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007  意志を抱く


 新井とて、常に不安を感じている訳では無い。漫画を描く過程にも楽しみが無いとやっていけないので、気分転換に外に出ていた。ずっと仕事机に向かってペンを走らせる作業は体に悪い。人間は日の光を直接浴びないと人間性を失ってしまう可能性もあるので、アシスタントにも言い聞かせていた。たまには外に出て新鮮な空気を吸ってくれと。そうすれば見えなかった事も見えるようになって視野が広がる。漫画が描けないと言ってスランプになった漫画家をこれまでに何人も見てきたが、決まって生活習慣に問題がある。暴飲暴食、徹夜、寝不足……漫画家にはありがちな生活習慣だが、それはスランプを生み出すだけだ。新井はそう思っているので、どんなに忙しくても22時にはタイムカードを押すようにとアシスタントには言い聞かせていた。一応は手伝ってもらっている身分なので体を壊してしまうのは此方の責任でもある。なので、せめてアシスタントには自由な時間を約束したかった。プロの世界で漫画を描くなどストレスでしかない。それを知っているからこそ日常生活に支障が出ない程度にペンを走らせる必要があるのだ。それを分からせるために、新井はアシスタントの一人を連れて渋谷に繰り出していた。彼は新米のアシスタントで上京したばかりの19歳の青年だ。それだけに、仕事に対して真面目なのだが最近は仕事に対して活力が湧かないようだ。ただ淡々と原稿を描いていく毎日を過ごしているので、何か声をかけないとアシスタントのまま一生を終えてしまう危険性もあった。与えられた仕事をこなすだけでは無く、そこに自分の意志を植え付ける必要がある。漫画とは命を吹き込む作業だと言われているが、新井はその通りだと思っていた。0から1を作るのは思っている大変なのだ。


「この世界って結局は地図が無いんだよな。そりゃ世界地図はあるけど、自分の中にも世界って広がっているじゃない? 自分の世界には地図なんて無いから意志に頼るしかない。その意志を封印したまま仕事をするのって凄く曖昧だよ。休みたいと思えば休めばいいし、頑張りたいと思えば頑張ればいい。少なくとも俺の下で働いている時は自分の意志に従って行動して欲しいと思ってる。俺の命令が無い時は自分の意志に従って風景なりコマなりを描いていいから」


 新井は基本的に放任主義だ。アシスタントを頼りにしているからこそ、無駄に命令を下したりはしない。自分のやりやすいように仕事をしてくれれば幸いだと思っていた。だが、この新米アシスタントは仕事に対して何の感情も抱いていないようだった。淡々と与えられた仕事をこなしていく。それだけでは遥か先の夢には辿り着けない。自分の意志を原稿に叩きつけるような情熱が無いと、いざ漫画家になっても活力が生まれない。気持ちが萎えてしまうと発想は膨らまない。常に自分を過大評価しないとプロの世界では通用しない。それを分かって欲しかった。だが、新米アシスタントは未だに表情が硬いままだ。


「最近、仕事って退屈な作業の繰り返しだと思ったんです。もっと華のある毎日が待っていると期待していたのですが、なんかそこらのサラリーマンと何も変わらないっていうか……むしろサラリーマンの方が毎日幸せそうな気がします」


 彼の意見には新井も納得せざる終えなかった。プロの漫画になって連載を持ち、自分のキャラクターが人気投票にかけられる。それが何よりの快感だと思っていたのが、いざ漫画家になると幸福感など微塵も感じられない。毎日が追い立てられるような気持ちになって精神的に不安な日々が続く。それには同意せざる終えない。普通に就職して普通に暮らしているサラリーマンが羨ましくなるのも無理は無い。だが、漫画家にしか感じられない仕事感はある筈だ。新井はそう思っていた。


「仕事に意味を求めるのは人間にありがちだけど、それをやっちゃ駄目だって。仕事に意味なんて無い。自分達は働き蟻で、女王様に奉仕するために生きていると思わないと漫画なんて描いてられないよ。仕事なんて理不尽の連続なんだから、意味を求めるのが間違っている。意味を求める場所は日常生活だけでいい。お前には仕事をする意味では無くて、仕事をする意志を抱いて欲しいな。意志さえあれば仕事は続けられるし、適度に休めるだろ?」


 漫画を描く事で飯を食うのは意味がありそうで意味が無い。本当に必要なのは仕事を続けられる意志なのだと新井は考えていた。その言葉には納得してくれたのか新米アシスタントは首を縦に振りながらフムフムと頷いていた。


「そうですね。僕達って所詮は働き蟻にすぎませんし、グダグダ考えても仕方ないですよね。ありがとうございます。新井さんのアドバイスのおかげで道が開けたような感じがします。これから仕事に意味なんて持たず、自分の意志を持ってペンを走らせようと思います」


 新米アシスタントの表情は一変し、晴れやかになっていた。それを見た新井もなんだか背負っていた不安が解消された気分だった。















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