おつかいを終えて 6
それにしても濃い夜だった。たった一晩の間にああも強い個性を持ち合わせた連中と接することになるとは。
狐の金物屋。
遊女を装う刀狩り。
地獄落ちの薬種問屋。
恋に狂う女学生。
そして、笑みを被る管理者。
(……本当に何て濃い面子だ)
通りの真ん中を黙って二人並んで歩きながら、この町には奇人変人の類しかいなのではないかと思うくらいだ。代表者などと言うのだから彼らはその中の筆頭なのかもしれないが、隣を歩くユズリを含め、町に足を踏み入れるようになってから、いわゆる普通と称されるような相手にはお目にかかったことがない気がする。
奇人変人だからこそこんな町に立ち入るのか。
そもそもこの町自体が普通とは到底言えないような場所だ。
生死の境。
彼岸此岸を隔てる三途の川の中州。
三途の川の話は此岸でもよく知られているが、一体誰がその川の中州に町があり、さらに居住する者までいると思うだろう。
そんな風に考え事をしていたせいだろう。
前方から歩いてきた薄汚れた着物に濃い髭をたくわえた男が肩にぶつかってくるまで全く気がつかなかった。
「いってぇ!」
往来で上がった野太い声に行き交う人々の視線が一瞬遊佐達に集まる。
遊佐は目を丸くしつつも現状を把握し、ぶつかった相手に一応の謝罪をする。
「あ、ああ。悪い。考え事をしていたんだ。大丈夫か?」
明らかに向こうがぶつかってきたのだろうが、ぼんやりとしてきちんと前を見ていなかった遊佐にも若干の非はある。そう思って頭も下げたのだが。
「ふざけんな! てめぇ、肩が外れたじゃねぇか! 一体どう落とし前をつけてくれるんだ!? あぁ!? 治療費は払ってくれるんだろうなぁ!?」
わざとらしく肩をさすり、男は凄まじい形相で遊佐に迫る。
山賊のような顔は確かに怖いのだが、言っていることはどう聞いてみても当たり屋だ。わざとぶつかってきて相手に治療費を請求したりするという輩は此岸にもいるらしいが、この町にもやはりそういう輩はいるのか。この男も人間に見えるが別の世界の住人なのかもしれない。そうだとしたらもしかするといかつい外見に反し、本当にあの程度の衝撃でも肩が外れるくらいか弱いのかもしれない。
「肩が外れたのか?」
「そう言ってるだろうが! おお痛ぇ! 痛ぇよう!!」
なぜか痛そうには全く見えないのだが、本当に治療が必要なのだとしたら一体いくらくらい必要なのだろう。遊佐もユズリ同様、此岸の金銭などを両替商で換金してもらっているため少しは町の通貨の持ち合わせはある。だがそれは決して多くはない。
「ユズリ。この町での治療費の相場はいくらくらい……」
遊佐よりずっと町に詳しいユズリに意見を求めようとし、隣を見たところそこにユズリの姿はなかった。
不思議に思うより先、「ぶごぉっ」と無様で美しくはない声が上がった。その声の主は当たり屋か否か判別しかねていた男で、丁度その彼が真横へ吹っ飛んだところだった。
「うるさい当たり屋ね」
不機嫌かつ高慢な声が、何が起きたのかを教えてくれる。
いつの間にか男の横へ回り込んでいたユズリは眉を吊り上げ、一メートルほどの長さの木の棒を肩に担いでいる。
「あんた、ここの所この辺りで当たり屋やってるって男でしょ。大の男がつまんないことしてるんじゃないわよ」
吐き捨てるように言ってユズリは近場の店の者に担いだ木の棒を渡す。
「貸してくれてありがとう。ついでに番所に連絡してくれると助かる」
店の者は慌てて頷いて通りを駆けて行った。
ユズリはそれを見送ってから遊佐に振り返った。
「じゃ、帰りましょ」
「……ああ」
野次馬が物珍しそうに集っていたが、男がぴくりとも動かず倒れたままだ。
「あの男はいいのか?」
「番所のほうでどうとでもしてくれるから。ただ気絶してるだけだから放っておいていいわよ。それより早くしないと朝が来るし。急がないと」
もう男への興味などすっかりなくしたかのようにユズリは先を歩き出した。遊佐もその後を追う。
ユズリは小柄だから追いつくのは簡単だ。その彼女のペースに合わせて歩きながら遊佐はふと思い出した。
「そうだ。さっきはありがとうな。危うく騙されて金を払いそうだったから助かった」
素直にお礼の言葉を口にすると、ユズリは一瞬虚を衝かれたような顔をしてから勢いよく顔を背けた。
「っ別に遊佐のためじゃないし! 私が気に食わなかったから、それに当たり屋の常習だとかそんな噂もあったし! 私が人のためになんて働くわけないじゃない!」
早口でまくしたてるように言うユズリはそっぽを向いたままだ。これ以上ないほどあからさまに照れている。
「けど助かったのは本当だから。ありがとう」
もう一度お礼を言うと、ユズリは顔を真っ赤にして早足に先へと歩き出した。
「別にお礼言われることなんてしてないから! 私の自己満足にあんたがお礼を言う必要なんて全っ然ないんだからね!」
ああ、照れている。わかりやすく照れている。
何だ。あの高慢・傲慢・傲岸不遜は褒められると弱いのか。意外な発見だ。
そう思ったのはやはり遊佐だけではないらしなく、道の端の若い男達もまた驚いたような感想を漏らしているのが聞こえてきた。
「照れてるなぁ、管理者の娘」
「素直じゃねぇよなぁ、相変わらず」
「せっかくだから素直に受けとっときゃいいのになぁ。不器用っつーか何つーか」
「褒められたり礼を言われたりするとああなんだよ。何だっけか? 折継の奴がああいうのをツンデレって言うとか言ってたぜ」
なるほど、ユズリはいわゆるツンデレという性質だったのか。折継あたりならそれもまた面白いだか可愛いだか言ってユズリで遊ぶネタにしているのかもしれない。
遊佐の周りの野次馬達がこそこそと話しているのを聞きながら、またユズリの後を追った。
その後ユズリは一切口を開かず遊佐の前方を歩いて行った。歩いてと言うか最早小走りだったが。
本当に何て濃い夜だ。
狐の金物屋に遊女を装う刀狩り、地獄落ちの薬種問屋に恋に狂う女学生、笑みを被る管理者……そして追加だ。管理者の娘のツンデレ刀狩り。
やはりこの町は一筋縄ではいかない。町の主だった連中は奇矯で異形で奇妙な連中ばかりだ。
とすると遊佐も町に出入りしているうちに彼らのようになるのか。否、もしかしたらもう既に普通とは称し難い存在になっているのかもしれない。
「それも複雑だな」
「……何が?」
橋の手前まで来て、ようやく口を開き振り返ったユズリの顔は強張っている。一見するとただ不機嫌なだけにも見えるが、多分まだ照れているのだろう。あくまで遊佐の希望的観測だが、そうとでも思えばこの扱いにくい小娘も少しは可愛げがあるように見えてくる。
「俺もいずれ変人になるのかと思うと複雑な気分だと思った」
そう答えるとユズリは真顔で遊佐を見詰めてきた。
「……あんたは今まで自分が普通だとでも思っていたの?」
「普通だろう。俺はごくありきたりな平凡な人間のつもりだ」
ユズリは真顔でしばらく固まってから、やたらとはっきりした声音で言った。
「あんたはどう見てもどこから見ても変人の類よ。普通とは縁遠い変人。普通の人間がこんな町に入り込んで火縄銃ぶっ放したり、呑気に散歩気分で代表者相手になんかできるわけないじゃない」
「……それは俺のせいじゃないだろう」
火縄銃を撃つ羽目になったのは一応ユズリ含め人助けのためだったし、まして今晩代表者たちのもとを巡らされたのはほぼユズリに強制的に引っ張り回されたというところが大きい。
それで人を変人扱いとはあんまりではないか。
「それ以外にもあんたは変よ。すごく変。天然というか何というか……代表者にも並べるくらい変!」
「そんなに変、変連呼するなよ。傷つく」
「能面みたいな無表情でそんなこと言われたって信憑性ないわよ」
言うだけ言ってユズリはいつもの調子を取り戻したのか、くるりと背を向けて橋を渡って言った。一歩遅れて遊佐も橋へと踏み出す。
そう長くない橋の下からは川のせせらぎ。
けれど橋の辺りには一面霧が立ち込めていて何も見えない。だから橋の外、此岸と町にどんな光景が広がっているのかは窺えない。一歩先を歩くユズリの姿すら濃い霧に霞んで見えるほどだ。ただまっすぐ前を向き、行く先を見失わないだけで精一杯だ。
白く暈けた視界にぼんやりと緑が滲み始める。あれは此岸の橋の袂に生える柳だ。
もう帰るべき場所はすぐそばにあるというのに、まだ帰るのが惜しいと思っている自分がいた。あの不思議で危険で曖昧な町にまだいたいと、ほんの少し思っていた。
「あーあ。もう少し遊んで来たかったのに」
前を歩くユズリがそんな言葉を口にした。どうやら遊佐だけでなく、彼女も同じように感じていたらしい。
しかしこれはまずい気がする。
町の変人筆頭に名を連ねられるユズリと同じ思考を持ってしまうとは。これでは本格的に変人への道まっしぐらだ。
「……気をつけよう」
「はぁ?」
堅い決意と共に吐き出した言葉に、ユズリが訝しげな声を寄越したが遊佐は「何でもない」と答え、あとはお互い黙々と橋を渡った。
あと少しだけ、境界の町への名残を惜しみながら。
了
大した内容でもないのに随分がかかってしまいました迷い夜話、これにて完結です。もともと迷い夜行を書いた時点でこの迷い夜話に出てくるキャラクター達について書きたかったのですが時間もページもなく書けなかったので番外編扱いとして書きました。
特にこれといった驚きの展開があるわけでもなく、特にどんでん返しが起こるようなこともなくあっさりとした終わり方になってしまい自己満足で書いた感の強い話ですが多くの方に読んでいただけたようで嬉しいです。
何しろ今回登場のキャラクター達も皆癖が強いだけあって細かく設定があったりするので、いずれ彼らを中心にした話も書けたらいいなと思っています。
それでは長いことお付き合い頂き本当にありがとうございました。