる者、人前で大口を開けるなどというはしたない事をするものではありません。わかっていますか、エミリー。貴女は今、バーミルオン家の長女として、この場に居るのですよ」


 はぁい、と気のない返事をすると、母さんは呆れたように眉を寄せた。

 勿論、私だってそれくらいは承知してる。

 でも、社交界ってもっと楽しいものだと思ってたのに。


 大きくて綺麗なホールは確かに天井に着いたシャンデリアに明るく照らされてキラキラしてるし、赤い絨毯には汚れ一つない。

 ホールの真ん中、入り口の真正面にある大きな階段は段数が均一で、部屋全体が左右対称なのもあって少しの歪みもない完璧な空間に思えた。

 ホールを埋め尽くすくらいの沢山の大人達が、流れる水みたいに優雅な動きで踊っている。

 でも私はまだ9歳になったばっかりで、ダンスなんてまだ踊れない。

 見てるだけで出来ない、なんていうのは本当につまらない。こんなことなら、遊んでばかりいないで踊りの練習でもしておけばよかった。


 今日は私の社交界デビュー。バーミルオン家はアーガス領でもそれなりに地位の高い方で、私は沢山の大人の人達に挨拶をしてクタクタだった。

 でもみんなは私のことなんて少しも気に留めてない。当然と言えば、当然なんだけど。

 だって今日のパーティーの主役は、他でもないアーガス領の領主、ナインハイト家の長男様なんだから。


 私達の住んでいる【アーガス領】は、【カールダイト王国】で最も大きい領だ。

 領の中に大きい町は両手で足りない数もあるし、農産業が盛んだから農村の数なんて、勉強はちゃんとさせられてる私でもしらない。きっと領主様くらいしか知らないんだと思う。

 ナインハイト家はそんな領を王様直々に治めることを許されただけあって、国王の懐刀と言われるほどの名家だ。

 今日はそのナインハイト家の長男、つまりほとんど次期領主になるのが決まっているような、選ばれた人間の七歳の誕生日パーティーだった。


 ナインハイト家は民を愛し、民に愛される貴族。

 ノブリス・オブリージュの精神を最も大事にすることで有名だ。

 民の気持ちを知るために、ナインハイト家の跡取り候補は取り上げられて一度母親の乳を飲むと、別の領で平民として育てられるという決まりがある。

 だから有力貴族はもちろん、親である領主様も、まだ大きくなったその子の顔を見たことすらない。

 このパーティーが初お披露目ともなれば、みんなの目の色も当然変わろうってものだ。

 大きく賢くなってからよりは、子供のころにいい印象を植え付けておいた方がいいに決まってるのだから。


 だから私は全然楽しくない。

 私の家だって一応名家なんだから、こんな大物とデビューが被らなければみんなもっと私のことを見てくれたはずなのに。

 一般的に社交界デビューする年齢である九歳になってから、今日に至るまで一度もパーティーが開かれなかったのが運の尽きだ。お母さんとお父さんは、大物と一緒のお披露目を寧ろ喜ばしく思っていたみたいで、自家でパーティを執り行おうとはしてくれなかった。

 さっき現領主であるマルセル様にもごあいさつしたけれど、我が子が気になっていてもたっても居られないようだった。

 せっかく綺麗でかわいいフリフリのドレスを自分で選んだのに。誰の目にも留まらないのなら、虚しいだけだ。


 私はお皿に盛った薄切りの豚肉に噛り付いた。

 薄い塩味がつけられたそれは、結構美味しかった。

 私の悲しみを癒すほどではなかったけれど。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆



 食事を食べながらダンスを見て退屈を紛らわしていると、入り口の大きな扉が重い音を立てて開き始める。

 浮足立っていた貴族たちのざわめきがホール中に伝播する。

 つまり、主役のご到着ってことだ。

 小さい体を懸命に伸ばして、入り口に殺到した貴族の隙間からなんとか見ようと試みる。

 扉の前には従者らしき、正装に身を包んだ長身の男と、金髪碧眼の少年が気弱そうに立っていた。


 綺麗。彼を言葉で飾るのなら真っ先にその言葉が思い浮かぶ。

 目はぱっちりと開いているし、綺麗に、かつ自然に切り揃えられた金髪は一本も絡んでいないみたいにさらさらと動きに合わせて揺れている。

 服も職人業がいかんなく発揮された上物だけど、気品の高さが作用してバランスよく仕上がっている。

 あんないいもの、並みの貴族なら服に着られてるみたいに間抜けな仕上がりになってしまうはずだ。

 そんな少年はおちつかない様子できょろきょろと周りを見ていて、とても愛らしかった。


「ナインハイト家ご長男、エイリアス・シーダン・ナインハイト様。ご到着!」


 男がそう叫ぶと。

 ホールが万雷の拍手と歓声に満ちた。

 指笛なんて洒落たものも聴こえてくる。

 男が跪いて隣にちょこんと立っているエイリアス様の手を取る。

 エイリアス様は困惑した様子だったけれど、男に手を引かれると為されるがままというように真っ直ぐ階段の方へと歩を進めた。


 エイリアス様が一段一段気を付けながら階段を上る。

 いつの間に上にあがっていたのか、マルセル様と、奥様であるラール様が踊り場で待ち構えていた。

 マルセル様は正面に立ったエイリアス様をねめ回すように見て、それから力強く頷く。


「えー……皆様、本日はお忙しい中、私の子、エイリアスの為にお集まりいただきありがとうございます。皆様のおかげで、七年前に私の妻であるラールが産んでくれたこの子も、見ての通り立派な子に育ってくれたようです。これからエイリアスから皆様に挨拶をしてもらおうと思いますので、皆様静粛に、お願いいたします」


 マルセル様が一歩下がり、エイリアス様を軽く前に押した。

 エイリアス様は、落ち着いて深呼吸をすると、ゆっくりと口を開いた。

 

「僕の名前は、エイリアス。エイリアス・シーダン・ナインハイトです! み、皆様、どうぞ、よろしくお願いしましゅ!」


 ──噛んだ。


「……お、お願いします…………」


 恥ずかしそうに顔を真っ赤にした彼が小声で言い直すと、ホールは再び万雷の拍手に包まれた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆



 ──まったく、どうしてこうなってしまったのか。

 つい七年前まで、ただの高校生だった、俺ことエイリアス・シーダン・ナインハイト──日本人だったころの名前は相良(さがら) 彰人(あきと)──は、あまりに唐突で奇想天外にすぎる展開の濁流に、もはやついていけなかった。

 ああ、胃が痛い。



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