020 警察ドラマから得た教訓
満足な豚であるよりも不満足な人間であれと言ったのは偉大なる某哲学者だが、新井幸造は確かにそうだと原稿と向き合いながら感じていた。こうして机に向かって作業を続けられるのは自分が不満足だからに過ぎない。一時期的な成功に満足して、一時的な収入に満足しているようではとっくに漫画家を辞めて、南国の島でマッサージを受けている最中だ。そうじゃないのは漫画家として不満を感じているからだ。物語はまだまだ序章に過ぎず連載して1年が経過したばかりだ。他の大手出版社漫画と巻数を見比べても自分はまだペーペーの新人だと思い知らされる。作家完結を目指して漫画を描き続けるのはプロ意識どうこうの問題じゃなく、人間性の問題だ。連載を続けるのがしんどいと言って無期限連載休止をするのは人間性を問われてしまう。血反吐を吐いて病院に行こうが、指が骨折して手術しようとも翌日には原稿に向かって机に座る必要が出てくる。代々の漫画家がそうしてきたように、プロになったからには自分の身体に鞭を打って働き続けないと、ファンの方々に申し訳が立たなくなる。それと冷酷な担当編集者によっては作者の健康よりも原稿を重要視している人も少なからず存在している。現に新井の担当が冷酷な殺戮マシーン、ターミネーターのように感情の起伏も無く淡々と原稿を求めるだけなので健康な身体をキープする必要があった。あの人は恐らく、新井が血反吐をぶちまけて倒れても翌日には「原稿はまだですか?」と何の悪びれもなく問いただすパターンの人間だ。社内の面子を気にして「俺は大人気連載漫画の編集をしているんだ。少しは尊敬してコーヒーの差し入れぐらい持ってきたらどうだ?」と椅子に座って威張り散らしている姿が容易に想像可能である。社会にはそういう腐った人間も存在しているのでまともに仕事をしている人間が評価されないのは可哀想だとも思っていた。とは言っても、そこまで気にしていると締め切りに間に合わせるのは不可能になるので新井は意識を集中して作業を進めようとしていた。「自分、不器用ですから」と言わんばかりにGペンを右手に握りしめて主線を描いていく。本来ならば比較的容易に描けるゼブラペンを使用したいところではあるが、それだと新井の流儀に反してしまう。先程にも述べた通り、満足な豚よりも不満足な人間でありたいと新井は切に願っていた。その点においてはGペンの右に出る者はいない。あれほどまでに認知度がありながら。虐げられた感と悲壮感を漂わせているペンは何処にも存在していない。愛用するGペンを持つ度に「こいつと俺は良く似ている」と一心同体の気持ちにさせてくれるのだ。疲労困憊になって机に倒れそうになった時も、Gペンを握り締めている感触が何度も睡魔から救ってくれた。「こいつも先がガリガリになって苦労しているのに、怪我もしていない俺が睡魔に負けてどうするんだ」と強い意志が生まれる。これこそ、不満足な人間のメリットだ。満足していないから前に進む意欲に満ち溢れ、いつまでも成長していられる。原稿を終えた瞬間に満足感と開放感に満ち溢れるようじゃ、漫画家としてもたかが知れている。原稿を描き終えて「もっと頑張れば、今よりも素晴らしい作品が出来上がった筈だ。次は完璧を目指して努力しよう」と自信に満ち溢れて最高のスタートダッシュを切れる。一方、原稿を終えて満足した人間は次の仕事を迎えた時に舌打ちをしながら机に向かって無気力なままにペンを動かす。そういう人間に限ってゼブラペンを使用しているのだ。新井の場合は、あのペンを使うと無気力な自分が出現してしまい、どうしても仕事に集中が出来なくなってしまう。気晴らしに聞いていた音楽を夢中になってノリノリに踊り始めて、一日を無駄にするなんてザラだ。ゼブラペンを使うと簡単に描けてしまうから、そこに惰性と慢性が生まれてしまう。惰性と慢性はスランプを生み出して、最悪の場合はイップスを引き起こす可能性が大である。どんなに忙しくても手を抜かずに原稿と向き合うのは、連載順位を落とさないためにも必要な絶対事項であると新井は考えていた。今現在、新井は看板漫画の称号を獲得しているのでカラー原稿を用意しろだの、ページ数増加の依頼などを一手に引き受けていた。出版社からの命令は絶対なのもあるが、好きな事を仕事にしているからには中途半端な結果は許されない。世の中には仕事をするために出社しても、仕事がまったく無く暇な部署は少なからず存在している。某ドラマで例えるならば特命係だ。仕事を与えられないから暇を弄ばして他部署の上司から「暇か?」と嫌味を言われてしまうのだ。毎日毎日何もせずに机に座っているのは拷問に等しく、我慢の限界になった眼鏡老人は顔をプルプルと引きつけながら「行きましょう」と言い出すのだ。あれは正義感の強さの表れもあるが、仕事もせずにジッと椅子に座り続けているのは何よりも苦痛だからである。新井はあのドラマを見る度にそう思ってしまうので、仕事を与えらているのは幸せだと感じるようになっていた。




