第四話 森の激戦 後編
「オーガ……生きていたのか?」
俺の口から少し……いや、かなり残念そう声音で言葉が漏れ出る。
「かっか……わっちが生きてて嬉しいか? 小僧」
しかし、俺の声音の変化に気づかないオーガはニヤリと笑ってそう聞いきた。
危うく、「いや全く」と答えてしまいそうになるのをとっさに目線を逸らすことで回避し、やや恥ずかしそうに「あ、当たり前だろ!」と照れたように返す。
(ちぃ、こいつ……まだ息があったのか。ったく、トロルの奴らも使えんな。きっちり止めさしてけよな)
そんな腹黒いことを考えながらも顔には全く出さず、俺はオーガの方に向き直り嬉しそうに微笑むと、オーガの体を助け起こそうと手を伸ばすが、
「いや、このままでよか」
と、やんわりとそれを拒否されてしまった。
「どういうことだ? 傷が痛むのか?」
「…………小僧、ぬしに頼みがあると」
心配そう(なふり)に覗き込む俺を、真っ直ぐに見つめ返してきたオーガが真剣な表情でそう言ってきた。
「頼み?」
「そうよ、頼み。……もはや小僧にしか頼めぬ、わっちの最後の願いよ」
俺はなにやら凄まじく嫌な予感がしてきたが、とりあえず目でオーガに先を促す。
「わっちは今からこの子を――」
オーガはお腹をさすり、続ける。
「ここで産むけん、小僧にはわっちの子を取り上げて欲しいとよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の額からぶわっと汗が噴き出る。
(おいおい、ちょっと待てよ。「子を取り上げてほしい」だと!? それってつまり……)
俺の視線が無意識に、つつつとオーガのお股に注がれる。
(オーガのジャングルをかき分け、『母穴』から出てくる子オーガをキャッチしろってことだよな?)
冗談ではないぞ。
確かに前世では家畜の出産に立ち会うことなど、畜産農家にとっては当たり前のことであったが、それは相手が豚だったから平気だったに過ぎない。ことこれが人型、その上言葉を話し、意思のあるオーガ相手では話が違ってくる。
こちらの世界に転生し、既に十年。前世を通しては二十六年。この二度の生において、初の生で見る女性器がオーガだなんて……トラウマ以外の何物でもないではないかッ!!
そういうものはもっとこう……例えば美しいエルフなんかが月明かりの元、頬を染め、恥らいながらも小さくコクンと頷き、ためらいながらも意を決して、ゆっくりとお股を開いていきご対面をするものであるべきなのだ!
その、俺の心に生涯刻み込まれるであろう、『秘密の花園』との人生初のご対面。
よりによってそれが……それがオーガだなんて!?
断じて認めるわけにはいかない!
「な、なにを言って――」
「頼む、小僧にしか頼めんのよ!」
さり気なく身を離そうとした俺の右腕を、オーガが逃すまいとがしっと強く握り、必死の形相で懇願してくる。
オーガの規格外の握力に俺の手はみしみしと悲鳴を上げ始め、このまま断ろうものなら一瞬で握りつぶされかねない勢いだ。
「は、はな――」
「小僧、頼む!」
右腕から聞こえてくる音が「みしみし」から「めきゃめきゃ」に変わり始める。
(こ、このままでは俺の彼女でもある利き腕を失ってしまう!?)
かくて、現状、俺の一番の恋人でもある右手(二番は左手)を人質に取られた俺はオーガの要求を呑むしかなかったのだった。
「し、仕方がない。やる……やるよ! だからその手を放してくれ!」
「すまぬ……恩に着ると」
「ふん、子を取り上げるなんてやったことはないから、上手く出来る保証はないからな」
解放された右腕をさすりながら唇を尖らせる。
「かっかっか、なーに、わっちの股ぐらから子っこが出てきたら、引っぱってくれるだけでよか」
わーお、ワイルドすぎるだろそれ。まあでも、牛も出産の時は前足を引っぱるらしいしな。オーガのような化物にはそれぐらいが丁度いいのかも知れんな。
「よ、よし! 俺の方はいつでもいいぞ!」
覚悟を決めた俺の目の前で、オーガがその両足を少しづつ開いていく。
そして眼前に広がる大密林。
「ぬう……」
俺はゴクリと生唾を飲み込んで額の汗をぬぐう。
前世でもアマゾンなどの密林地帯は危険が多く、何の装備も持たない人間では数日も生きられないと言われているが……なるほど。確かにこんな場所で人間が何日も生きられるわけがない。
目の前の大密林には、それだけの危険性が含まれているいると、直感的に感じ取ることが出来る。
「そ、そんなにじっくり見られちゃ……わ、わっちも恥ずかしかよ」
頬を染めたオーガが、恥ずかしそうに言い、俺はぶっ飛ばしたい衝動を歯を食いしばって必死に堪える。
「……い、いいか小僧?」
「いいぞ」
オーガの息が段々「ふー、ふー」と荒くなっていき、その顔が痛みで歪んでいく。
痛みに耐えるオーガの、そのあまりの必死の形相に長時間耐え切る自身がない俺は、出産をさっさと終わらせるべく、前世の知識を使って手助けしてやることにした。
「よく聞けオーガよ。実は出産に適した『ラマーズ法』なる呼吸法があってだな」
「はぁ、はぁ…………ら、『らまーずほう』?」
痛みのためか、まるで睨み付けるかのような形相で俺を見るオーガに、しょんべんちびりそうになりながらも頷き、続ける。
「そうだ。ラマーズ法だ。……いいか? 今からそれを貴様に伝授してやるから、俺と同じように呼吸するんだ。いくぞ? ヒッ、ヒッ、フー。ヒッ、ヒッ――――」
「ううぅぅがああぁぁぁぁぁぁあああッ!!」
オーガの咆哮と共に大密林の奥地が縦にばっくりと割れ、「メリメリメリ」と音が響いたかと思うと、ぬめぬめした粘膜に包まれた子オーガの頭部が半分ぐらいせり出てきた。
「あうち」
俺の苦悶の声など気にも留めずに、オーガは咆哮を上げながら再度いきむ。
いっそのこと、このせり出てきた命を母なる体内に押し戻してやろうかとも思ったが、何となくそれだけは人としてしてはいけないと、なんとか思いとどまる。
「ど、どうよ小僧? わっちの子は……出てきたか?」
「いや、まだ頭が半分ぐらい出てきただけだ。引っ張るにはもっと……せめて片腕が全部出ないことには俺は手を出せん」
頭を引っぱって、そのままもげでもしたら笑えない。ここは確実さを求め、腕が出てくるまで俺は静観することにしよう。
「ぐぅぅ、ま、まだ頭半分かよ。はぁ、はぁ……な、なんとまあ……手のかかる子よ……はぁ、はぁ……かっかっか……」
顔を苦痛に歪めながらも、口の端を釣り上げるオーガ。
その顔怖いからやめて下さい。
「よし、ではもう一度だ。こんどこそ俺の教えるラマーズ法を――――」
「んんんぅぅぅがあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああッ!!」
俺の言葉なんか聞いちゃいねぇ。しょせんは低能な化物だから致し方ないか。
「がはぁ、はぁ、こんどは……どうよ?」
「だめだ。まだ頭すら全部出ていない」
オーガの問いに俺は首を横に振る。
そのすがるような目からは『出産』というものの痛みが、どれほど凄まじいかが伝わってくるが、生まれてくる子とて自分の親がこんなにも強面の恐ろしい化物であるのならば、生まれてきたくないと外界に出るのを拒むのも頷ける話だ。だってコイツこえーもん。
「ぐぅぅぅぅ」
「だから俺の言うラマ――」
次の瞬間、俺は信じがたい光景を目にする。
「さっさと出てこんかぁ! こんクソガキがあぁぁぁッ!!」
そうオーガが叫んだかと思うと、オーガは拳を握り、なんと自分の腹目がけて全力で殴りつけたではないか。
あれだけトロルたちの攻撃から命を賭して守っていた腹部に、自ら拳を打ち込み、「すぽこーん!」という擬音が聞こえてきそうな凄い勢いで、大密林の奥地からぬめぬめした大きな粘着物が飛び出してくる。
もちろん、俺へと向かって。




