冒険者ミャムミャム 前編
駆け出しの冒険者である猫獣人のミャムミャムは僅かな油断が命取りになるのだなぁ、と思いながら地に突っ伏していた。
体は『さっきまで仲間だった』男の血で真っ赤に濡れ、ぬるぬるしている。出来ることなら一刻も早くこの場から立ち去り、川へと飛び込んで血に染まった全身を洗い流したいところではあるが、残念なことに、非常に残念なことに毒を盛られ、四肢の末端まで痺れてしまっている体は動いてくれそうにもない。
しかし、それゆえに今自分たちを取り囲んでいるリザードマンの群れから『抵抗する獲物』とはみなされず、今のところ辛うじて生きながらえているのだからなんとも皮肉な話だ。まあ、それも時間の問題であろうが。
頭のどこかでそう冷静に分析しながらも、ミャムミャムは死にあらがおうと必死にもがく。
「くっ……うご……く……ニャ……」
どんなに絶望が降りかかろうと、生きている限りは精一杯の抵抗を。
生まれ育った村を出る時に父が自分に送ってくれた言葉だ。
その言葉に応えるためだけに身体に力を入れ、この場から少しでも離れようと力を振り絞る。が、力を込めたはずの体はミャムミャムをあざ笑うかのように僅かにピクリと動くだけだった。『さっきまで仲間だった』男がまた一人リザードマンの槍に貫かれて息絶える。
ざまあみろ。と思う。
冒険者になったばかりの自分を騙して痺れ薬を盛り、奴隷商に売ろうとしたんだ。死んで当然だ。どさりと倒れる男を見て、ミャムミャムの未発達な胸が僅かながらにスーっとする。
今また一人、『さっきまで仲間だった』男がリザードマンたちの突き出した槍を背中からいっぱいに生やして断末魔の叫び声を上げながら、がくりと息絶えた。
ミャムミャムをこの依頼に誘った優男だ。出来ることならこいつにはもっと苦しんでから死んでほしかった。
冒険者ギルドで掲示板に張り出されている依頼リストを見ながら、頭を悩ませていたミャムミャムに「簡単で実入りの多いクエストがあるよ」と言って声をかけてきた人間の男だ。
正直に白状しよう。
好みのタイプだった。
風になびく金色の髪は吟遊詩人の歌に出てくる勇者のようであったし、瞳は吸い込まれそうになるほど蒼かった。なによりその笑顔を向けられるたびにチクチクと胸が痛んでしまったのだ。
まだ十三歳になったばかりの小娘にすぎないが、その痛みが「恋」だってことぐらいは知っている。そう、自分は依頼に誘ってくれたこの男に恋をしてしまっていたのだろう。
そう思いながらミャムミャムは「ふう」と溜息を吐き、頭の片隅で自分の黒歴史ランキングを更新する。
貧しい村だった。
そしてミャムミャムは姉弟が多かった。
もともと人間が支配するこの国ではミャムミャムたちのような獣人には仕事が少なく、あっても優れた身体能力を使った薄給の肉体労働か、自身の実力で稼ぐ傭兵、一攫千金を狙った冒険者ぐらいしか仕事と呼べるものがない。
人間たちには獣人を嫌うものが多いのだ。
だからミャムミャムは家を出ることに決めた。自分が家を出れば少なくとも一人分の食い扶持が浮く。その分だけ両親の負担が減る。
なら次に考えるべきは仕事である。
ミャムミャムは地道に稼ぐ傭兵の道も考えたが、女で、しかもまだ十二歳でしかない自分に傭兵としての仕事はこないだろう。ならば一攫千金を狙った方がいい。と決め、冒険者ギルドの扉を叩いたのだった。
ミャムミャムは「それに――」と続けて思考する。
父には黙っていたが、実は人間と一緒に冒険してみたかった。獣人がメンバーにいるパーティを見ては羨ましく思い、次いで「いつか自分も」と思いを馳せていた。
そんな時に声をかけられたのだ。
父が工面してくれたなけなしの銅貨と引き換えに手に入れた、ピカピカの冒険者証をなくさないように両手でぎゅっと握り締めていたその時、声をかけられたのだ。
「一緒に冒険しようよ」
不覚にも嬉しくて涙が出てしまった。
前祝に、と開かれた宴は、それはそれは楽しいものだった。
ミャムミャムは人生で初めて「お腹いっぱいになる」ということを知り、自分を誘ってくれた仲間たちと心の奥底から笑い合った。
今思えば、あの宴は自分を油断させるためのものだったのだろう。
そりゃそうだ。辺境から出てきたばかりの、右も左も分からない一人ぼっちの世間知らずな獣人の小娘だ。騙すのは簡単だったろう。
事実、思い返してみても計画通りに進んでいったように思う。
ミャムミャムは自分を誘ってくれた男たち六人とパーティを組み、森へと入っていった。
依頼は「薬草の採取」。森を一日歩いて目的の薬草を採取し、一晩野営して街へと戻る。といった簡単な依頼だ。
薄暗い森を半日歩いて進み、薬草が生えている場所へと着く。
そこでリーダーの優男が言った。
「今日はここで野営しよう」
ミャムミャムは初めて仲間と過ごす夜にドキドキしながらも野営の準備をした。
薪を集め火を起こし、仲間の一人が獲ってきた野兎をさばいて焼く。
野兎はとても美味しかった。
肉を頬ばるミャムミャムに優男がハーブで煮出したお茶をさし出し、言う。
「これを飲むと疲れが取れるよ」
と。
飛びっきりの笑顔付きで。
ミャムミャムは正直そのお茶の匂いが苦手だったが、仲間の好意を断るわけにもいかない。だから我慢して飲んだ。鼻をつまみながら飲んだ。
視界の端で仲間たちが、ニヤリと笑ったような気がし、視界がぐりんと回った。
きっと、ここまでは計画通りだったのだろう。
計画外だったことは、ミャムミャムが思いの外、毒に対する耐性が高く痺れる体で逃げ出したことと、ミャムミャムの逃げ出した先の沼地がリザードマンの巣だったことだ。
自分たちがリザードマンの巣のすぐそばにいることに気づかないまま、ミャムミャムを押し倒した男が下卑た笑い声を上げながら乱暴にミャムミャムの衣服を破く。
なんでも「逃げたお仕置き」だそうだ。
ばかばかしい。自分を奴隷商に売ろうとしたんだ、そりゃ誰だって逃げるだろう。
すでに『さっきまで仲間だった』にランクダウンした男たちがニヤニヤとその光景を見ている。
ちくしょう。と思った。「この下衆共が!」と叫びたかった。しかし、毒が回り、ろれつの回っていないミャムミャムには叫ぶことも悪態をつくことも出来ない。
服が破れ、あらわになった未成熟な胸を男が弄んでいる。
死ね。
と願った。
今すぐ死んでくれ。と。
そしたら頭に槍がぶっ刺さってホントに死んだ。
とたんに『さっきまで仲間だった』奴らが慌てるのが分かった。
ミャムミャムは頭に槍が刺さって死んだ男の血を浴びながら『それ』を見る。
リザードマンたちだ。
リザードマンたちが次々と沼から這い出てくる。そこで初めてミャムミャムは自分がリザードマンの巣のそばにいると理解した。
(逃げないと……まずいニャ)
痺れる体で自分に覆いかぶさっている男をなんとかどかし、朦朧とする意識に鞭打って這いつくばりながらも少しづつ移動する。
だが、動けば動くほど毒の回りは速くなるもの。
いま、『さっきまで仲間だった』者の最後の一人が討たれた。
(早く……早く……)
ミャムミャムは恐怖から涙と小便を流すもそれに自分で気づかない。
血でデコレーションされた『さっきまで仲間だった』者たちはリザートマンたちのディナーとなり始め、そのディナーにありつけなかったリザートマンが震えるミャムミャムに目をつけた。
ぐちゃ、ぐちゃ、とぬかるみを踏みしめる音が近づいてくる。
(嫌だニャ……死にたくないニャ……神さま――)
神への祈りは届くことなく右足を掴まれ、ぐいと引っ張られたかと思うと、そのままあっさりとリザードマンに吊り下げられた。
逆さ吊りにされたミャムミャムは、リザードマンの爬虫類特有の感情を感じさせない目に見降ろされ、ついに心が砕けてしまう。
(あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!)
ミャムミャムは動かぬ体で声にならない悲鳴を上げ、それに構わずリザードマンはぱかっと大きな口を開け、ミャムミャムの太ももに噛みつこうと――――、
その時、ミャムミャムは確かに聞いたのだ。
どこからともなく「ぶひぃぃぃぃッ!」と猛る何者かの雄叫びを。




