第四話 「コロシアム」
「よろしければ、なんですけれど。アヤトさんたちの話も聞かせていただけますか?」
なんとなく、自分の心が癒されていくのを感じる。
こうも気を楽にして人と話すのは、本当に久しぶりだ。
道中で泣いているのが見過ごせなくて声をかけたのは、本当に英断だった。
貴族の世界は本当に魔境もいいところで、胃が痛いことこの上なかった。
立場上気を抜くことも許されず、パーティーとあれば主賓として赴くことも少なくない。
誰と話そうにも畏まるか畏まられるかのどっちかで一切緊張感も抜けない。何かしてしまうと名前、というか姓に傷がつくからだ。
少し前まで騎士をやっていたのはほとんど自分の意思だったが、他は割と流されるままにやっていることが多い。しかし、趣味が剣の訓練になる日が来るなんて、俺だったころは考えもしなかった。
それにしても、貴族社会の魔境さときたら。毒殺されかけた時は割と本気で再構築を使って、毒が効かない体にしようかと悩んだほどだ。結局しなかったので、再構築を最後に使った日が十年前のあれから更新されることはなかったが。
正直に言うと才能フル活用で生きてきてもこの胃痛が消えた気はしない。そう思うと、あの神の代理人だか代行者だかは詐欺師もいいところだ。周りはいい人だらけだし、幸せでは、あるのだけれど。
混雑した道を、人をかき分けながら進んでいく。
コロシアムまではもう少し。
僕はこの貴重な時間を慈しむように、笑顔で彼らと話し続ける。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「着きました、此処がコロシアムです。僕はもう事前にエントリーしていますけれど、アヤトさんたちは、まだエントリーされていませんよね。時間も残り少ないですから少し急ぎましょうか」
少しの時間も惜しい。僕が出来るだけはきはきと言うと、アヤトさんたちはそうですね、と相槌を打って僕に追従した。
コロシアム。
貴族街で最も大きい僕の家を差し置いて、この街で最も大きい建物だ。
何せ、土地を恐ろしく贅沢に使った結果、闘技場をなんと八個も作ってしまったのだから。
それを何とか壁を繋いで総括し、コロシアムと言う一つの建物と呼称しているのだ。
平民の娯楽の為にと建設され、今日に至るまで毎日のように試合や何かの催しで盛り上がり続けている。
専属の剣闘士もいるが、依頼を通して人々を護る冒険者や国に仕え国を護る騎士なども試合に出るから、戦闘職の信用度アップにも役立っている。ここでの試合を見て強さにあこがれを持ち、それらの職に就きたいという人間も少なからずいる程だ。
レートと天井は低いが賭けも行われている。やはり、ただ応援しているだけよりは何かが掛かっているほうが身が入るし、盛り上がりもするというのが大きな理由だろう。勝っても儲けが少ないので、娯楽以上の意味で金を投じる人間は少ない。好きな台が出たから演出の為にパチンコを打つ人と似た心境だろう。打ったことないけど。
そして今日、そのコロシアムは十年に一度の最高の盛り上がりを見せる。
ガルムエント杯は、出場する人間に用意された報酬が普段の比ではないので、いつもは見向きもしないような強者も出場するからだ。
達人杯の優勝賞品などすさまじく、なんと国王自ら、良識の範囲で望みを一つかなえるという、まさに破格の待遇を約束される。過去にはこの望みの権利により、貴族の真っ先に名を連ねたものさえいる。
「そういえば聞いてなかったんですけれど、エイリアスさんはどの部門で出場するんですか?」
後ろに居るカムイさんに尋ねられてから気づいた。確かに、僕はまだ何に出るか言ってない。
アヤトさんたちは言ってくれたのだから、僕も言わないと礼儀に反するだろう。
「あ、はい。僕も皆さんと同じ、新人杯の団体戦に出るつもりなんです。当たったらよろしくお願いしますね」
「へえ、エイリアスさんも団体戦なのか。でも、じゃあ大丈夫なのか? あんまり時間もないと思うけど、仲間と合流しなくてさ」
アヤトさんが少し気遣うように、申し訳なさも孕んだ口調で訊ねてくる。
僕は、出来るだけ心配をかけまいと、何でもないことのように言った。
「あ、そこはお気遣いいただかなくても大丈夫なんです。僕、一人で出るので」
そう、今日僕が出るのは新人杯の団体戦。
個人戦に出ようと思っていたのだが、事前に登録を済ませる際、受付人にこう言われたのだ。
『確かに、貴方は功績ばかりはおたてになっていらっしゃらないので、新人杯にエントリーしていただくことになります。ですがその、貴方の強さばかりは皆存じておりますし、個人戦に出られてしまいますと、こちらとしては……なんといいますか。面白みがないといいますか……新人杯クラスで、誰が貴方に勝てましょう? 誠に申し訳ないのですが、団体戦の方でエントリーしていただければと……』
酷い不利益を被ることになるとはわかっていたのだが、まあ別に優勝したいわけでもないし、実力を試すという意味でもやすやすと首を縦に振った。困ると言われたのに遠慮をしないほど、僕も頑固ではない。
幸い羊皮紙を繋いで作られたルールブックには、『団体戦出場可能人数は三名まで』としか書かれておらず、つまり一人でも問題はないということだ。
何でもないようにそう言うと、アヤトさんたちはあんぐりと口を開けたまま呆然としている。日本の諺で言うと、まさに開いた口が塞がらない、と言ったところだろうか。
「…………まじで? す、か」
「…………あまり信じたくないけど。嘘をついているようには見えない、かな」
後ろでおずおずとナナさんが手を挙げている。
あまり話しかけたりしてこないな、と思って気になっていたので幸いすぐに気づくことが出来た。
「なんですか?」
不安がらせないように笑顔で聞くと、はうっと変な声を出して目をそらされた。
この顔にも困ったものだ、割とマジで。さすがにイケメン過ぎる、中身と釣り合わないと悩まない時がない。
「あの…………ずっと、気になってたん、だけど」
僕が何のことかわからず首をかしげていると、ナナさんはたどたどしくも、そのあとに言葉を繋いだ。
「エイリアス、って…………この街の領主の子供の名前、で……団体戦事前登録者の中で、優勝候補筆頭って……」
──バレテーラ。
僕がバツが悪そうに眼をそらしたのを見てか、アヤトさんとカムイさんがもう一度、「……マジで?」と言った。今度は、声を合わせて。