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狂宴《ヘヴンズ・ドア》




「……天国なんて無い! 無いんだよ!」


 男性の声。助手の誰かが悲鳴にも似た声で叫んでいた。

 その絶叫とほぼ同時、エンドスケルトンに繋がっていた生体情報モニターが異常な数値や波形を示す。平常時では有り得ない状態。

 滑稽さがあった時よりも更に異様な雰囲気が辺りを支配した。

 モニターの異常値に呼応するようにして、防護スーツ姿の助手達も次々と挙動がおかしくなっていく。

 研究実験室内は一気に集団的パニックへと陥った。


「誰なの? ……扉? なんのこと? ……イヤよ、そんなのイヤ、イヤよ、ここから、出し、出してェー」


「……母さん……母さん、行っちゃダメだ……母さ……、エン……ディ……、うぅ……あぁ……」


「――天国? だま……だま、黙れよ! 黙れ! 黙れっ! だ黙っ――」


「――海……そうか……! 海か……! そう! 南の海を目指せ……! 皆目指せ……! アハハハハハハ――!」


 涎を垂らし壁を叩く者。

 部屋の隅で頭を抱えて丸くなる者。

 その場で怒り狂って叫ぶ者や、ひたすら笑い転げている者――


「暑い。暑いな。クソ暑い。脱がないと。これを早く。早く脱がなければ暑すぎる。これでは暑くて死んでしまうじゃないか」


 先程までは平然としていたにも(かか)わらず、今では苦悶の表情で防護スーツを必死に脱ごうとする者までいた。


「暑い。全く。暑いこれを脱いだら家でNBAバスケでも見よう。ゆっくりアイスでも食おうじゃないか」


 必死に暑いと口走っているが、室温も防護スーツ内の温度も変化はしていない。

 助手には経験も豊富で実地に優れた者達が選ばれていた。いざという時パニックを起こさないように心理的な訓練も充分に受けている。この様な混乱はそう簡単には起きないのだ、普段ならば。

 しかし、研究実験室内の助手達の言動はもはや常軌を逸していた。正常な精神を保つ助手はもう一人も残っていないようだった。

 一方、ジョンやローズとて異変に対して例外ではなかった。


「なんだ……これは」


 ジョンの耳には聞こえるはずのない奇妙な音が聞こえていた。微かに聞こえるノイズは、まるで誰かの囁き声のようにも感じられた。

 どこからともなく聞こえてきた音声は徐々に大きくなっていく。喋り声がジョンの耳元に近づいてくる。

 耳障りな音はジョンの頭の中に粘り着き、神経の中を掻き乱した。軽度の頭痛に見舞われ鳥肌が立つ。

 異常な音域を持つノイズは分裂しながら増えていった。更には無数の音が重なり集束していく。かと思えばまたバラバラに響いてくる。それが繰り返される。


「耳が……クソ! 何なんだ!」


 幾多の奇怪な声が一斉に耳元で囁いている感覚。それはまるで、聴覚器官を通じて何者かが迫ってくるような圧力感があった。

 平行感覚と遠近感までもが狂うような混乱を初めて味わう。ジョンは吐き気も催したが、嘔吐はなんとか耐えてみせた。

 尚も受け入れまいと抵抗を続けるジョンは、自分の耳を切り取ってしまいたいという衝動にも駆られた。

 だがジョンは防護スーツを着ている。今すぐには耳を切り取ることは叶わぬ願いである。それはジョンにとっても幸運であった。防護スーツなしで状態が悪化すれば、自分の耳を切り落としているかもしれない。

 苦痛と混乱の中でも、ジョンはなんとかローズの方へ目をやった。彼女はまだエンドスケルトンを凝視している。

 伺い知れるその表情は、明らかに恐慌状態を呈していた。ローズの顔は今まで見たことがない程に青ざめている。唇からは血の気が引き、青い目には涙の粒を浮かべていた。


「おいローズ、ローズ!」


 ジョンが大声で呼びかける。

 無反応だった。立ち尽くしたローズは視線を骸骨に縫い付けている。観続けたくもないのに眼を逸らすことが出来ないかのように。

 彼女も異常な状態に陥っているのは火を見るよりも明らかだった。

 ジョンは天井の隅に視線を飛ばす。監視カメラが設置されている。研究実験室の監視カメラは記録用のカメラでもある。音声も拾っている。レンズの脇にあるLEDランプは赤く灯っていた。赤は録画中である印。

 監視カメラは現在もしっかりと作動している。

 隣り合わせのモニタリングルームからも監視カメラを通して研究実験室内の様子が見えているはずだ。当然室内の異常事態にも気づく。

 この騒ぎで今頃十中八九緊急措置が取られているだろう。それは物理的封じ込めだ。

 ジョンは異常音が響き渡る頭を抱えながらも扉へと駆け寄った。そこが唯一の出入り口であるからだ。

 扉が開いたとしても、すぐ先で隔壁が下ろされているかもしれない。だが黙ってここに閉じ込められているわけにもいかない。

 扉の取っ手を掴む。

 ……やはり。電子ロック式の分厚い扉はピクリとも開かなかった。封鎖されている。これでは出られない。


「チクショウめっ!」


 施錠を予測していたし仕方ないことではあるが、ジョンは悔しがった。

 後は緊急時用の通信を試すぐらいしか打つ手はなかった。どの道、事態が収拾するまでは研究実験室から一歩も出られないだろう。

 それにしてもおかしいところがある。さっきから一向に警報が鳴っていないのだ。扉が開かない以外は平時と同様だった。

 警報が鳴らないのは電気系統のトラブルだろうか。だとしたら端末は正常に作動するかどうか、更に通信が通じるか否か。強い不安感が募る。


「くッ」


 ジョンの表情が苦痛で歪んだ。絶えることなく不快感を煽ってくる幻聴と、それに伴う影響によって思考も直ぐに鈍る。

 こんな状態であれこれ考えても時間の無駄だろう。そう理解してなんとか踵を返したジョンは、不安定な足取りでローズに近寄っていく。


「ローズ! 大丈夫かローズ!」


 先程と同様、ローズに変化はない。エンドスケルトンを見つめたまま身動きしなかった。

 見回せば、他の助手達も状態はさほど変わっていない。研究実験室内のあちらこちらで狂気に捕らわれ、苦悶の顔で身悶えしている。放心状態に陥っている者もいた。

 通信機能を持つモニター端末は、エンドスケルトンを隔てた向こう側の壁際に設置されていた。普段なら何でもない距離だが、今の状態では酷く遠方に感じる。

 ジョンは再び彼女の方を見た。

 こんな時だというのに、苦痛を差し置いてなぜだか不思議な気持ちになる。

 まるで神に祈りを捧げる修道女みたいじゃないか。背景は聖堂とは程遠いが、研究室という無機質な白い空間はどこか神秘的で、相まって儚いような荘厳な美しさがある。

 そんな彼女が、とても愛おしい。

 ……愛おしい? ローズのことが?

 酷い幻聴で脳味噌までやられてしまったのだろうか。彼女への愛情なんてすっかり冷めてしまったと自覚していたはずだ。

 彼女に対してまだそんな感情が残っていたのかと、ジョンは自分に対して呆れた。こんな状況なら尚更だった。余りに呑気過ぎるではないか。

 それにローズの目の前にいるのは神でもなければ、ましてやキリスト像でもない。

 ローズの目線の先。そこに座っているのは信仰の対象ではなく、白みがかった淡黄色の骸骨だった。

 だがジョンは自分の目を疑う。

 骸骨が青白い光を発していた。




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