プロローグ(表紙画像あり)
太陽が眩しい。長身痩躯の青年はそう認識した。
陽光は余り好きではない。だから青年は長めの黒髪を隠すようにして上着のフードを深く被る。
灰色の衣を着た彼は、神々しい深山の斜面を足早に降りていた。
空は青く、雲は白く、森は緑色。辺り一面が色鮮やかだった。
しかし灰色の彼は景色にも無関心で、ひたすら淡々と歩き続ける。
繁茂している草木が青年を避けていたが、彼はそれを正常な事象だと誤解していた。
青年の名はエンディミオン。
聖なる山の頂きで目覚めた彼には記憶というものが全くなかった。自分の名前すら知らず、己が誰かも分からない。
だがそもそも、エンディミオンが自身や過去についての何かを疑問に思うことなど、万が一にもなかった。
灰色の衣を纏った彼はただ、まだ見ぬ宿命だけを感じている。
遥か彼方にある姿なき月だけが、愛するエンディミオンの全てを知っていた。
エンディミオンが聖なる山を降りた時、太陽はとうに顔を隠していた。代わりに三日月の姿が見えている。
美しき三日月を眺めると、黒髪を晒した彼はえも言われぬ懐かしさを覚えるのだった。
それから間もなく、エンディミオンは聖なる山の麓で一匹の賢そうな猿と邂逅する。
珍しく利口な猿は、鼻筋の通った彼の顔立ちと、漂う知性を盛んに褒めちぎった。
猿は長い指で夜空を指差す。月の女神もあなたに恋をするだろう、エンディミオンの美貌と知性をそう称えるのだった。
こうして猿は一晩だけエンディミオンを引き止めた。藁を焚き、懇情の宴を開くのだ。
猿はエンディミオンから灰色の衣を預かると、衣を丁寧に畳みながら身の上話を始める。
――自分には生まれてこの方名前も服もないのだと、猿が物悲しげに話した。エンディミオンはただただ黙って聞いているのだった。
猿は嘆く、あなたのように美しくありたいと。服を着て、もっと賢くなりたいと。それが無理なら、せめてあなたの美名が欲しい。猿は月光の下で彼に哀願した。
己の名も知らぬエンディミオンは、小賢しい猿の求めに半分応えることにした。エンディミオンは自分の名前の代わりに何かを耳打ちする。
そしてエンディミオンが猿に優しく告げた。
「君はまだ知らないだろう。天国ではみんな、海の話をすることを」