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021  受け入れられない現実


 漫画家人生が幸せだと感じる瞬間はほとんど無かった。大手出版社の連載を抱えているのは社会的にも光栄な事ではあるが、新井にとっては望まない重圧を引き起こすだけに過ぎない。普通に就職して満員電車に揺られているサラリーマンが羨まし過ぎて、自分の誕生日に特別休暇を頂いてビジネススーツを購入していた。そしてあたかも就職活動中の若者ですよとアピールするかの如く、ハローワークに足を運ぶ有り様だ。そしてハローワークに設置しているパソコンを使って希望の職種を探していく内に、自然と涙が止まらなくなっていた。皆が肩を叩いて「まあまあ」と言ってくれるような可愛らしい涙とは真逆の号泣である。すぐ目の前に普通の人生が待っているのに、仕事場に戻ると原稿を描くだけの作業が待っていると思うと涙が止まらなくなったのだ。嗚咽を漏らしながら大量の涙を流している新井には職員も困った様子で呆然するばかりだ。それから新井はビジネススーツに一回も袖を通さずに普段着で漫画を描き続けている。ハローワークに通って無駄な現実逃避をするのは一ヶ月に一回程度に収めて、漫画を描く事だけに集中しようと試みる。だが、新井の集中力は目に見えて低下していた。日を追うごとに疲労感が蓄積してしまい体力が底を尽きるなど若者とは思えない光景だ。新井は一旦作業を止めると頭を抱えながら肩で息をしていた。


「ハアハア」


 文体だけなら興奮しているオタクにも思えるが決してそうではない。むしろ新井はオタクとはかけ離れた普通の人間だ。秀でた才能など持ち合わせておらず、凡人レベルの技術力しか持っていない。大手連載を抱えているのは実質運が悪かったとしかいいようがないのだ。運が悪いから普通の生活が出来なくて困っていると新井は解釈していた。コンビニで働いていた時期も先輩から注意ばかりされて仕事をしている気分には全然なれなかった。人が当たり前にしている仕事を何で自分は出来ないんだと呆れて物も言えずに挨拶さえ放棄するようになった。そうなるとお客さんから「何で挨拶しないんだ」とクレームが来るのは時間の問題だった。結局新井はコンビニのオーナーから吊し上げを喰らって実質解雇処分を受けていた。週1回出勤で労働時間は1時間だけという世にも恐ろしい干され方をされた経験を持つ新井が、漫画家で生計を立てるなど胃を痛める原因にしかならないのだ。とは言ってもコンビニ時代の苦い思い出を分析して、今の職業に取り入れている方法は何度もあった。1つめは睡眠時間の確保だ。どんなに忙しくて寝る暇を見出せなかったとしても、22時には仕事を終わらせると固く誓っていた。これは新井を含めたアシスタント達全員にも取り入れている方法だ。漫画家の多くは徹夜を強いられて土気色の顔を浮かばせながら出来上がった原稿を持っていく。無論、睡眠不足の中で仕上げた原稿など読むに耐えない代物がほとんどだ。担当が加筆修正を加えて「ヒロインはもっとアップに写しましょう」とか「写植ばかりだとインパクトが足りませんよねえ……もっと文字数を少なくしてキャラクターを前面に押し出してください」などの偉そうな事を言って人の作った原のアラばかりを見つける。それが彼等の仕事だからと納得するのは新井の流儀に反していたので、何としてでも睡眠時間を維持してまともな原稿を仕上げようと固く誓っていた。その甲斐あってか1年間連載を続けても担当からの嫌味なアラ探しを受けた覚えは無かった。新井の担当編集者は冷酷な性格ではあるが、言っている意味は理に叶っているのでまだ救いようがあった。新井は何とか先進を安定させようと仕事机から離れて、フラフラとパソコンに向かった。そして、息を絶え絶えにしながらインターネットに繋ぎ、就職活動性向けのホームページを開いて呼吸を整えさせていた。新井にとっては就職こそが現実に近いので、漫画家として成功を収めた自分を未だに受け入れられずにいた。



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