第十七話 灼熱のゴブリン・リーダー
「ふむ。しくじったな」
予想外の出来事に俺は首を傾げながら走っていた。
「追うさー! 絶対に逃がすちゃなんねぇぞぉ!」
俺たちの後方からはからゴブリン共の怒声が上がり、たまにぴゅんぴゅんと矢が飛んでくる。
「くっ、ガイアよ。父をおいて逃げろ。ここは俺が――」
「ダメだよ父さん! 族長である父さんが死んだら村がどうなるか分かっているでしょう? 父さんは絶対に死んじゃいけないんだ!」
「……そうだな。走るぞ」
「ああ!」
剣を抜き振り返ろうとするブサ男を何とか諌め、二人で走る。しかし傷ついてボロボロのブサ男は進みが遅く、何度かゴブリンに追いつかれそうになってしまったが、その度に俺が後ろに火球を放って何とか距離を稼いでいた。
誤算は二つあった。
一つは生い茂るハーブさんたちと一晩中仲良くしていたブサ男はハーブの香りが全身に移ってしまい、近くにいるとそのハーブの強い香りのせいで周囲の臭いを探れなかったこと。
もう一つがその強すぎる香りのせいでゴブリン共に見つかってしまったことだ。しかも運の悪いことにゴブリン共の本隊に。
「オークの族長の首さとっだらぁ、褒美さやんぞぉ! 好きなメスのオークさくれてやるぅッ! みなきばっぺよぉ!」
洞窟で見たゴブリン共の族長であるでかいホブゴブリンが叫び、味方のゴブリン共を鼓舞している。
それを聞いたゴブリン共が、
「「「うおぉぉぉぉぉッ!」」」
とテンション上げ上げで咆えて応えているあたり、それなりの効果はあるみたいだ。
メスのオークとかもらっても罰ゲーム以外の何物ではないと思うのだが、ゴブリン共にとっては気合を入れ、事に当たるだけの価値はあるらしい。その時はぜひともジュディを貰って頂きたい。などと考えていた時に一匹のゴブリンがブサ男に跳びかかってきた。
「父さん危ない!」
俺は跳びかかってきたゴブリンを横から蹴り飛ばし、そのゴブリン目がけてすかさずダガーを投げつける。
一本目は右肩にあたったが、二本目が喉に突き刺さり仕留めることに成功した。
ふう、ジュディの頭の上にリンゴ(みたいな果物)を置いてダガーを投げる練習した成果が出たな。リンゴには一度も当たったことがなかったけどさ。
しかし状況は芳しくない。いま俺たちは三十匹ほどのゴブリン共に追われており、しかもその内の半数はホブゴブリンだ。
俺だけなら奴らの目的であるブサ男の「尊い犠牲」と言う名の囮を使えば〈蜥蜴迷彩〉の能力でこのピンチを乗り切ることが出来るだろうが……そうなると今度は俺の計画に狂いが生じる。だからギリギリまでブサ男の救出を諦めてはいけないのだ。全くもってままならん。
(さて、どうしたもんか……)
今また一匹のゴブリンが跳びかかってきた。しかもその後ろにはホブゴブリンも迫ってきている。
「ちぃ!」
俺は舌打ちしながらブサ男の背を守るように立つと、ショート・ソードを構えゴブリンの振るうシミターをがきんと受け止める。
「ガイアッ!?」
「父さんは走って!」
「くっ――すまん!」
実の息子を置いていくのは家族想いのブサ男にとって苦渋の決断だったと思う。だがブサ男は走った。もはや族長としての立場だけがブサ男を走らせていた。
俺はそれを横目で見送った後、ショート・ソードを握る腕に力を込める。
「ふんっ!」
俺は腕力だけでゴブリンを押し返し、シミターを弾いた隙にショート・ソードをゴブリンの胸に突き刺す。だが、これがいけなかった。
知らず知らずの内に力が入ってしまっていたのだろう。力を込め過ぎたせいでショート・ソードが根本まで深くつき刺さってしまい、すでに絶命しているゴブリンが俺にどさりと体を預けてくる。そのすぐ後ろにはブロード・ソードを振り上げたホブゴブリンの姿が。
「しまっ――――」
身動きが取れない僅かな時間。そのほんの僅かな時間をついて迫るブロード・ソードの刃。
瞬間、生命の危機に意識が加速して、目に映るものすべてがコマ送りのようにスローモーションになる。こんなに風になるのは前世で自転車に乗ってて頭から田んぼに突っ込んだ時以来だ。
ゆっくりと自分の命を刈り取る死神の鎌が近づいてくる。
ゆっくり、ゆっくりと。
俺は全身が総毛立ち、ありとあらゆる感覚が敏感になり、知覚できるすべての情報が勝手に脳へと流れ込んでくる。
体を撫でる風の感触。
自分が踏みしめている大地の匂い。
木の枝から飛び立つ寸前の小鳥の姿。
草木に隠れて演奏している虫の音色と、それに混じって「ひゅんひゅんひゅんひゅんひゅん」と風を切って迫りくる何かの音に聞きなれた『アイツの声』。
ん? これは――――。
「ハァァァンドアクスゥゥゥ・ブゥゥゥメランッ!!」
突如、どこからか飛来してきた見覚えのあるハンド・アクスの刃が、俺にブロード・ソード振り下ろそうとしていたホブゴブリンの側頭部にがすっと埋まる。
頭をかち割られたホブゴブリンが糸の切れた操り人形のようにゆっくりと倒れ、それと同時に茂みの奥から――。
「ガイアッ! 大丈夫っ!?」
と俺の命の危機を救った者――ジュディが飛び出してきた。その後ろには息を切らせ、呼吸を整えるため胸に手を当てているエリーもいた。
「ジュディか!? どうしてここに……」
「ふふ、話は後よ! まー、強いて言えば『愛の力』かな? ほら、今のうちに!」
ジュディはそう言いながらハンド・アクスをホブゴブリンの頭からずぼっと引っこ抜きながら俺に走るよう目で促してくる。
見ればゴブリン共は突如現れたジュディに名もなきホブゴブリンが一撃で倒されたことに驚き、一時的にしろ足がすくんでいるようだ。
まあ、奴らからしてみたら、子供のオーク(ジュディのことね)如きが、自分たちの上位種であるホブゴブリンを倒すなんて想定外の出来事なのだろう。
「なーにしてるだぁ! オークの族長さ逃げつまうでねぇかぁ!」
ゴブリン共の族長がそう喚き散らしながら近くにいたゴブリンを感情に任せて殴りつける。
そこでやっと我に返ったゴブリン共が俺たちへの追撃を再開しようとするが、タイミングを見計らっていた俺が先頭のゴブリン目がけて火球をぶつけてその出ばなを挫く。
「うわぁぁ! リーダー!」
「そんなぁ、おらたちのリーダーがぁ……」
そんな声が後ろから聞こえていたが、それに構わず俺たちは走り出していた。どうやら俺が火球をぶつけた相手は普通のゴブリンたちよりちょっとだけ偉い、リーダー格のゴブリンだったみたいだ。これで更に追撃の手が緩んでくれるとありがたい。
「ほら、エリーもあたしに掴まって!」
そう言い、ジュディはまだ呼吸を整えていたエリーを肩にひょいと担いで走る。
今のジュディにとっては、いつぞやの大鹿に比べればガリガリのエリーなんて荷物の内にも入らないのだろう。
その証拠に俺と全く変わらない速度で並走している上に、心なしか若干の余裕まで感じられる。
「ジュディ、あたすなんかのために……すまねぇなぁ」
「もう、友達なんだからそういうことは言わないの! それにね、こういう時は『ありがとう』って言うものなのよ。憶えておきなさい!」
体力のなさから友達であるジュディの負担になっていると感じたエリーが申し訳なさそうに謝り、そのことに対しちょっとだけ恥ずかしそうな顔をしたジュディがそうまくし立てる。
何だかんだでこの二人はうまくやっているみたいだ。
「……あ、ありがとう。ジュディ。あたす……ジュディが友達になってくれて嬉しいだぁ」
ジュディの言葉に心打たれたエリーの目に涙が浮かぶ。
「ふ、ふん! 喋ってると舌噛むわよ!」
「ん……分かっただぁ]
恥ずかしそうに頬を赤く染めるジュディと嬉し涙を浮かべているエリー。
ゴブリン共に追われているこんな状況だというのに、心が通じ合いどこか嬉しそうな二人。
そこには種族を超えた友情が確かに存在していた。
とそこへ、ゴブリンの放った矢が綺麗な放物線を描いてエリーのケツにぶすりと突き刺さる。
「……ごめんなさいエリー」
「……ん、こ、こういうのは不可抗力ってやつだべぇ。気にすちゃなんねぇよジュディ」
いまさっき自分から「謝るな」と言ったばかりだというのにすぐこれだ。
やや気まずい空気に包まれながらも俺たちはブサ男を追って走るのだった。




