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015  後輩の背中


 21歳という若さで某大手出版社の連載を抱えるのは、史上初の快挙である。人々は手塚治虫の再来と呼んで新井幸造に称賛を与え続けている。それがプレッシャーとなって精神に痛みを生じさせているのを知らないで。人間は期待されて素直に喜ぶ人間と、素直には喜べない人間がいる。ハッキリと言えば新井は後者の方である。称賛されるだけでは何も得られないのを知っているからだ。批判続きの雨にさらされて、ある日突然称賛の日差しを浴びるぐらいの比率が丁度いい。比率で言えば批判が9で称賛が1だろうか。とにかく新井には評価の類はいらないのだ。どんなに漫画賞を総なめしても満足感など得られる筈も無い。そんな賞よりも漫画を描くのが好きで趣味にしている方がよっぽど満足感を得られる。人に褒められるのは確かに嬉しい気持ちもあるが、それ以上に不振の種となりやすいのが称賛である。新井は批判されて燃え上がるタイプなのだ。自分を馬鹿にしている人達を見返してやろうと、そこでモチベーションが生まれて努力も苦じゃなくなる。だが称賛ばかりでは自分を見失ってしまい、本当の力が発揮出来なくなるのだ。毎週のように読者から応援メッセージは届いている。中にはダンボール1箱分に応援メッセージを書いて送ってくれるファンもいるぐらいだ。ありがたいとは思っているが、どうしてもファンを失望させたくない気持ちの方が上回る。新井は根っこの部分がネガティブだった。幸せそうに平和な日々を送っているサラリーマンが羨ましくて仕方が無い。自分の作品を世に生み出して利益を生み出す行為は決して平和の二文字では片づけられない。むしろ、仕事場では地獄絵図を現実にしたかのような光景が広がっている。疲労困憊になったアシスタントの一人が何日も寝込むなどは珍しく無い。本来ならば漫画家自身がよっぽど疲れているが、連載を抱えている以上は休憩をしている暇はないと皆が思っている。当然、休日も皆無だ。毎日毎日、部屋の中にこもって原稿をひたすら描き上げていく。どうしても、退屈な日々が続く状況なので、自分の職業に誇りは持てなかった。


 そんな新井が1日の中で唯一ホッとする瞬間がある。それは野球観戦だった。野球部に所属している時は自分の練習ばかりで野球を見る暇など毛頭ない。今活躍しているプロ野球選手の名前など知らなかったぐらいだ。ところが、今では野球観戦をしなければいけない使命感に囚われていた。その理由は後輩の活躍だ。野球部の後輩にプロ野球界入りを果たし、18の若さで40ホームランを放った怪物バッターがいる。その人物の名前は渡辺明。共に甲子園優勝を目指して努力してきた仲である。普段は愛想が良くて挨拶の声も大きいし、ベンチの中では誰よりも大きな声を出して、時にはピエロの役割を自ら引き受けてくれる。だが、選手としてフィールドに出ている時は一転としてクールな表情を見せていた。高校野球の中でもプロフェッショナルを貫いていたのは彼ぐらいだった。丁度今、目の前には渡辺明が左打席に立っている。渡辺明という名前は平凡すぎる理由で、登録名はAKIRAだ。背番号は53番で、期待の意図が見受けられる。代々、プロ野球界に貢献した野手選手は50番代を背負ってきた。AKIRにもきっと、日本の至宝となってくれという球団の思いがあった筈だ。その思いを形として現したのか、AKIRAはコンパクトなスイングをしながらも強烈な一撃を放っていた。応援歌が鳴り響く球場の中でも、凄まじく強烈な音が鳴ったのだ。実況も声を大にして半狂乱状態になっていた。


「凄まじい打球だああああ!!! 大きな放物線を描いているうううう! うわあああああ、入ったホームらああああんんん!!!! 劇的なサヨナラ勝ちを確定させたのは、目が覚めるような一発でした」


 チームのサヨナラ勝利に興奮するのは分かるが、それを踏まえても日本の実況アナウンサーは騒ぎ過ぎである。疲労困憊状態で一刻も早く眠りにつきたいと思っている新井みたいな漫画家には少々耳触りだったりする。だが、それが日本野球界の伝統だと思えばどうと言う事は無い。実際に新井はソファーから立ち上がってテレビに釘付けになっていた。特大のサヨナラホームランを放っても、涼しい顔でダイヤモンドを一周する後輩の姿を見て、プロフェッショナルを感じていたのだ。彼こそがプロ野球選手の鏡であると。


「すげえ。さすが明だ」


 何故、人が称賛されるのかAKIRAのプレーを観て分かった気がした。人々は無意識の内にスーパースターを求めているのだと。自分の空っぽになった欲求の器を満たしてくれるのは一部のだけだ。AKIRAは若くして全国的知名度を持っており、インタビューの際にも人を惹きつける言葉を巧みに使っている。しかも平然として好成績を続けているので称賛したくなる理由も分かる。もしかすると、自分も人々から好かれるだけのポイントを持っているのかと、新井は考えていた。称賛を嫌っている新井が思わず褒め言葉を使ってしまう人物。それこそが渡辺明という人物だ。漫画家として暗闇を彷徨っている今でこそ彼に会って話しをすべきだ。そう判断した新井は急いでスマートフォンを手に取ると、ラインのアプリを開くのだった。



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