植物と交わる為のマスク
人類は、もう文字も失ってしまったらしい。旧文明の記録――全ての電子データは失われ、人の手により記されたもの、印刷された書物の形だけが遺されている――を読み解くことができるのは、おそらく数人ほどの錬金術師、そして、死をまぬがれ目覚めた私くらいのようだ。
地上を――海も空をも――征服していた人類の科学文明、機械文明は、何ともくだらない理由で、そして、何ともあっさりと崩壊した。人類はまたたく間に数を減らし、誰も保護する者のいない、はかない希少種となった。そんな世界に、医者だより薬だよりであった私が生きていることは、おかしなことではあるのだが。
人類に代わって復権を遂げたのは、植物たちである。ありとあらゆる人造物を覆い尽くし――人類は植物たちの世界の所在ない居候となった。
職業という役割も持たなくなった人類だが、医者を兼ねるまじない師と、そして、かつての文明のどこかで息をしていた錬金術師とが、職業と言えば職業として、人々の間にあった。
私を冷凍睡眠から目覚めさせたのも、この錬金術師である。「さほど美しいとも思わなかったから」という酔狂な理由によって。
実際のところ、機械文明の終焉とともに、私の生命維持も終わっていておかしくなかった。そのようにして死んでいった冷凍睡眠者の姿を、何体見たことだろう。
話がそれてしまった。眠りに就く以前と変わらず、私は人間が苦手である。それは、喧噪の文明を失い、植物たちのうちに生きることになった人間たちが相手でも変わらなかった。むしろ、もっと悪くなったのではないか。所詮、自然の対義語であった人工の、その人間に変わりなかった。それが大方の作り出された所有物や技術を失った様は――かつて日陰にあり人類の手を恐れていた、黒くねばねばとした小さな粘菌の生活そのもの――そのように私には思えた。
私の関心は、植物へと向かった。
力と美とを誇示し、烈しい生命の爆発を惜しみなく繰り返す植物たち。
燃え盛り地を焼く火のようであり、荒れ狂う波のようであり、増殖して止まない雲のような――世界の王。それが時に、星のような露をきらきらと零す様は。
交わりたい――と切に願った。
しかし、植物たちの中にあって、私は、「不浄」なものであった。
私の目は、旧文明の頃の疲弊からか、あるいは冷凍睡眠の後遺症か、見る物すべての像が歪み、乱れていた。そのような目では、まともに植物の姿を見ることも難しい。
また、人の口は、穢れたものを排出する器官らしい。それは吐き出す息であったり、つまらない言葉であったりするのだが。
臆する私に、かの錬金術師が与えてくれたのは、旧文明の遺物を用いて作られた眼鏡であった。私の目は、これを通して植物たちを見る。脳の奥にまで植物たちの色が入り込んでくる感覚は、大変に心地良い。
さらにこの気の利いた眼鏡には、口元を覆うベールまで付いている。このベールを通し、私の吐く息は清められる。植物たちと向き合うのに相応しく――私の言葉もまた、清められていく。
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