隻眼の青年
もう、何百年も昔に、人類は地上から姿を消した。地上には棲めなくなったのだ。度重なる汚染、人類同士の争い、その全てが、彼ら自身を地上から追い出した。太陽の光は人類を照らす事を放棄し、彼らの犯した罪ごと焼き尽くそうとする。雨はそれを洗い流そうとした。やがて彼らは、地下へと住処を移していった。もう、何百年も、昔のことである。
彼は、一人で歩いていた。人類が築き上げた地下都市は、夜も眠らずにいる。太陽の動きに囚われない為、人々はそれぞれ自分の生活に合わせた時間の使い方をしているのだ。自分にとっての朝が隣の人間にとっては夜かも知れなく、逆もまた然り。一日が24時間である必要性もない。人間にとっては毒としかならない太陽光線は、地下都市に充分な電力を送り届け、暗い地下にはいつでもネオンの輝きが絶えず存在していた。
「…眩しい、な」
彼はそう言いながら、右目を覆う眼帯の上から更に掌を当てる。物心つく以前からそれは彼の右目を覆っていて、ずいぶんと幼い時に、彼は祖母から眼帯を外してはいけないと言われていた。彼はその理由は聞かされていなかったが、子供だった彼は、いつものように頷いたことを覚えている。
彼はズボンのポケットから、金属製の時計を取り出した。所謂懐中時計の形をしたそれを、パチリと開け、時間を確かめる。人々が統一された時を過ごさないこの地下都市では、公共としての時計は意味を成さない。しかし、自分という存在の軸としては、それは大いなる意味を持った。
そしてそれは物質的な意味でも多大な価値を持つ。原料だ。食糧は人類がそれまでに培ってきた科学の力で賄うことが出来た。消費者である市民に貧富の差があるにしろ、それらは全てこの地下で作られている。ところが、金属はそうはいかない。鉱物資源が希少となった地下都市では、金属はそれだけで高級品であった。
そして時計もまた貴重品。地下都市の技術により、歯車で動く仕組みとも違い、金属も使われない時計のようなモノが、この地下都市では一般に出回っており、市当局もまたそちらの使用を推進していた。
「此処、だな」
彼はある建物の前で足を止めた。ジャケットを軽く整えて、建物の中に踏み込む。フォーマルな服装のビジネスマンたちの中に入り、カジュアルっぽい服装の彼は多少浮いているように見えなくもない。彼は建物に入るとロビーのカウンターに向かい、社長への取次を求めた。今日の彼の用事は、この建物の会社の社長である男だ。彼はその男に、ある時計を回収するべく依頼されていたのだ。
「アロー、社長。本日も良きお日柄でございまして?」
「君かね………お日柄もクソも無いだろう」
開けたドアにもたれ掛かり、彼は社長にそう言った。巫山戯ているのだ。彼の仕事は、当局非公式の【時計回収人】である。当局に属さない私立の時計回収人だ。公式のは公務のため時計を回収するが、非公式の彼らは回収した時計を高値で売り飛ばす。
「で。頼んだ分の回収は」
「ほぼ済んでる。直に届くはずだ。今日は」
「報酬、だろう?」
「えぇ。いつ頃のお支払いで?」
「…頼んだ分の時計が届いてからだ」
「それ、なんだけど」
彼は隻眼を煌めかせる。社長と呼ばれた男は、隻眼の男の言う内容に察しがついたのか、微かに眉をひそめる。
「何だ」
「厄介な封印が施されてる。正直言って、回収は不可能じゃないかと」
彼が回収出来ないと言う時計には、ある封印が施されていた。それは古の呪いで、神話の中の存在とされていたモノ。人類が地下に潜る遥か以前から、封印の謎は解かれないままだった。「本当に、そう思うのかね」
不意に、社長は隻眼を伏せる彼にそう言った。
「…アンタ聞いてなかったのか?」
「聞いてはいたが。君は我が社の力を見くびっているのかね?」
「そんなコトは」
「たかが神話時代の封印だろう?我が社の技術力には到底及ばんな」
「………」
「君には現場までの案内を頼もうか。その隻眼にしかと刻み込むといい」
それだけ言うと、社長は手振りだけで彼に下がれと命じる。彼はヒラヒラと手を振ると、部屋から退室して行った。
彼が退室した後、社長はその閉ざされたドアに向かって一人、にんまりと顔を歪めていた。
「…君には封印を破る贄となって貰おう。その眼帯の下の右目の力を、精々見せ付けるんだな」
自サイト掲載2011.12.15