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異世界食堂『天竜』  作者: 杉乃悠一
親子丼とボウガン隊
7/8

その四

 シルヴァーナを帰してちゃんと施錠をし、釜の火を落としてスタッフルームの奥に向かう。そこに有るのは松の絵が描かれた何の変てつもない襖。

 いや、変てつはあるんだ。これが無いと俺は生活できないから。

 手前で靴を脱ぎ、襖を開け、その先にある色の無い濃霧に突入する。

「お帰りー、遅かったねぇ」

「おう、働いてきたか」

「ただいまー」

 濃霧を抜けた先は、恰幅の良い母さんと、ハゲ上がった父さんの居る我が家の居間。つまりこの襖、異世界への通り道なのである。





パッと見ただ焼かれただけの無骨な鶏の塊を大口を開けて頬張る。サイコロ状に切られたそれは、見た目に反して柔らかく、繊維状に解れ、中に染み込んだ塩コショウとバターの味を解き放つ。味付けに負けないくらい強い肉の味は一切の臭みがなく、噛めば噛むほど奥から肉汁が溢れる素敵仕様。流石我が家のおもてなし料理担当。一見簡単なようで工夫された一品で、俺の腹を満たしてくれる。

「ごちそうさまでした」

 感謝。深く感謝。鶏肉にバターという西洋では当然の組み合わせをここまで昇華できるとは思わなかった。

 そんな我が家の料理人ことマイファーザーは、最近出た携帯ゲーム機で弟と通信している。もうすぐ五十なのにファンキーな親父だ。

「貴利、食い終わったなら囮やれ」

「ざっけんな、オンラインで適当にだまくらかせ」

「おい聞いたか? 今あいつサイテーなこと言ったぜ」

「あれだよ。下手だから死ぬで」

「「や~いヘタッピ~」」

「ぶっ殺すぞ」

「「すねんなよ~」」

「うるせぇ!」」

 同調してウザさ二倍の父さんと弟を無視して自分の部屋に向かう。居間を出る最後の最後まで煽ってきたが無視だ。仕事に、ひいては俺の命に関わる重要な案件があるのだ。遊んでなんかいられるか。

 引き戸を足で開ける。地上二階の西向き六畳一間。俺の城だ。

 本来俺しか出入り(弟と妹は例外)しないはずの部屋には、俺の呼んだ先客がいた。俺が高校の時に買った財座椅子で本を読んでいる。

 名前はエルリック。明らかに日本人ではない、北欧ののどかな国の人間みたいな女子大生に受けそうな顔で、髪は金。無論兄弟じゃない。俺が向こうで行き倒れているのを拾ってきた。もう二年も前の話だ。

「本好きだねぇ」

 俺が声をかけると、今気づいたようにハッと顔を上げ、慌てて立ち上がり、見事な敬礼を披露した。

「お勤めごくろうさまっす!」

「はいはい、別に怒んないから敬礼やめる」

「はいっす!」

 エルリックは腕を降ろして直立。苦笑いしながら「好きにしていいよ」というとやっと座った。

 昔は向こうで騎士団長やってたらしいが、今じゃ舎弟擬きの人生を全力で謳歌するシーサーTシャツの外人だから時の流れってのは恐ろしい。

「すまないっす。勝手に入って」

「気にしねぇよ。カステラも許してやる」

「ははは……」

 何「やっぱバレた」みたいな顔してんだ。部屋中甘ったるい匂いで一杯だ。今日食べようって楽しみにしてたんだぞ。

 それはもとより、いつまでも立ってるのは辛い。俺はエルリックの横を過ぎて勉強机の椅子に腰かける。

「今日シルヴァーナに恐竜の群れが近くを通るって聞いたよ」

「へ? もうそんな時期っすか?」

「あいつ仕事が増えるって愚痴ってたよ」

 エルリックは本を畳むと懐かしげに目を細める。小さい頃から騎士やってたらしいし、何回か体験してるのだろう。

「ホントに来るのか? 二年住んでるが来たことないぞ」

「あれ三年に一度っすもん」

 どこまで行ってんだ。普通年一でくるでしょうに。

 まぁ、本題はそこじゃない。

「あれ来ると治安悪くなるんだろ?」

「え、そうなんすか?」

「ほぇ?」

「いや、俺のいた頃は特に何もなかったすよ。強いて言うなら外に出れないから人が増えて、スリが増えるくらいっす」

 エルリックに嘘ついている素振りはない。というかこいつは俺に嘘をつかない。

「まぁ、時代が変わったんだろ。そういう訳で明日店の用心棒頼めるか?」

「大丈夫っすけど、タカさんに休むって言ってからでいいっすか?」

「いいけど、言うなら途中で抜けないといけないから自分でかくにんしてろよ」

「へ?」

 なぜ呆ける? そうか、いつも俺が出る時はまだ寝てたな。

「店開けんの五時だぞ」

「マジっすか?」

 マジです。







 天竜の朝は、まだ日が昇らない午前五時に始まる。

 まずは食材と冷蔵庫の氷を運び込む。軽自動車のボンネットよりも大きい氷を手袋をして持ち上げ、ぶつけないように縦にして運ぶ。持ちづらい上にかなり重いが、二年もやってれば馴れたもので足で業務用冷蔵庫の扉を開け、一番上の収納スペースに氷を滑らせる。

 次に食材だ。肉、魚、野菜に果物。パンに米に調味料。まだ届いていない分はあるが、それを除いてもコンテナ十個分。重さにして五十キロってところか。

「エルリック、野菜頼んだ」

「ふぁい、りょうかいっす~」

 大丈夫か、あれ。今にも寝そうだぞ?

 かまどの蓋を開き薪を放りこむ。先週使った残り油を柄杓一杯分かけて、マッチで点火。火は瞬く間に油の上を走り、炎へと変わった。

「野菜、置いとくっすよ~」

「あいよー。次は店の掃除な」

「うぃっす」

 次は米を炊かなければ。といってもこちらの世界はパンが主流で、あくまで米は嗜好品。という扱いなので十升炊いておけば一日持つ。残りは我が家で冷凍保存だ。

 店のすみにある小さな井戸から鶴瓶で水を汲み上げる。キンキンに冷えた透明な天然水は少し硬いものの、水道水とはやはり一線を画したご飯が炊ける。ほかのメニューもしかり、ものによってはフィルターを通して硬度を下げるが、基本的に万能な水だ。

 えっちらおっちらと水を運び、米を腕全てを使っている研いでいると、店の玄関につけられた鈴が鳴った。エルリックがゴミでも捨てに出たのかと思い、首をもたげるとエルリックはまだ掃除の最中。その代わり入り口で仁王立ちする、黒い外套に仮面という、宝塚でも見ないような不審者。

「エルリック、ダメだろ札を弄っちゃ」

「弄ってないっすよ!?」

 ならなんで入ってきてんだ。と問いただしたかったが、誤魔化している様子もない。ならこの仮面が開いてると勘違いして入ってきたのか。見たところ新参で、この店を最近知ったやつ。そして学が無くて文字が読めないから『準備中』の意味が分からず入ってきたとかそこらだろう。

「ここが偏屈の貴利の店か?」

「偏屈とは随分な挨拶だな。店が開くのは日が昇って少し経ったら。口が良ければもてなすんだが、あんたはだめだ」

 声の調子から男だろうと当たりをつけ、いきなりの罵倒に青筋を浮かべながらも、ギリギリで踏みとどまって言い捨てる。

 男は悪びれた様子もなく、懐から何かを取り出す。反応してエルリックが身構えたが、出てきたのは羊皮紙だった。

「これは……?」

 中身はこの町の地図だろうか?規則的に交差した線、そして丸赤と青の二つ書いてある。

「我々のアジトまでの地図だ。赤がその場所、青がこの店を差す」

「いい年して秘密基地ごっこか? ここを使うなら有料だよ。ほら帰った帰った。エルリック、掃除の続き」

「了解っす。じゃ、そういうことで、帰ってくれっす」

 踵を返して米の前まで戻る。少し水を吸ったか? まだ、許容範囲。

「キミたちは国を変える気はないか? 原田貴利、そしてエルリック隊長?」 

 瞬間、エルリックがはぜた。

 男の姿がかき消え、エルリックと男を結んだ延長線上の壁が破壊的な音を発する。男は壁に張り付けられたまま首を棒で押さえつけられながら宙吊りなる。やっているのは、いつもののほほんとした空気を、鋭いナイフに変えたエルリック。

「どこで知った? 返答次第では肉片で帰ってもらう」

「流石……腕は衰えてないようだ」

「質問に答えろ!!」

 もう一度エルリックは男を叩きつける。男の口から空気が漏れ、ギリギリと締め上げる音が強くなる。このままなら後数分もしない内に陸で溺死だ。

「やめろエルリック」

「なんで!? 俺の過去は貴利にも危害が及ぶ。俺の生存を知っている人物は少ないほうが」

「そいつはバラしゃしないよ。お前と同じ穴の狢なんだろうよ」

「けど!」

「いいから放しな! お前の顔を知っている奴だ。裏に何がいても不思議じゃあないんだ」

 エルリックは少し躊躇いながら手を箒を首から外して男をぞんざいに放り投げる。男は力なく倒れ、酸欠で朦朧とする頭で立ち上がり、憎々しげに俺とエルリックを睨んだ。

「貴様らぁ! この私にこんな真似をして唯で済むと思っているのか!」

 激昂した。秘密結社の雰囲気が台無しで完全に三下。俺は米研ぎを再開。もう、時間の無駄だ。

「別に思ってないさ、俺はあんたの組織に入らなんで。エルリック、邪魔だからうっちゃってきて」

「はいっす」

 さっきと変わらぬ俊足で肉薄、腰の入った見事なボディーブローが男の腹に突き刺さり、男は呻いて意識を手放した。エルリックはそのまま男を担ぐと「ちょっと捨ててくるっす」とだけ残して店の外へ。

 残ったのは静寂となんかの地図。俺は地図を拾うと一回中身を確認。特にへんなことは書かれていないことを確認してからかまどへと放り込んだ。

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