5話、偉い人とプレーンクッキー
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多分だけど完全に人の気配がなくなった時、俺は閉じていた目を開いて改めて辺りを見渡し一息つく。改めて思うけど、思えば遠くに来たってどころじゃないからな。今までならあり得ないと簡単に一蹴されていた異世界に来たんだから、これはとてつもなくすごいことなのだと俺ですら興奮を覚えてしまう。この間の説明会に魔法が使えないと落胆していた参加者もいたが、今ならそんなことはどうでもよくなっているだろう。
「ううん、待っているだけと言うのも神経を使うな。ぶっちゃけ、暇だ……」
ふかふかソファーに身をゆだねぼんやり考え事をして早30分以上、俺は放置されている。自意識過剰かと言われそうだけどサラさんが俺のことを忘れるはずないし、きっと陛下との話が立て込んでいるんだよな。あ、ちなみにちょっとだけ部屋の中を動き回ってみたんだけど、この広い部屋と寝室とトイレと風呂があった。貴賓室だと言っていたから当たり前、なんだろうけど少し面白かったよ。
もうしばらく待っても来なかったら出来心で扉を開いてみよう、そう思っていたらコンコンと外側から扉を叩く音が聞こえる。そしてサラさんとは違う女性の声で部屋への入室許可を求められたので、俺は思わずソファーから立ち上がって許可を出す。入ってきた女性は機能性を重視しフリルなど排除されたロングスカートのエプロンドレスを着用しており、頭の頂には純白のホワイトブリムを乗せている。
「失礼いたします。わたくしは侍女をまとめ上げる侍女長をしております、ターシャです。陛下とハイネリッヒ卿の話がまだ終わりそうもありませんので、こうしてわたくしが来た次第でございます」
「あっはい、よろしくお願いします」
教科書にも載るんじゃないかってほど、綺麗なお辞儀をしてくれたターシャさんは立っていた俺を座らせてから給仕に使うシルバーのカートを持ってきて、この国の特産だという紅茶を淹れてくれた。俺は紅茶とかの味はよく分からないんだけどこれが美味しいのなんのって、表情の起伏がない美人ターシャさんだが気にならないくらいに話しも面白い。ただ、お茶請けに日本産であろう煎餅が添えてあるんだ。
「申し訳ございません、ミツキ様。紅茶にお煎餅という判断はわたくしがミツキ様に良いかと思い、出させていただきました。こちらの食べ物は日本のものと比べて数段に味が落ち、ミツキ様のお口に合わない可能性がございましたので……」
ターシャさんになんで煎餅なのか?そう問えば勢いよく彼女が頭を下げたので、俺は焦ってオロオロする。色々とそんなことないとは思うんだけど、どちらとしても手探りだからこうなったんだろうか?こんなに紅茶が美味しいのに料理が俺の口に合わないって、多分そんなことないとは思いたい。とりあえずターシャさんの頭を上げさせ、俺は口を開く。あまり良いことは思いつかないが、言わないよりいいだろう。
「んー……俺が日本人だからって、そんなことないと思います。俺は一般家庭で育ってきてますし、そりゃ料理人としてこの国に雇われましたけど一般的な家庭料理しか作れません。不思議な祝福が出来るとしても、俺は普通の人間です」
「ミツキ様……」
この世界の人間を祝福出来るなんて、普通の人間じゃないってツッコミはなしの方向で。祝福は手料理の出来る日本人が全般なんだし。そんなことを考えながらターシャさんに言えば、彼女は結構感動した様子で俺のことを見つめ俺は内心どうしていいか分からずに二の句が告げられない。どうしてこうなった。俺、全くと言っていいほど良いこと言ってないよ?
無言でプルプルしながら感動しているらしいターシャさんに、内心どうしていいのか分からずキョドる俺。どうしたらいい?どうすればいい?と今思いつく限り最大限の思考能力で考えた末、俺の頭が考え出した最前の策はなにか手料理作れば良いんじゃね?だ。そう言えば世間話になる前、ターシャさんは王族の私室以外なら立ち入っても構わないと言っていた。
ならば調理場も大丈夫だろう、と思いながら彼女を見ればハッとした様子を見せ「失礼します」と部屋の隅に行きなにかし出す。あぁたしか彼女は侍女長だから高価な魔導具である通信機を持っているみたいなので、それを使っているのだろうか?日本が技術提供したらファンタジーな世界の住人も一人に一台は携帯電話を持ったりするのかな、そんなことを考えていると話の終わったターシャが来て頭を下げる。
「大変お待たせしました、ミツキ様。料理長との話がつきましたので、すぐにでも調理場へご案内いたします。申し訳ありませんが味見をさせてくれ、と言う条件がありますが大丈夫でしょうか?」
「あ、いきなり言い出したことなのに、わざわざありがとうございます。料理長さんの舌を満足させる料理は出来そうにありませんが……」
「そんなことありませんよ。では、調理場へご案内いたします」
なんだか大事になりそうな予感がして、俺が言い出したことなのにちょっと逃げたくなったかも。俺が作ろうとしていたのは祖母とよく作っていたお茶請けのプレーンクッキーで、本当に城の料理長が満足するようなものじゃないんだよ。いや、不思議な祝福のおかげで美味しくなるかもしれないし、作って食べてもらってから言い訳すればいい。まぁつまり、俺らしくどうにでもなれ精神を貫こうと思う。
ターシャさんに先を歩いてもらいそのあとを俺が続くスタイルで調理場へ向かうんだけど、見るもの見るものが真新しく珍しいのでキョロキョロ辺りを見渡し立ち止まってしまう。その度にターシャさんも立ち止まり待っていてくれるんだが、表情に小さな子を見るような微笑ましいものを見つけてからは立ち止まらなくなった。うわ、は、恥ずかしい……。
そして案内された調理場は意外にもこじんまりとしており、彼女からの説明でこの場所は新しいレシピなどを開発する用の調理場とのこと。なので比較的簡単に許可が取りやすいから気に病むことはないと、ついでに集中出来るよう人払いもしておいたと。なにからなにまでお手数お掛けします、としか言えないな。こちらの食材には魔物から取れるものを使うことがあったりするので後々覚えるとして、今回は昨日買った日本産の食材で作るとしよう。
「……これ、どうやって動かせば?」
「あ、申し訳ありません。この世界の調理器具はこの辺りに魔石がはめ込まれておりまして、手を翳していただけると反応いたします。火加減はもちろん、水の出る量も調整出来ますのでご安心ください。それと魔石をはめ込む調理器具は比較的安価で作られておりますので、ミツキ様の勤め先であるギルドでも使われていると記憶しています」
「なるほど。ありがとうございます」
こじんまりした調理場でもミティラス国の最先端キッチンらしく、日本でよく見るレストランの調理場となんら変わりはない。変わりはないんだけど、どうやら使い方に違いがあったようだ。火力など調整するつまみもスイッチもないオーブンを前に、ターシャさんへ俺は問いかける。彼女の説明を聞くと魔石とやらには魔力が籠められており、全く魔力のない人でも使えるように出来ている。なくなったら補充をしないと駄目ではあるが、便利だと好評らしい。
作る前に色々と聞いてみると、日本より随分便利なものがあったりして俺は驚く。普通なら何時間も寝かせないといけない生地をこの中に入れれば一瞬でオッケーとか、日本に持って帰ったら一攫千金狙える。結構くだらないことを言っていたのに、ターシャさんは嫌な顔一つ見せず俺に付き合ってくれた。十分聞いたと満足し、ようやくクッキー作りに入ろうと腕輪から食材を取り出す。
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