冒険者ミャムミャム、ダンジョンに挑む その6
ミャムミャムには勇者が二人いた。
一人目は父親だ。
人族が治める地では、獣人の扱いなんぞ家畜にも劣る。
些細なことで雇い主に殴られてはなじられる父を見て、多くの者は笑い者にした。
だが、ミャムミャムだけはそんな自分の父をかっこいいと思ったのだ。
だってそうではないか。
そんななかでありながらも、父は自分だけではなく弟妹までをも育ててくれていたのだ。
自分の食事を削ってまで母と子供たちの食事量を増やし、雇い主である人族にどんなに殴られようとも頭を垂れて日銭を稼いできてくれた。
これをかっこいいと言わず、なんと言う。
物心ついたころから――いや、そのずっと前からミャムミャムにとって父は勇者であり、いまもなお変わらず勇者であり続けているのだ。
そして二人目は……きっと多くの者が笑うであろうが、ミャムミャムにとって二人目の勇者はなんとオークであった。
冒険者になって浮かれた結果招いてしまった、死に直面していた自分を救い出してくれた若い雄のオーク。
軍隊巨蟻の群れに迫られ窮地に陥ってしまっていた時に、颯爽と現れては迫りくる脅威をいとも容易く薙ぎ払ってくれたオーク。
二度も命を救われたのだ。
豚さんは英雄譚に出てくるどんな勇者たちにも劣らない、ミャムミャムだけの勇者なのだった。
「そ、そんにゃ……」
だからだろうか――
「う、ウソにゃ…………」
自分だけの勇者が盗賊団から放たれた矢を全身に受け、ハリネズミのように地に伏す姿を見てミャムミャムは目を見開く。
隣ではバッチョが、「言わんこっちゃない!」と怒気を多分に含んだ悪態をつき、さらに隣のエルピノ至ってはいま目の前で起きた惨劇を歯牙にもかけやしない。
唯一ミャムミャムの後ろにいるエリーだけが、「エリー、ハズカシイ……」と嘆いていた。
「ぶっ、豚さ――」
「バカもんっ! お主まで出てどうする!」
バッチョは隠れている荷馬車から身を乗り出そうとするミャムミャムの襟首を掴み、強引に引き戻す。
「でもっ、豚さんが! あんなにいっぱい矢がっ! 早く助けにゃいとっ!」
「ムダっすよミャーちゃん。あんなに矢が刺さってるっす。もう生きちゃいないっすよ」
状況を冷静に見定めているエルピノが、ミャムミャムに残酷な現実を突きつける。
そもそも高笑いしながら自ら進んで盗賊団の前へ出ていき、射って下さいといわんばかりに変なポーズまでキメていたのだ。
盗賊団は冗談が通じるような相手ではない。ならば、射殺されてしまうのも当然ではないか。
ピクリとも動かないガイアを見て満足そうな笑みを浮かべた盗賊が一人、前へと進み出てきた。
「武器を捨てて積荷と女を置いていけ。そうすれば命だけは助けてやる」
頬に傷を持つ盗賊がそう告げる。
おそらくはあの傷持ちこそが頭目だろう、とバッチョはあたりをつけた。
「積荷は全て明け渡す! それで見逃してくれんかのう?」
「黙れジジイ。交渉はなしだ。黙って積荷と女をよこせ。逆らうなら皆殺しだ」
「ぬう……」
バッチョを頬を冷たい汗が伝う。
盗賊共にとって、略奪は仕事に過ぎない。
その仕事にどれだけ時間をかけないかによって、盗賊団としての質が問われるのだ。
(まずいのう。こやつら手馴れておる……)
そういった意味では、いまバッチョたちを追いつめている盗賊団は最悪の相手であるといえた。
「……旦那」
「なんじゃ?」
エルピノが小声でバッチョを呼び、目でなにかを訴える。
見れば、ミャムミャムが憔悴したように力なく崩れ落ちていた。
目の前で無残な姿となった勇者を目の当たりにして、呆然自失となったいまのミャムミャムならば連れて逃げることが出来る、とエルピノはバッチョに訴えているのだ。
「ぬう……」
バッチョは目をつぶり、戦斧を強く握りしめる。命を散らす時がきたのかも知れない、と考えて。
己が犠牲となって、年若いミャムミャムを明日へと逃す。
老骨たる自分の最期としてはなかなか上等ではないか。
「エルピノよ、」
「うっす」
「ミャムミャムを頼んだぞい!」
「うっす!」
戦斧を握り、下肢に力を込め、バッチョが隠れている場所から飛び出そうとした時だった。
「たかだか賊の分際で……好き勝手やってくれるではないか」
バッチョが動くよりも早く、ハリネズミがその身を起こしたではないか。
むくり、と。何事もなかったかのように平然と。
「豚さん!」
「なんじゃと!?」
「馬鹿なっ!? コイツ、まだ生きているのか!?」
安堵から目に涙をいっぱいに溜めたミャムミャムの声に、驚愕したバッチョと頭目の声が重なる。
「まったく……世界の平和を脅かす悪の組織とて、主人公の口上は最後まで聞くというのに貴様たちときたら……」
起き上ったガイアは体に刺さる矢を引き抜き、投げ捨てながらずいと踏み出す。
「豚さんっ! よかったにゃ! いまミャムミャ――」
「だから出るんじゃない!」
制止を聞かず飛び出そうとするミャムミャムを、バッチョは再度引き戻さねばならなかった。
「でも豚さんがっ!!」
「ええい! いま出ても矢に射られるだけじゃわい! ――ぬう!?」
押し問答しているミャムミャムとバッチョを尻目に、突如エリーが荷馬車の陰から飛び出す。
ミャムミャムに気を取られていたバッチョはもちろんのこと、エルピノですら制止する間もなかった。
「エェェェリリリィィィイイイハジュキャシイイィィィィィッ!!」
「なっ、なんだアイツは!?」
奇声を上げながらガイアに走り寄っていく頭に麻袋を被ったエリーを見て、頭目は無意識に後ずさってしまう。
生き物としての本能がそうさせたのかもしれない。
それだけの重圧を、エリーは全身から発散させていたのだ。
「エリィィィ……ハズキャシィィィッ!!」
「は、『恥ずかしい』……だと? いったいなにを言って――」
「聞いたか賊どもよ!! 人の身でありながら人としての心を捨て、おそらくはゴブリンですら恥じ入ってしまうほどの下劣な行為を平然とする貴様らを見たエリーが、貴様らの代わりにこんなにも恥じ入ってしまったではないか! なあ、エリー?」
「エリー、ハズカシイィィィ……」
「ほらみろっ!」
ガイアは頭目を言葉で攻め立てながらも、チラチラとミャムミャムたちの反応を伺っている。
その姿はまるで隠し事をし、必死になって“何か”を取り繕っているように見えなくもない。
「貴様らの代わりにエリーは恥じ入ってしまっているのだ! だからエリーが恥ずかしがるのは当然なのだ! なあ、エリー?」
ガイアの問いに、エリーはただ「エリー、ハズカシイ」とだけ答え、矢を引っこ抜くのを手伝っている。
矢を抜いた後の傷跡は、回復魔法をかけたわけでもないのに勝手に肉が盛り上がり自然と塞がっていく。まるでトロルのようだった。
「くっ……おいお前らっ! 矢を……矢を放て!」
多くの人は、自分の理解が及ばない存在に出会うと本能的に恐怖を感じてしまう。
この時の頭目もそうだ。
頭目は自分の目の前にいるわけの分からない存在に恐怖し、気づけば手下たちに矢を放つよう命令を下していた。
矢をつがえていた盗賊たちは頭目の命令に従い、わけの分からない存在に向かって矢を放つ。
自分を狙う無数の矢を前にして、しかしガイアは腕を組んだまま「ブヒっ」と鼻で笑うだけ。
「ぶひぶひ――じゃなかった。エリー」
『グルルル……』
呼びかけに応えたエリーの両腕が光りはじめ、その光がガイアとエリーの二人を包み込む。
そして――
「う、嘘だ……矢が……と、通らない、だと……?」
そうなのだ。
ガイアとエリーに向かって放たれた矢はその体に当たりこそすれ、その全てが弾かれてしまっていた。
エリーの補助魔法によって劇的に守備力が上がったからである。
魔法によって強化された二人は、もう矢如きでは貫くことが出来なくなっていたのだ。
「次は……俺の番だよなあ?」
「ひっ」
余裕を感じさせるガイアの声音に、頭目を始めとした盗賊たちがたじろく。
「こ、殺せ! この化物を殺せぇぇぇッ!!」
悲鳴にも似た叫び声を上げた頭目が腰から三日月刀を引き抜くと、手下もそれに倣いガイアに向かって駆け出す。
向かってくる盗賊たちを前にガイアは悠然と組んでいた腕を解き、その手に魔力を込めはじめた。
「火球連弾」
ガイアの手の平から次々と火球が生み出される。ひとつ、ふたつ……その数、実に十二。
生み出された火球はガイアの周囲をゆっくりと旋回し、仕込まれた猟犬のように獲物に向かって解き放たれるのを待つ。
「やれやれ、いちおう聞いておいてやるか。武器を捨て、貴様らが奪い溜め込んだものを全て差し出せ。そうすれば命だけは助けてやる。ああ、それと――」
ガイアは自分を中心にして漂う火球を楽しそうに操りながら、言葉を続ける。
「交渉は――なしだ」
「黙れぇぇぇぇぇ!!」
ガイアへ肉薄した頭目が三日月刀を振り上げ渾身の力を込めて振り下ろそうとするが、その刀身を横から掴む者がいた。
「ゴブルルルゥゥ……ハ、ハジュキャシィィィ!!」
エリーだ。
ガイアを守るべく手を伸ばしたエリーが素手のまま刀身を掴み、魔法によって強化された防御力とその尋常ならざる握力でもって砕き割る。
「ッ!? な、なっ――」
『ゴブルルルルルッ!!』
頭目にはもう、驚く時間すら与えられなかった。
刀身を握り砕いたエリーは間髪入れずに頭目へ跳びかかると、麻袋越しに肩口へ噛みつく。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
肩の肉をごっそりと持っていかれた頭目が絶叫を上げ、大地に赤い血溜まりを作りながら転がり回った。
足元を転がる頭目を蹴飛ばし、肉を喰いちぎって麻袋の口がある辺りを真っ赤に染めたエリーが吼える。
「エエエリイイイィィィハジュキャシィィィイイイッ!!」
「ぶひぶひぶひ――じゃなかった、エリーおいたは程々にな。さて……では俺も遊ばせてもらおうか。喰らえ!!」
ガイアが手を振るうと周囲に漂っていた火球が意思を持ったかのように動き始め、迫りくる盗賊たちへと飛んでいき、次々に爆ぜる。
「があああぁぁぁぁぁぁ!!」
「うわああああああ!!」
「あ、熱い。体が……焼けちまう……」
大地を震わせるほどの爆発音が響くたびに、一人、また一人と盗賊たちが吹き飛んでいく。
同時に複数の火球を操るガイアの前に、盗賊たちは近づくことすら出来ずにいた。
「ん、どうした? もう終わりなのか?」
「な、舐めるなぁぁぁ!!」
半身を焼かれた仲間を盾として突き進んでくる体格のよい盗賊。
「ふっ、エリー」
怒りの形相で向かってくる盗賊を見ても、ガイアはまるで動じることなくただパチンと指を鳴らすだけ。
すると、心得たばかりにエリーが跳びかかっていった。
「く!? な、なんて力だ!! ぐぅぅっ!!」
「ハズカシイィィ、ゴブッゴブッゴブルルゥゥ……ハ、ハズカシィィィィ!」
体格で勝りながら力で押し負けた盗賊が地面へと倒され、馬乗りになったエリーが爪を立てた指を握力だけで突き刺していく。
「ぎゃあぁぁ! や、やめてくれえぇぇぇぇ!!」
この体格の良い盗賊は、仲間たちからも一目置かれていたのだろう。
口をひん曲げ慈悲をこうその姿を見た残りの盗賊たちは戦意を失い、我先へと遁走を始めた。
「ふん。逃さんよ」
そう言うと、ガイアは新たに生み出した火球を盗賊たちの足元に撃ちこむ。
轟音を響かせ、焼かれた土くれと一緒に舞い上がる盗賊たち。
もう、盗賊団のなかに、戦おうとする者も逃げようとする者も、誰一人として残ってはいなかった。
「なんだ、もう心が折れたのか? 意気地のない奴らめ」
つまらんとばかりにガイアは吐き捨て、全身に返り血を浴び口元を真っ赤に染め上げたエリーがゴブリンのような鳴き声で勝ちどきを上げる。
「豚さんスゴイにゃーーーー!!」
エルピノとバッチョが神獣にでも出会ったかのようなぽかんとした顔をするなか、ガイアに抱き付くべくミャムミャムが走り出していった。
自分の勇者の元へと。




