その三
大分間があいて申し訳ない。
どうせ店の前で倒れるような輩の話だ。飯がマズイとかその程度に違いない。
「もうすぐ襲撃があるんだ。その為の準備に追われていてな」
盛大に水を吹き出した。
「ゲホッ……そういうのって事前に分かるものなのか?」
「人なら分からん。だが、今回攻めてくるのは恐竜の群れだ」
作業台の上にぶちまけた水を拭き取りながら俺は「成る程」と相槌を打った。
恐竜とはその名の通り、人の栄える何億年前に世界を支配していた巨大な爬虫類の総称である。地球では滅びてしまい、今は博物館に骨を残すのみだが、こっちの世界では何の因果か姿を変えながらもバッチリと生き残り、人の上に立つ人類の天敵として、食物連鎖のトップに収まっている。
俺は恐竜に全く興味が無いので各種の詳しい生態を知っているわけではないが、どうもこの街の近くを数年に一回通る種がいると聞いたことがある。おそらくそいつらが来るのだろう。
「塔の観測員が西からやってくる恐竜の群れを確認している。砦を越えられたことは無いらしいが、この時期は毎年治安が悪化するらしく、対策に追われて……ろくに休めもしない」
「そりゃ、まぁ……ごくろうさん」
この一言が引き金だった。
シルヴァーナは飲んでいたジョッキを割れるかと思うほど強く机に叩きつけると、堰を切ったように捲し立て始めた。
「全くだ! 私の直属じゃないのに報告書を持ってくる若い奴はいるわ、人が足りないからって巡回範囲が増やされるわ、事務の失敗で足りてなかった装備と食糧の調達をしなければならないわ、便利屋か私は!」
口はなおも塞がらない。愚痴の対象は騎士団の中から一般市民に変わり、家の雨漏りの修理だの、馬の飼い葉の手配だの、おおよそ戦闘集団のする事ではないモノまでやらされた。ドンドン激化していき、最終的には襲撃時に砦の門を開けて市民を減らそうなんていう、ここいがいで言ったら処刑ものの発言まで出だした。
仕事に追われた酒飲みのおっさんか。
「店主、酒だ! 預けた金で飲めるだけ持ってこい!」
本当に酒飲みになった。
「良いのか? 勤務中だろ」
「本来なら非番だ!」
完全にダメな酒飲みと化した元清廉恪勤な騎士様は子どものように駄々をこね始める。恥も外聞も捨てたその暴れようは色々と哀愁を誘うものがあったが、このまま衝動に任せて店を破壊されては敵わない。仕方なしにコの字型のカウンターの床下収納を開けて、タップリ詰まった氷に沈むワインを一本取り出し、栓を開けて突きだ……す前に手から消えていた。
「んぐっ……んぐっ……ぷはぁっ! あ~うまい。仕事を抜けて飲む酒は格別だ」
「待て待て待て! いくらドイツの軽いのだからって一気飲みしたら__」
酒の中でも比較的度数の低いワインと言えど酒は酒。慌てて止めるも、酔っぱらい特有の腕力で弾き飛ばされ、背中を強打する。
「い~な~。こんな酒呑めるのか~。毎日来ようかな~」
「言わんこっちゃない。しかも下戸か、こいつ」
気がついたのは酒宴のような賑やかな声のおかげだった。
何時の間にやら意識を失っていたらしく、周囲は夜の色で染め上げられていた。寝ていた場所も記憶に無い。ただ、妙に柔らかい床に寝かされていたようで体は痛まない。
寝起き特有の混濁した意識がゆっくりと覚醒していく。鼻腔に果物らしき甘い匂いと酒精の香りを感じて、寝る前の記憶が蘇ってきた。
酔って寝てしまったか……
別に初めての事態ではないが、私が酒を飲むのは家だけだったので少し困惑してしまう。「ここは何処だ」と自問しても「そんなの知らん」と自答が返ってくるだけで状況が分からない。僅かに開いたこの部屋の扉から差し込む光を頼りに慎重に扉へ近づくと、片眼だけ出して外の様子を伺った。
「やってるかい、大将?」
「おう、適当に座んな。何時ものでいいかい?」
「兄ちゃん、私アジフライ食べたい」
「おれトンカツ!」
「あいよ! すぐ揚がるから座ってまってな」
「お兄さーん、お酒とお兄さん追加~」
「黙って呑んでろ、酔っぱらい娼婦!」
私が少し前まで愚痴を溢し、飲み食いをしていた場所で、今度は見るからに家無しの人間が食事をしていた。鎹型の厨房を行ったり来たりしている店主と浮浪者たちは笑いあいながら酒を飲み、飯を食らっている。
それが私には衝撃だった。この街で浮浪者とは犯罪者の別名。彼らは金を盗み、人を殺し、女を犯す。街の人間は浮浪者であれば子どもですら容赦がない。店に入ろうとすれば箒で叩かれ、女に近づこうものなら憲兵を、表通りを歩いただけで袋叩きにするくらいだ。
しかし、この店はそんな彼らを受け入れ、彼らも店主に危害を加える様子はない。ただ、食事をしているだけである。店主の豪腕にかかれば、彼らなぞ塵に等しいだろう。この前のように襲われることだってあるだろう。そんな中でも彼は笑い、私と変わらぬ食事を出している。そんな事に私は価値観が反転するような衝撃を受けのだ。
「美味かったよ。お代、ここに置いとくよ」
「バイバーイ兄ちゃん!」
「おう、また来いよ!」
「こっちに来たら絶対に私を買ってね」
「誰が買うか」
ポツリポツリと客が帰りだす。そして空いた席にまた別の客が座り、世間話を交えながら店主に注文をしていく。この際、彼らの金の出所には目を瞑ろう。スリは現行犯でしか逮捕出来ないし、全うな金かも知らん。
ところで、私の鎧はどこだ?
「ありがとねー!」
最後の客を見送った俺は扉に掛かっている札をひっくり返し「準備中」にする。しっかりと施錠し、ゆっくりと息を吐いた。
「うし、終わりー」
今日は大入りだった。元手回収どころか明日の分まで稼げるなんて久しぶりで、充実感で体が満ちている。赤字だったころが懐かしいよ。
「お疲れさまだ。スゴい人気だな」
この店を始めた当初の事を思い出していると、待機室から鎧を着ていないシルヴァーナが出てくる。そういや居たなコイツ。
「起きたか」
「美味そうな匂いに誘われてな。にしても、浮浪者を相手に商いをしているのか」
「こんな立地だ。他に来るのなんてお前くらいなもんさ」
「危険じゃないのか?」
「ないよ。もちろん昔はそうじゃなかったけど」
向けられる刃物、飛び交う怒声、キレイに咲いた命の花。開店当時はまさに貧民街って感じだったが、俺のところに強盗したら一発でのされるのがわかったのか、ある時期を境に来なくなった。強盗すると俺が怒って閉店して、日雇いのタダ同然の給料で食える飯がなくなるのも大きいだろう。客の一人が「こんなはした金で腹一杯食えるとこなんてここしかない」と言っていたからな。
「……お前ならもっと良いところに店を持てたんじゃないか?」
「どうだか。出せたとしてもギルドや地主やらに色々言われて楽しくなさそうだし」
本当は別に理由があるんだが、言ったら信じないか、もしくは興味を持たれてメンドイ。もちろん嘘は言ってないし、あんな存在意義が分からん組織の下になんぞ付きたくもない。
「立場上注意するが、ギルドに入ってないと色々と面倒だぞ」
「バレなきゃいんだよ。その証拠に、3年この店やってるけど一回も注意が来ていない」
「見つかっても知らんぞ?」
「そんときは店捨てて田舎に帰るさ」
そんな残念そうに溜め息はかれてもギルドに入らないし、考えを曲げる気はないぞ。
「だからってなんでここにした……」
なんで……ね。
「なんでだろうね」
捕捉説明
この世界にはギルドが存在しており、経済活動の統制を行っている。商売、もしくは何らかの経済活動には全てギルドへの登録と許可が必要であり、登録していない者は刑罰にかけられる。許可料として全ての経営者に一定金額の上納を強制しており、払えない場合は借金として蓄積する。三年以内に払えない場合は妻子は娼館に売られ、店主は危険地帯での労働を強制される。




