ANSWER2:「いいから、お前は早く帰れ」
「ナツミ、このグラスを棚に並べて」
「了解」
リョウちゃんからグラスを受け取ると、綺麗に棚に飾る。薄暗い店の中に、光を浴びたグラスがキラキラと光った。
Preciousで働き初めて3日が過ぎた。オーナーも他の店員も、皆良い人たちばっかりだ。酔っ払いはいるけれど、リョウちゃんが助けてくれていたので、思ったよりも楽しく仕事をしていた。しかし、肝心の四之宮さんにはまだ会えていない。あの日の電話以来、私は四之宮さんに電話をかけていなかった。本当に仕事が忙しいなら邪魔はしたくなかったし、直接会って話したかった。今日こそは会える、そんな淡い期待を胸に待っているのだ。
外はあいにくの雨。それがたたってか、今日は客も少なかった。
「こないな、四之宮っち」
リョウちゃんがそう言ったと同時に、扉が開く音が聞こえた。私は咄嗟に扉のほうを振り返る。働き始めてから、誰かが来るたびに四之宮さんではないかと思いふり返ってしまう。
そこには、雨に濡れた四之宮さんが立っていた。
「四之宮さん!」
嬉しくて私はそばにあったタオルを持つと、四之宮さんに駆け寄った。四之宮さんは大きく目を見開き、驚いた様子だ。
「お前!なんでここにいるんだ!」
「はい、タオル」
私はにっこりと笑うと、タオルを差し出した。四之宮さんは、何も言わずタオルを受け取り、ぽたぽたと零れ落ちる水滴を拭き取った。決め細やかな肌に水が滴り落ちていく。端正な顔からは大人の魅力が放たれ、そして、さらに雨に濡れた四之宮さんの髪はより輝きを増して揺れている。いつもよりも、もっと色っぽく見えた。
「リョウ、お前の仕業か」
四之宮さんは、リョウちゃんをぎろりと睨み付け言った。
「嫌だなぁ、四之宮っち。そんな怖い顔しないでよ」
「はぁ……。ナツミ、なんでこんなところにいるんだ」
カウンターに座った四之宮さんは、長い足を組みかえ、煙草に火をつけた。
「会いたかったんだもん……じゃなくて!違う違う。社会見学!そう社会見学!ね!リョウちゃん」
会いたかったなんて子供じみたことを言ったら、バカにされるに違いない。
「そ……そうそう社会見学。これからの高校生はもっと世間を見ないと!」
リョウちゃん、ナイスフォロー。四之宮さんは無表情でただ煙草を吸っている。
「ふーん、そんなに俺に会いたかったわけだ」
四之宮さんは真っ直ぐ私の目を見ると、挑戦的な笑みを浮かべた。
「電話でバカとか言われたから嫌われてるかと思ったよ」
端正な顔立ちから放たれる笑顔は全てお見通しのようだ。四之宮さんは煙草を灰皿に押し付けた。私は赤くなった顔を見られたくなかったので、違う、とだけ言うと俯いた。
四之宮の目は、私を捕らえて離さない。かと思うといきなり放り出すかのように冷たくあしらう。私はいつも四之宮の言葉に一喜一憂するのだ。
「親には言ってあるのか」
「言ってない。だって親は今、NYだもん」
「NY!?」
リョウちゃんと四之宮さんは同じタイミングで叫んだ。そう言えばリョウちゃん達にも四之宮さんにも言って無かったっけ。本来なら私は、一ヶ月前、父親の仕事の関係で、家族みんなでアメリカに飛び立っているはずだった。私はもちろん断った。ハルナやリョウちゃんと別れるなんて絶対に嫌だったし、四之宮さんと会えなくなるのはもっと嫌だった。
「お前そんな大事な事をもっと早く言えよ!」
「全くだな」
四之宮さんはオーナーから差し出されたマティーニを受け取り、一口飲んだ。
「仕事終わるの何時?」
「えっと10時」
「と言うことはもう時間だな、帰れ」
時計の針はとっくに10時を通り過ぎていた。
「やだよ。四之宮さんが帰るまではいる……」
「ダメ。未成年は午後10時から午前5時まで働いてはいけないことなってるわけ」
そんなぁ、私は力なく叫んだ。
「オーナー、これからこいつらがちゃんと10時には帰るよう見張ってろよ」
四之宮さんは、煙草に火をつけながらオーナーに言った。
「分かってるよ。しかし、四之宮、お前もそんな顔するんだな」
おかしそうに笑いながら、オーナーは髭を撫でた。
「どういう意味だよ」
「いつも女に誘われても、我関せず、な態度でいるのに。ナツミちゃんの前だとそうもいかねぇらしいな」
「それって、私に感心を持ってくれてるってこ………」
「いいから、お前は早く帰れ」
四之宮さんは、私の口を手で覆うと、何も言えなくさせた。四之宮さんの考えてることなんてさっぱり分からない。ただ私は、四之宮さんの手の冷たさにドキリとするだけだ。
「リョウ、ちゃんと送ってけよ」
「はいはい」
ちぇ、せっかく四之宮さんに会えたのに。四之宮さんは何事も無かったかのように飲み始めている。
「四之宮さん、また来てくれる?」
「……ああ、心配すんな。だから今日は早く帰れ」
久しぶりに会ったんだからもっと話していたい。四之宮さんの顔を見ていたら、やっぱり帰りたくなかったけど、今日は大人しく帰ることにした。これからチャンスはいくらでもある。仕方なく私はカウンターを後にする。
「ナツミ」
「へっ?」
急に腕を捕まれ、呼びとめられた私は、間抜けな返事を返した。
「家に一人なんだろ。鍵は必ず閉めろよ。あと、何かあったら電話しろ。以上。ほら、さっさと帰れ」
そう言うと素早く手を戻し、また飲み始めてしまった。優しいんだか、冷たいんだか、分からない。それでもやっぱり心配してくれてることは分かったから、私は嬉しくて笑いを堪えられなかった。腕に残った感触を私は忘れないと思う。
「何か無くても電話する!おやすみ!」
心配してくれるってことはちょっとは期待してもいいのかな。私は、にやつく顔を必死で隠しながら駅に急いだ。