第一話 「ガルムエント収穫祭」
──十年後。
──アーガス領、ガルムエント、ナイトハルト邸。
──エイリアス・シーダン・ナイトハルト──十七歳。
ぶん、と。空気を切り裂く音。
振り下ろされた木刀。
間を空けず、もう一度振り上げられ、寸分違わぬ位置にて振り下ろされる。
反復。反復。
弾ける汗。布一つも纏わぬ上半身は細いながらも頑強な筋肉に包まれ、太陽に照らされることで黄金に輝く。
──確か今ので……2256回。
別にノルマを定めているわけではないけれど、毎日空いた時間の限りをこの素振りに費やしている。剣に少しでも触らなければ、才能のない僕の剣技など瞬く間に鈍るからだ。
──2257。
腕を振り下ろす。
木刀は僕のイメージ通りの所に落ちる。
「失礼します、エイリアス様。そろそろご支度の方をされた方がよろしいかと」
背後から、声がかかる。
振り返らなくてもわかる。僕の専属執事のガルマだ。
振り返ると、ガルマは大きな布を持ってそこに立っていた。
長いながらも器用にまとめられた白髪に、こっちではなかなか珍しい黒い目。五十を超える年齢を感じさせない立派な体躯。シワなどない顔。
いつ見ても惚れ惚れするほど立派な好々爺だ。
「もう、そんな時間? では腕が鈍ってしまったかも知れないな。これから大一番だって言うのに」
思わず苦笑する。
もう時間という事は三時間は振った筈だが、それならばこの回数では少な過ぎる。
しかし、ガルマは首を振り、力強くそれを否定した。
「いえ、エイリアス様の腕が鈍ろう筈も。これは私の余計なお節介のせいで御座います」
「お節介?」
「はい、エイリアスも成人され、アーガス領を護る騎士になられて二年が経ちました。貴方様は日々修練と勉学に励まれご存知ないかもしれませんが、みな貴方様の事を慕っておいでです。今日は十年に一度の『ガルムエント収穫祭』。ガルムエントの誇る大通りはいつにも増して活気に溢れましょう。では、馬車の上から眺めるというのは余りに味気ないのではと思いまして」
「いや、まあ。騎士は辞めてしまったけどね……」
ガルムエント収穫祭。
ガルムエントとは、アーガス領随一の広さを誇る街の名だ。
収穫祭とは名の通り、目前に控えた作物の収穫を無事終えられますように、と神に祈りを捧げる行事のこと。地球だと、スペインで行われるトマト祭りが有名か。
どうして十年に一度なのかと言えば、他ならぬ収穫の神、【テーコルス】が十年に一度目覚めると言われており、その周期に合わせているからだ。
カールダイト王国でも最も大きい領の、これまた最も大きい街が総力を挙げて開催する祭りだ。盛り上がらない筈がない。
アーガス領の農民の殆どどころか、他領からも大勢の人を集め、果ては国王すら招いてしまう、そんな大行事。
因みに僕も少し勘ぐったのだが、ガルマとの関係は一切ない。なんだってこんなに名前が近いんだ。
しかしまあ、確かにこの地の貴族としてもこんな大掛かりなイベントを眺めるだけというのも、楽しんでいる皆んなに失礼な話だ。
「えっと……『大会』まで余裕を作ってくれたってことでいいんだよね」
「はい、その通りです。ざっと一刻ほど」
この世界で一刻というと、地球でいう一時間半だ。因みに一日が十六刻……つまり地球でいう二十四時間。このあたりはどの世界でも不動なのかもしれない。
大会は十刻からだったはずなので、今は九刻ということになるか。
「……じゃあ、ご厚意に甘えて歩いて見て回ってみようかな。本当に折角なわけだし。御者には倍の金額を払っておいてくれるかな」
そう頼むと、ガルマは悪戯っ子のように口を横に大きく広げてニッと笑い。
「ご安心ください。そのように仰られるだろうと思い、とうの昔にそうしておきました。きっと温まった懐で祭りでも楽しんでいることでしょう」
「……まったく敵わないな、ガルマには」
僕はガルマから身体を拭くために布を受け取ると、傍に畳んでおいた服を掴んだ。