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006  苦痛の日々


 漫画を描いて技術を磨いていく行為など面白みに欠けていると新井は考えていた。中学時代、面白半分に漫画を描いている時には責任感や重圧など全く感じなかった。むしろ楽しい気持ちが大半を占めていて、誰かに見てもらいたい欲求が溢れ出ていた。ところが、いざそれを職業とした時には感じる部分が全く違っていた。あれだけ人様に見せたいと思っていた漫画を見せたくなくなる。誰かに自分の物語を見られるが嫌いになってしまう。町を歩いているだけで後ろ指を刺されているような感覚に陥る。自分の漫画には少なからず自分なりの思想が盛り込まれているので、気持ちを共用しているようだった。ただでさえ、新井の漫画は初版200万部を超えてしまった。世間的には人気漫画の烙印を押されてプレッシャーと挫折の連続だ。自分なりに考えた成功法則を漫画に取り入れただけで、あっという間にメジャータイトルになってしまったのだ。そのプレッシャーたるや身を破壊しそうな勢いでしかない。昔からの夢を叶えた筈なのに全く幸せを感じられない。通勤しているサラリーマンを、まるでガラスケースに入った玩具のように羨ましく見つめてしまう。いつの間にか、あれだけ好きだった漫画を好きになれなくなった。勿論、仕事柄漫画を読む行為はあるが、一般人とは目線が違う。楽しいという思いなど全く無く、技術を盗むためだけに漫画を読むのだ。それがあまりにも悔しくて自暴自棄になる瞬間もあった。夜眠れなくて何度も目が覚めてしまう。ホットミルクを飲んで落ち着こうとして、目がバッチリと覚めて寝られない。有名漫画家になった現実が肩の上にズーンとのしかかり、まともに寝られる状況じゃない。故に新井は、いつも眠たそうな目を擦りながら仕事に取り掛かっていた。人と接する時は笑顔を振りまきながら会話に徹するが、仕事の時は至って真剣な表情だ。そうじゃないと漫画なんて描けない。ゲーム感覚でヘラヘラと仕事に取り組むのは新井の流儀に反する行為だ。


 ただでさえ、仕事場には癒しが無い。アシスタントと一緒に大量の原稿に揉まれながら漫画を描くだけの生活。せっかく手にした大金も使う余裕すら無い。むしろ漫画家になってからお金の出費が無くなったのだ。漫画家を目指して上京したての頃、バイト代をパチンコに注ぎ込んで生活費を失くした事があった。已む終えず、冷蔵庫の残りをちびちびと食べながらヒモジイ思いをしていたが、今思えばあそこが人生のピークだった。自由な時間もそれなりにあって漫画を描く行程も楽しかった。漫画をトレースして有名漫画家になった気分を味わったり、1本の作品を描き終えた時には涙が出るぐらい嬉しかった。その時は精神的に余裕があってバイト代もじゃんじゃん使っていた。ところが、今ではまとまったお金を使う暇さえも無い。物欲さえも湧かず漫画を描くだけの人生になってしまった。ようするに仕事漬けの毎日だ。周りから見れば名声と富を手に入れた勝ち組に思えるかもしれないが、ハッキリ言って毎日が憂鬱で仕方がない。趣味を職業にしてしまった者の末路としては、あまりにも残酷過ぎる現実だ。しかし今更逃げられない。読者は確実に自分の漫画を待ってくれているので、完結目指して描き続けるのみである。どんなに挫折を経験して血反吐を吐いても、必死に食らいつく。その覚悟があった。



 ***********



 一種のミーティングをしていると、お腹が空いて仕方がない。人間は作業を一時中断するのが一番苦手だとされている。中途半端になるのが嫌で全てを終わらせてから次の物事に移行したがるのだ。しかし、休憩もせずにアイディアを出し続けのは至難の業でしかない。冷静に考えれば誰だって分かる。なので新井は腹が減ったと思うと何が何でも作業を中断して食事を取ろうとする。皆がアイディアを出している最中でも、一人弁当を食べる風景も見られる。今回も新井は腹が減ったと言ってミーティングを中断した。すると皆も食欲が湧いていたようで賛同しながらお弁当タイムだ。既に時間は20時を過ぎていた。22時には帰るのが此処の決まりなので後2時間でミーティングを終わらせなけれないけない。だが、時間に追われて攻め急ぐのは愚の骨頂、時間が無い時こそ、敢えてゆっくり考えるのも一つの手だ。そう信じて、新井は弁当を頬張っていた。近くのコンビニで大量買いした弁当をアシスタントと一緒に食べているのだ。


「やっぱりコンビニ弁当は旨いわ。健康に悪いのは分かってるけど、そこがまたいいんだよね。不衛生、不眠、不健康が当たり前の漫画家にはピッタリの食事だ。僕達は所詮、長生き出来るタイプじゃないから今を大切に生きよう。今を楽しめない人間が夢と希望に満ち溢れた漫画なんて描けないよ」


 新井はそうだと言うのだった。今を楽しんだ人間が最終的に幸せになれると。新井もなんだかんだ言いながら、漫画家としてのネガティブな気持ちも楽しんでいた。そうじゃないと漫画を描き続けるのは不可能だ。毎日毎日、部屋の中に閉じこもって日の光を浴びず、ひたすら原稿と睨めっこ。漫画家である以上は、そんな日が永遠と続くのだ。楽しもうとしないとやってられない。



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