第十八話 乙女の攻防
「ふう。ここまでくれば取りあえずは大丈夫だろう。いったん一休みするか」
俺は後ろを振り返り、念のため周囲の匂いを嗅いだあと、そう言って木の根にどかりと腰を落とす。
岩山で火魔法を連発し、慌てふためくトロル共を尻目に俺たちは岩山を下りて森へと戻ってきた。それもずっと走りっぱなしでだ。
トロルは基本的に動きが遅いので、これだけ距離をかせいでおけばまず追ってはこれないだろう。
「かっかっか、あんなに慌ててるトロルなんざ、初めて見たとよ」
オーガがさも愉快そうに笑いながら、背にしがみついていたジュディとエリーを地面に下ろす。
すると、すぐさまジュデュが俺へ抱き付こうと両手を広げて突進してくるではないか。
「ふえーん。ガイアぁぁ――ブヒィッ!」
もちろんそれをぶっ飛ばす俺。
「いったーい………もうっ、ガイアったら照れ屋さんなんだからぁ」
「ははは、いいでねぇかジュデュ。ガイアが照れるのはいつものことだべぇ。それよりもよぉ……グス……ジュディ……無事でよかったよぉ……うぅ……」
話している内に感情が昂ってきてしまったのか、エリーはぽろぽろと涙をこぼしながら、ぎゅっとジュディを抱きしめる。
「ちょ、ちょっとエリー。泣き止みなさいよぉ。もう……泣かないで……よう……グスっ」
そんなエリーを落ち着かせるように優しく背を叩きながらジュディも目に涙を浮かべはじめた。ジュディのことだ。涙腺がぶっ壊れるのも時間の問題だろう。
抱き合いながら親友の無事に涙を流すゴブリンと、自身への想いに心打たれたメスブタ。なんとも見るに堪えない光景が俺の眼前に広がっていた。
「あの二人……種族も違っとーに、仲良かとね」
ジュディとエリーの二人を見て、隣に移動してきたオーガそう漏らす。
「まあ、付き合いが長いからな。それに……種族の違いなんて大した問題でもないだろう」
「なっ!? 小僧、いまなんて言ったと?」
「なんだ聞こえなかったのか? 『付き合いが長い』って言ったんだよ」
「違う、その先とよ!」
「ん? 『種族の違いなんて大した問題じゃない』ってとこか?」
「しゅ、種族の違いが……大した問題じゃない……と……」
俺からしてみたら、しょせんはどちらも下等な化物だ。そういった意味で「種族の違いは問題じゃない」と言ったつもりなのだが……どうやらオーガには違った意味で受け取ったらしく、目を見開いて驚いた表情のまま絶句し、口をぱくぱくとしている。
どんだけ衝撃受けてんだお前は。
「…………な、なんとまぁ。まったく……小僧は本当に懐が深いけんね。あのメスたちが惚れるのも納得とよ」
「どういう意味だ?」
「普通なら、違う種族には従属か死の二つしかなか。ばってん、あのメスたちはお互いが対等な関係にあるとよ」
「それはまぁ……『友達』だからな。当然だろう」
「かっかっか、『友達』かよ。……いいか? それがおかしいけん。普通、同じオスを好いとるならいがみ合うはずとよ。違う種族ならなおさら相手を疎み、それ以上に相手から疎まれると。トロルの群れにいたわっちのようにな。ばってん、あのメスたちは違か。本当に仲が良かとよ」
俺の村では、最初の方こそオークゴブリンの間に深い溝があったが、それもいまでは完全に消えている。ジュディとエリーの二人ががんばってその溝を埋めたのだ。だが、オーガにはそれが驚きらしい。
「そういうもんなのか」
「そうとよ。まあ、わっちは小僧の影響だと思っとるがよ」
オーガはそう言って笑うと、ジュディとエリーの二人を羨ましそうに見ていた。
「ところでガイア、あたしたちを助けに来たこのオーガは誰なの?」
ひとしきりエリーとの感動の再会を終えたジュデュが、オーガを見上げながらそう聞いてくる。
「それはだな――」
「かっかっか、わっちは小僧のコレとよ」
俺の言葉をさえぎり、オーガは豪快に笑いながらジュディの前でも小指をピコピコ動かすではないか。
とたんにジュディの顔に何本もの血管が浮き上がり、怒りを秘めた険しい顔へと変貌すれば、隣のエリーは額をぴしゃりと叩いて、あっちゃーという顔をする。
「は? …………ねえガイア、それってどういうこと?」
まるで噴火直前の火山のように怒りで体を震わすジュデュの言葉に、背中から冷たい汗がどっと噴き出てきた。
「待てジュディ! それは誤解だ!」
「ふーん……どう誤解なのか教えてもらおうかしら」
ジュディは目を赤く光らせながら一歩前へ踏み出し、そのプレッシャーに圧された俺は思わず二歩後退する。すると、代わりにオーガがずいと俺を庇うように一歩前へ出た。
「かっかっか、わっち――」
「あんたには聞いてないのよっ! このっ、でかメスがっ!」
顔面に血管浮きまくりのジュディはオーガに最後まで喋らせず、オーガもオーガで「でかメス」という言葉が逆鱗に触れたのか、こちらも額にいく筋もの血管が浮き出てくる。
「ああん? 貴さん、いまなんて言うたと?」
「あたしはいまガイアと大切なお話をしているのっ! だからでかメスは口閉じて突っ立てればいいのよ」
「ほぉ……オークのくせにわっちに喧嘩を売るかよ」
「なによっ! 人のオスにちょっかいだしてきたのはあんたじゃない! あんたこそあたしに喧嘩売ってんでしょ!」
うむ。オーガの言う通りだ。本来モンスターが「他種族と仲良く」なんて出来るわけがないのだ。
この状況を見れば、ジュディとエリーの種族を越えた友情がいかに貴重なものであるかが分かる。
「小僧、ちーっとわっちらの子を持っててくれい」
「はぁ!? 『わっちら』って、どういう意味よ!?」
「はんっ、そのままの意味とよ」
そう言ってオーガが抱いていた子オーガを俺に預けてくる。
俺は黙ってそれを受け取り、無言のままエリーへとパス。エリーはこん棒代わりに振るわれボッコボコな顔になった子オーガを腕に抱き、そのまま回復魔法をかけはじめた。
「オークの嬢ちゃん、ちーとばかしわっちにツラ貸すとよ」
「はっ、上等よ! その角へし折ってやるわ!」
オーガが顎でくいと森の奥をさし、ジュディが拳を鳴らしながら応える。
「ガイア……止めなくていいんかぁ?」
「エリー、普段ジュディをぶっ飛ばしている俺だから分かる。……拳じゃなきゃ伝わらない『想い』ってやつもあるんだよ……」
「……そっかぁ。そういうもんかぁ」
「そういうもんだ」
森の奥へと入っていくジュディとオーガ、二人の背を見送る俺とエリー。
二人は少し離れた場所で立ち止まり、互いに向かい合う。
「かかってくるとよ。子豚ちゃん」
「なっ、ブヒィ! バカにしてぇ!」
オーガが手招きして挑発し、目を真っ赤にしたジュディが走り出す。
「ブウウゥゥヒヒィィィィィィ!!」
「グガァァァァァァァァァァァ!!」
咆哮を上げ、激突する両者。
弾ける鮮血。響き渡る打撃音。
なんというか…………すげー喧嘩だった。
最初の方こそ余裕の笑みを浮かべていたオーガだったが、ジュディの一撃を横っ面に喰らうと表情が一変。すぐさま本気になり、ジュディへ向かって腕を、脚を全力で振るう。
おそらくジュディはトロルとの死闘を生き残り、また急激にレベルアップしてしまったようだ。
ジュディがスピードを活かして連続で拳を叩きこめば、オーガが強靭な肉体を活かした相打ち狙いで重い拳を振り下ろす。
共に表情にはまるで余裕がなく、必死の形相で戦う両者。
やがて――
「ぶひぃ……ぶひぃ……あ、あんたなんかに……が、ガイ……アは……わたさ……ない」
ボロボロのジュディが、オーガの腹をぺちんと叩けば、
「はぁ……はぁ……わ、わ……っちは……こ……ぞう……の……つがい……とよ……貴さん……にはま、負けんと……」
ボッコボコのオーガがぺしんとジュディの頭をはたく。
そして、ついに満身創痍の二人は同じタイミングでどうと倒れ込んでしまった。
月明かりが二人を照らすなか、荒い息を吐く二人はどちらともなく急に笑いだす。
「か、かっかっか……はぁ、はぁ……ふぅ……貴さん、オークのくせに……な、なかなか……やるとね」
オーガが残った力で仰向けになり、満天の星空を見上げたまま口を開く。
「ぶひぃ、ぶひぃ……あ、あんたもやるじゃない……さ、さすがはお、オーガって……とこね」
ジュディも仰向けになり、血まみれの顔で同じように星空を見上げる。
「かっか、……オーク嬢ちゃん、それにゴブリンの嬢ちゃんも……すまんと。わっちの子が小僧の子というのは……あれ嘘とよ」
「ぶひぃ……ぶひぃ……し、知ってるわよそんなこと」
「ほお……知ってたと?」
ジュディの言葉にエリーが反応する。
「オーク舐めないでよね。その赤ん坊の匂いをよく嗅げば、その子がガイアの子じゃないってことぐらい分かるわよ」
「ん、んだどもよぉジュディ、ガイアのママさんはそっだなこと一言も言ってながったよぉ」
「ん~、お義母さまはあたしみたいにちゃんと匂いを嗅いでいないんじゃないかしら? ほら、オーガってあたしたちの天敵みたいなとこもあるし、嗅ぎたくなかったんじゃない? ……そ、それにあ、あたしはどんなに微かでもが、ガイアの匂いならすぐわかるから……かな?」
「そうかよ……くくく……かっかっかっか!」
ジュディの気持ち悪い発言を聞き、オーガが参ったとばかりに豪快に笑う。
「わっちの負けたい。エリー嬢ちゃん、すまんかったね。わっちは……小僧と出会ったばかりとよ。やましい関係じゃあなか」
「なんてぇ!? そ、そうだったんかぁ……ふりゅ~」
オーガの言葉を聞いたエリーは力が抜けたのか、子オーガを抱いたままその場にぺたりと座り込む。
「小僧……小僧にも迷惑かけたとね」
「まったくだ。貴様の罪と俺の怒りはかなり深いからな。忘れるなよ」
「かっかっか、こりゃまいったとね。罪を償うまで……小僧のそばから離れられんなぁ」
オーガが意味ありげな視線を送ってくるが、それを無視するわけにもいかない。なんせトロルの群れとの戦争は避けられないところまできてしまっている。オーガという戦力をここでみすみす放棄するわけにはいかないからだ。
「ふん、ならしっかりと償ってもらわねばな。……近いうちトロルの群れと戦争になるだろう。貴様にはその時に働いてもらうさ」
「かっかっか、承知したとよ」
「ぶひぃ、ぶひぃ。言っておくけど、ガイアはあたしのなんだから、ちょっかい出したら許さないんだからね。次はもっとボコボコにしてやるんだから!」
「かっかっか、そん時は返り討ちにしてやるとよ」
「ジュディよぉ、そっだなことは自分がダメージないときに言うっぺよぉ」
「もうっ、エリーったら話の腰を折らないでよねぇ!」
「あはははぁ、すまねぇなぁ。ぷぷ」
「もー! 笑わないでよぉ!」
全力を尽くし、立ち上がることさえできなくなったオーガとジュディが互いを認め、笑い合い、回復させるべくエリーが子オーガを俺にリターンパスして二人の元へ走り出す。
こうして、オーガが俺の手駒として加わたっのだった。
「よし。そろそろ村へ戻るぞ」
ジュディとオーガが回復魔法により動けるようになったのを見て、俺は言葉を発する。
「うん!」
「んだなぁ」
「わっかたとよ」
三人が返事をし、俺たちは移動するべく立ち上がった。
近いうちに体制を整えたトロルの群れが村へ攻めてくるだろう。
俺はそのことをブサ男とブサ子、それに村のみんなへと伝えねばならない。無論、逃げるためではなく、迎え撃つために。
そのためには一刻も早く村へと戻り、戦争の準備をしなくては。
だが……その前にエリーにだけは、どうしても言っておかなければならない言葉があるな。
決意を固めた俺は立ち止まり、前を歩くエリーを呼び止める。
「エリー、ちょっと待ってくれ。エリーに大切な話があるんだ」
「ん? なんだぁガイア、『大切な話』って」
エリーが立ち止まり、振り返る。
俺の真剣な表情にエリーだけではなく、ジュディとオーガも何事かと思ったのか、歩みを止め、黙って俺の言葉を待っているようだ。
そんな三人が見つめる中、俺はエリーの前へ移動し、言葉を発する。
「……エリー、服を返してくれ」
と。




