審判の日《ブービー・トリップ》
コードネーム『エンドスケルトン』。それはジョンが考えていた以上にただの骸骨などではなかった。
今ゆっくりと青く輝き出しているのだから。
自分の目で見たものが信じられなかったジョンだが、次の瞬間には本能的に何かを感じていた。
――コイツが根源なのだ。青白い発光。きっとこの輝きが何かしら原因の一つなのだ。近くの人間に対して奇妙な影響を与えているに違いない。それにしても、これではまるで本当に光り輝く水晶のようではないか……。
科学者でありながら起こっている現象を論理的には全く説明出来なかったが、ジョンは完全に確信していた。
その間も、エンドスケルトンが放つ目映い光は更に輝きを強めていく。
防護スーツを着ている男性助手の一人が、ジョンの方へと近づいてくる。
「博士、博士ェ」
死人のようにふらふらと歩きながらよろめく。覚束ない足取りだった。
絶え間なく続いていた苦痛のノイズ。その中で、誰かの優しい声が聞こえた気がした。遠い昔に聞いたことがあるような声。
するとジョンを苦しめていた異常音が消失する。解放感。
そして訪れたのは静寂。
あらゆる音が消えた。自分の息遣いや心臓の鼓動さえ最初から存在しなかったかのように。入れ替わりに、何かが入り込んでくる感覚――
助手はジョンの腕を掴んだ。マスク越しに焦点が合っていない助手の目が見えた。
「博士ェ、痒いんです、体中が痒いんです、痒いのに掻けないんです」
助手は尋常ではないほど異様に冷や汗もかいている。
「なんとかして、なんとかしてェ、いィヒィー」
顔を歪ませた助手はジョンの腕を掴んで離さない。肌を次々と蝕む痒みの連鎖、その感覚が周囲の人間にまで伝わってくるかのような形相。
だがそんなことはどうでもいいほどに、ジョンの視界は渦を巻いていた。五感を巻き込みながらぐるぐると混ざり合い、わけの分からない感覚に陥る。
ブラックアウト――
全ての感覚が遮断された。
何も見えなくなる。
真っ暗闇だった。
不思議と不安も感じない。
――フェードイン。
知覚が新生していく感覚。
視界が開けてくる。
明度が上がった。
見覚えある光景が広がる。
ジョンが視認した光景は、研究実験室の隣にあるモニタリングルームだった。空中から覗き込んでいるような不思議な視点だった。
幽体離脱現象という言葉が脳裏に浮かぶ。だが視点はジョンの自由にはならなかった。映画を見ているような状態だった。
そして、モニタリングルームの様子はいつもとは違っていた。
モニターやスイッチが並ぶ部屋で数人の人間が倒れ込んでいる。作業服を着た職員達はピクリとも動かない。警報が鳴らなかった理由、可能性の一つはこれではっきりと分かった。
空中からの視点では職員達の顔までは見えなかった。気絶しているのか、それとも死んでいるのか。
もしかしたら眠っているのかもしれない。だが全員が一斉に睡眠状態に陥る可能性、それはテロでもなければ最も低いだろう。
これがテロなどではないこともジョンは知っていた。超知覚状態の今なら尚更である。
――視点がゆっくり動き出していた。まるでジェットコースターに乗っているかのようだ。ジョンはもう身を任せるしかなかった。
ジョンの視界は透明人間のように壁を通り抜け上昇した。地下から建物の外へと勢い良く飛び出していく。
昼時の太陽が眩しく感じた。開けた視界に基地周辺部の光景が映ってくる。
荒野のように見通しの良い土地。砂地と道路の光景。北東にはグルーム乾燥湖と滑走路も見えた。
基地周辺には空軍の戦闘機も数機止まっているが、動き出す気配は全くなかった。
あちらこちらに兵士達が数人ほど倒れている。モニタリングルームで見た職員達と同じ状態。ぴくりとも動いていない。ジョンの中には既に諦めにも似た心境があった。
視界が一気に跳躍する――
どこかの街が見える。
空中のレールウェイにカメラが乗っているかのように、俯瞰視点がスムーズに移動していく。眺める街中の様相、それは研究実験室内と全く同じ状況だった。
道路や店や家、様々な場所で次々と狂っている人々。子供から老人まで無関係に徘徊もしている。正に阿鼻叫喚の絵図。
ただ一つ違っていたのは、人の顔がまるで仮面の顔だった。顔や表情が削ぎ取られてまるで鏡になっていた。双眸だけが骸骨のように暗く沈んでいる。
だが、ジョンには人々の状態や心理が不可思議にも理解出来ていた。
多分この街以外の他の場所でも同じことが起こっているだろう。これは世界規模で起こっている。結局通信を試しても、どこにも通じることはなかったのだろう。ジョンはそう感じていた。
ジョンにはどうすることもできなかった。空中からこの狂乱をただ見ているしかない。
そもそも、意識は覚醒しているのに感じ方は白昼夢のようだった。何が現実で何が非現実なのか。これが現実なのか妄想なのか分からない。
なのに感覚は鋭敏に見えないものを感知していた。人々や誰かの喜びや痛み、憐憫も感じるかのように。
人々の感情が燃え尽きて、灰になって消え失せるのをジョンは感じていた。
――シャットアウト。
意識が切り替わる。
我に帰ったジョンは変わらず研究実験室に佇んでいた。防護スーツを着た助手にまだ腕を掴まれたままだった。
まるで身体の感覚が掴めない。神経を切り取られてしまった感覚、身体の一部を分断されたような喪失感がある。
ジョンは自分がまだ生きているのか、それとも死んでいるのかよく分からなかった。
何よりもジョンを襲ったのは圧倒的な孤独感だった。自分の存在も曖昧でよく分からない上に、他の全てから切り離されて孤立しているという実感。そんな中で正常な精神を維持することは難しい。
ジョンは無意識でローズを見た。唯一、心の拠り所になるかもしれない相手を。
ジョンが最後の力を振り絞る。掴まれていた腕を振り払い、助手を押し倒した。
そしてローズの元へゆっくりと、不自由な歩を進める。ローズの名も叫んだ。
懸命に呼びかけるジョンの大声も、ローズにはまるで届いていないかのようだ。
ジョンの呼びかけとは無関係に、彼女はその身を小刻みに震わせていた。遂には膝を床に着けてしまう。
もう少し、もう少しでローズに届く。
その時見えた。
ローズの涙。
ジョンには分かった。
骸骨が浮遊している。
エンドスケルトンが腕を広げ天を仰いでいた。




