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異世界食堂『天竜』  作者: 杉乃悠一
裏路地の食堂と恐竜の世界
2/8

料理人騎手を拾う

 シルヴァーナがパン粥を食べきると、厨房から出てきた男は机の上に鶏肉を只焼いた物を置く。表面には数種類の香辛料がかかっており、ツンとした香りがシルヴァーナの食欲を刺激した。人の顔は有ったでであろう鶏の胸肉は、食べやすい様にぶつ切りにされ、真ん中の一切れに大きなフォークが刺さっている。

 空腹な人間ならば、我を忘れてかぶり付く代物を前に、シルヴァーナの手が吸いこまれる様にフォークに向かう。

「ハッ、こんな物頂けない」

 もう少しでフォークを掴むという所でシルヴァーナは伸びていた手を逆の手で抑え、頭から邪念を追い出す為頬を張る。

 これは破滅への案内板だ。

 ヘルプストに於いて肉という代物は大変高価で、市場に出回らない。流通する絶対数が少ないことも理由の一つだが、一番の理由は家畜を飼う危険性だ。

 ここヘルプストには『恐竜』と呼ばれる巨大な爬虫類が棲息している。

 小さく素早いもの、大きく力が強いもの、首が長く草食のもの、種類はとても多く、国でもその全貌は把握していない。

 人類は恐竜の棲息地を避け、天にまで届きそうな城壁を造ったり、木の杭を立てた深い堀を掘った。常にある脅威に晒されぬよう身を潜める位置に村がある、山の上の生物の色が薄い地域に村がある。

 そんなのが常識の国で強い匂いを発する家畜を飼育、あまつさえ屠殺など出来る訳も無く、市場に出回るのは狩人が命を懸けて獲ってきたモノだけ。それ以前に法で『定住して家畜を飼うことを禁止する』と明言されているため飼育できる訳もない。

 このリーネの首都『ヘルプスト』では狩人の数は、約四千の人口に対して約五十人しか居らず、しかも定期的に獲物を市場に流せる訳でも無いので、鶏肉というものは一生に一度欠片を食べられたら幸運と言うものである。

(こんな高価な物を食べたら、幾ら請求されるか判ったものじゃあない。……でも食べたい!昔食べた小鳥よりも食べごたえがありそう……いかん、冷静なれ。給料全てを払った所で足りるか分からないし……でも食べたい!)

 理性と食欲の間で揺れ動くシルヴァーナを見て、男は眉を下げ、申し訳なさそうに厨房に消えると今度は野菜の入った琥珀色のスープを持ってくる。それを肉をどけてシルヴァーナの前に置くと、対面の席に腰をおろした。

「すまん、この国は肉が苦手な人が多かったな。野菜なら食えるけ?」

 大雑把に切られた野菜の浮くスープの香りが食欲に直接攻撃してくる。入っているのは見たことのある野菜ばかり。市場で見たことないくらい肉厚なキャベツ、丸々と成長したジャガイモ、透き通った玉葱。皿一杯の粥では到底足りぬとシルヴァーナの腹が訴え出し、礼儀がなってないと分かっているものの、抗い難い衝動に身を任せ、スープの皿を持ち上げて喉の奥へと流し込む。

「いい食いっぷりだ。作った甲斐がある」

 男は満足そうに目を細めた。肘を机に突き、子を見守る母の顔で、食事にがっつくシルヴァーナに微笑む。

 そんな事も意に介さずシルヴァーナはひたすらにスープを掻き込んだ。

「ふぅ……感謝する。あのままだと人拐いに売られるか、浮浪者の慰み物だった。その上食事までご馳走して頂き、本当にありがとう」

 食い終わった空の皿を離し、男に向かって頭を下げる。幾ら疑わしい人物とは言え、助けられたのは事実。シルヴァーナは胸に宿った謝意を外に出そうと、机に手をついて頭を下げる。

「何、人として当然さ。元気になったんならそれでいいさね。お前さんの着てた鎧はソコの箱に入ってるから食い終わったら持ってきな」

 それを男は気にした風でもなく、シルヴァーナの足元にある木箱を指さす。まさか、戻ってくるとは夢にも思っていなかった手前、素直に返却してくれる事に感動を覚え更に深く頭を下げた。

 その時だった。カランコロンと不思議な澄んだ音が鳴り、ガチャッと軽い音がして扉が開き、髪を振り乱したいかにも浮浪者な男が入ってきた。

「いらっしゃい、適当に座んな」

 対面に座っていた男は立ち上がり、入ってきた浮浪者を歓迎する。ここはどうやら飲食店のようだ。シルヴァーナはこれから請求されるであろう決して安くない金額に、少なくない給料で払いきれるのか不安になる。しかし、浮浪者が入れるならさほど高い店では無いとあたりをつけ、多くても給金の半分くらいと覚悟した。

(そう言えば、この店は何の店だ?パン? 野菜? ……まさか肉では無いだろう。一度ギルドに確認を取ってみるか?)

 商店というものはギルドによって、その職種を限定されている。パンを売るならパンだけに、野菜なら野菜だけに限定して商売をしなければならないのがギルドのルールだ。多くの商品を扱うには、多くの許可を取らねばならず、違反すれば国の衛兵にしょっぴかれる。実は自分が及びも付かないほど大きな金額を上納しているのではないかとシルヴァーナは邪推する。

「どうした、座らないのか?」

 男は浮浪者の側に行き、手で座席に案内する。すると浮浪者の右手がズボンのポケットに伸びた。 嫌な予感がシルヴァーナの背筋に走る。

「危ない!!」

 シルヴァーナは咄嗟に叫んだ。

 浮浪者はポケットの中から錆び付いた小さなナイフを取り出すと、男に向かって半狂乱で突撃した。

「金をだせええぇぇ!!」

 喉が枯れていて何を言っているのか分からなかったが、シルヴァーナには分かった。

 彼が危ない、と__

 椅子から転げる様に立ち上がり、せめてこの身を盾に男を守らんと男の前に立ち塞がる。痛みを覚悟し、奥歯が欠けるほど歯を食い縛る。

 __しかし、痛みは襲ってこなかった。

 刺さる瞬間、シルヴァーナのすぐ真横を何かが通った。放たれた矢の様に速いそれは襲ってきた浮浪者の顔面に直撃し、浮浪者の顔の原型を留めないで吹き飛ばした。

「全く、最近はこの類は減ったんだと思ってたんだがな」

 それは男の腕だった。傷まみれで太い腕が、シルヴァーナの顔の右横で殴った余韻を確かめるように静止している。背後から聞こえる底冷えした声はシルヴァーナに向けられていないのに彼女の背筋を冷やした。

「だれの差し金だ?バカっつら」

  

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