欲望が落ちていた夜Ⅳ
「ちっ、人の純粋なる好意を無下にするとはな。救えん奴め」
ブツブツと文句を言いながら、おれはいそいそと脱ぎ散らかした服を再び着こむ。
しととに濡れたパンツは投げ捨てたままだ。
「なんであたいがオークなんかに抱かれなきゃなんないのさ? ふざけんじゃないよ!」
「生娘のくせにえらく強気ではないか」
「そ、それはいま関係ないだろ!? 」
「そうかな? 精を吸い取るといわれているサキュバスにとって、『未経験』というのは半人前の半端者ということだろう。貴様、よくそれで自分のことをサキュバスなどと胸を張って言えたのものだな。半人前のくせに」
「くっ、」
俺はズボンをはき腰ひもを結ぶと、キッとカラナフィを睨み付ける。
「勇者をろう落出来ず、サキュバスとしても半人前。そんな貴様にいったいどんな価値があるというのだ? このサキュバスの恥さらしがっ!」
「うぅ……だ、だって、精なんて吸ったことないからいまいちやり方が分からないし……それなのに同い年のみんなはばんばん人間の男たちの精を吸ってくるしさ。と、年下のやつらにも『まだ経験ないんですかー?』って小ばかにされて……グス、……魔王様に選ばれてやっと……あ、あたい今度こそって、これでみんなにバカにされないって、そう思ってたのにさ……」
(よし。プライドが砕けて弱ったな? 今が好機!)
俺はカラナフィに近づくと、その震える肩に優しく手を置く。
視線はついつい胸の谷間へといってしまうが、それは強い意志でなんとか我慢した。
「カラナフィよ。キツイことを言ってすまなかった。今まで辛かったよな」
「……え? あ、うん」
優しく微笑む俺を驚いた顔で見上げたあと、コクンと頷くカラナフィ。
「貴様の辛さ、俺にはよく分かる」
「そ、そうなのか?」
訝しげな視線に俺は頷いて答える。
「ああ、もちろんだ。俺もな、オークだから他種族の奴らに『この豚野郎』と散々言葉の暴力を受けたものさ。ふっ、俺は豚じゃなくてオークなのにな……」
遠い目をする俺を見て、カラナフィは何か思うことがあったのか、うんうんと一人頷いては涙を流している。
「だがなカラナフィよ。そこで立ち止まってはダメだ。立ち止まらずに突き進み、自分をバカにした奴らを見返してやるんだよ!」
「……見返す?」
「そうだ! 見返すんだ! さし当たっては貴様のコンプレックスの一つを解消するべきだと俺は思うんだ」
「こ、コンプレック――っておい……」
「なーに、未経験なのを思い悩むことはない。かくいう俺も童貞でねぇ」
「だからなんで――おいっ、腰ひもを解くなぁっ!」
腰ひもを後方へ投げ捨てるが、今回はズボンが『ナニか』に引っかかって落ちることはなかった。
「さあ、『初めて同士』気負うことも緊張することもなく、二人で『大人』への階段を駆け上がろうではないかぁっ!!」
「あたいから離れろぉ―ッ!!」
カラナフィが一瞬魔力を高め、手のひらを俺へ向けた瞬間、カラナフィの手のひらに黒い魔力弾が形成され、俺はふっとばされてしまった。
なんの魔法かは知らないが、なかなかの高威力だ。
「……やってくれるではないか」
俺はところどころ焦げてプスプスいってる体をむくりと起こし、そうぼやく。
「ば、バカな!? あたいの魔法を喰らってまだ動けるっていうのかい!?」
「俺を普通のオークと一緒にしないことだな」
「くっ、……どうやらそうみたいだね。お前さんは普通じゃない」
俺はよっこらしょと起き上って服の汚れを手で払う。
「やっと理解したか。しかし……命の恩人に対してこうも遠慮なく魔法をぶっ放すとはなぁ」
「ちょっと待て。お前さん、さっきから『命の恩人』と言ってるけど、それってどういう意味なんだい?」
サキュバスが手のひらを俺に向けたままそう聞いてくる。きっと近づいたらまた魔法を放つつもりなのだろう。
底なし沼での出来事(投石)は黙っているつもりだったが、沼から救い出したのは事実だから、そのことだけ伝えてやろう。
「やれやれ、ならば教えてやろう。俺が貴様を見つけた場所はこの森の底なし沼だったのよ。俺が見つけた時、貴様は底なし沼に沈んでいる真っ最中でな。沼から手首しか出ていなかったのだ。あのまま沈んでいたら、貴様は間違いなく命を落としていただろう。そんな貴様を救い出し、しかもここまで運んで泥をも洗い流してやったのだ。これを『命の恩人』といわずになんという?」
「な、なんだって? そ、そうだったのか……」
膝を地面についてがくりとうなだれるカラナフィ。
「これで分かったか? 俺は貴様の恩人なのだ。その恩人に対して貴様は魔法を放った。恩人に対してな」
しつこいぐらいに「恩人」の部分を強調して言い、カラナフィの良心を責めたてる。
「うぅ……そ、それはお前が服を脱ぐから……」
「黙れ! それだって貴様のことを想ってのことだろうにっ!」
こういうのは何よりも『勢い』が大切だ。
だってほら、俺の怒声を受けたカラナフィは、目に涙を溜めながら、
「はうぅぅ……ご、ごめんなさい」
と謝ってきた。
それを見た俺は満足そうに頷き、上着に手をかける。
「分かればいいのだよ。分かればな。じゃあ、そろそろ二人で大人の階段を――――」
「す、ストップ! それはストップ! お礼はちゃんとするからぁっ、だから服は脱がないでぇぇ!」
ちぃ、サキュバスのくせに身持ちが固いではないか。
俺はやれやれとばかりに首を振り、仕方なく上着から手を離す。
「ふむ。『お礼』と言ったな。いったいどんなお礼をしてくれるのだ?」
「言っておくけど、あたいの『初めて』はダメだからな! あと服を脱ぐのも禁止だ! いいな?」
「ちっ、まあいいだろう」
俺の返答を聞いてカラナフィがほっと胸を撫で下ろす。
「よ、よし。じゃあ『お礼』だがな、あたいが持っているアイテムのどれかでどうだ? こう見えてもあたいいま、けっこう価値のあるアイテムを持っているんだよ」
そう言ってカラナフィは胸の間から革袋を取り出す。
おいおい、胸の谷間が荷物置き場かよ。なんてけしからんおっぱいだ。
「どんな物を持っているのだ? 俺が欲する物を貴様が持っているとは思えんがなぁ」
「まあ待ちなって。えーっと……宝石や人間の街で使う予定だった金貨、回復薬に魔力石もある。どうだい?」
カラナフィが一つ一つ自分の前にアイテムを並べていき、両手を広げて聞いてくる。
宝石や金貨などは人間には価値があるのだろうが、あいにくとオークな俺にはまるで需要がない。
となると回復薬か魔法石が気になるところだが……。
「この回復薬はどのような効果があるのだ?」
「ん? これかい? 見てな」
硝子のような小瓶に入った回復薬を手に取ったカラナフィが、蓋をあけてぐびりと飲み干す。
すると、みるみるうちにカラナフィの傷が塞がっていき、HPも半分ほど回復し、
「とまあ、ご覧の通りさ」
と、得意げに笑う。
なるほど。高品質の回復薬というわけか。しかし俺にはエリーがいるからな。あまり欲しいとは思わない。
「この魔法石とやらはなにに使うのだ?」
次に俺は黒い鉱石のような色をした魔法石を指さして聞く。
「これはねぇ、魔法道具を作るの必要な素材なのさ。黒い石ころにしか見えないかもしれないけど、こう見えてけっこう価値があるんだからな」
「しかしその魔法道具を作れる者がいなくては意味がないのだろう?」
「……そ、そうだよ。お前さんのいう通りさ」
ばつの悪そうな顔をするカラナフィ。ひょっとしてこいつは「価値がある」といえば俺が飛びつくとでも思っていたのか?
「どれもこれも俺には必要がないものばかりだな。他にはないのか?」
「ほ、他ってなると、もうトロルの皮とか……あとはドラゴンの干し肉ぐらいしか…………」
「なんだと!? 貴様いまなんて言った?」
「え? え? あ、あたいいまなんか変なこと言ったっけ?」
「ええーい、いま貴様は『トロルの皮』に『ドラゴンの干し肉』。確かにそう言ったな?」
「え? あ、うん。い、言ったよ」
なんてことだ。俺がいつか〈捕食〉しようと思っていたトロルの肉体の一部(皮)を持っているだと!?
しかもそれだけではなく、ど、ドラゴンの干し肉もあるときた。
トロルの皮を〈捕食〉すれば、俺が欲していた、トロルの特長でもある〈肉体再生〉の能力が手に入るに違いない。俺は不死に近い肉体を手に入れることが出来るのだ。
それにドラゴンの肉。
これを〈捕食〉したら……いったいどれほどの能力を得るのだろうか?
やはりドラゴンだから口から炎のブレスを吐いたり硬い鱗や空を自由に飛べる翼が生えてきたりするのだろうか?
「うーむ……」
俺は腕を組んで思案する。
そんな俺を見て、カラナフィはハラハラしたような顔で言ってくる。
「い、言っておくけどな。二つともっていうのはダメだぞ! トロルの皮もドラゴンの干し肉も、ものすっっっっごく価値があるんだからな! トロルの皮は刃を通しにくくて防具の素材として貴重だし、ドラゴンの干し肉は姉さまが『死にかけの爺さんもビンビンになる』って言ってたから、意味は分からないけど、きっとすごく価値のあるアイテムなんだぞ!」
両拳を握りしめてそう力説してくるので、両腕に挟まれたおっぱいがたわわんたわわんと形を変え、俺を挑発してくる。
ってか、ドラゴンの干し肉は精力増強剤なのかよ。俺の股間がファイアー!
みたいな。
「…………よし。決めたぞ」
俺は組んでいた腕を解き、強い意志を宿した瞳で真っ直ぐにカラナフィを見つめる。
「お、おお、そうか。コホン。じゃあ、どっちにするんだい?」
そのあまりにも澄んだ俺の瞳に見つめられたカラナフィはちょっとだけ慌てたみたいだが、咳払いを一つして気を取り直すと、右手にトロルの皮、左手にドラゴンの干し肉を持ち、首を傾げてそう聞いてきた。
(ふっ、トロルの皮にドラゴンの干し肉……か。方やこの森にもいるモンスターの肉に、もう片方は最強種モンスターの肉。まったく……最初から悩むまでもなかったな)
俺は「ふう」とひとつ息を吐くと、ただただ純粋に自分の欲するものをカラナフィに告げる。
どこまでも純粋で、穢れもよどみもない瞳で。
まっすぐにカラナフィを見つめ、こう告げた。
「おっぱいを揉ませてくれ」
と。




