おつかいを終えて 5
「店主がおまけしてくれたの。一人じゃ食べきれないような量のお煎餅をもらったからあんたも食べたら? お父さんも食べるでしょ?」
「ああ、いただくよ」
管理者は穏やかな表情を浮かべたまま、紙袋の中から随分大きな醤油煎餅らしきものを手に取った。
「ほら、遊佐も」
ユズリから強引に渡された煎餅はやはりかなり大きな丸い煎餅だった。目玉焼きほどのサイズの煎餅など初めてお目にかかった。
「随分でかいな」
「この町の名物のひとつなのよ。美味しいんだけど一枚食べたらおなかいっぱいになっちゃうのよね。店主がおまけしてくれたからありがたくもらってきたんだけど、さすがに三人でもこんなに食べられないわね。どうせ私は持ち帰れないしお父さん、いる?」
「お父さんが持ち帰らないとユズリはうっかり此岸に持ち帰りかねないからね。残りは私が責任もっていただこう」
「持ち帰らないわよ。子供じゃないんだから」
ユズリは不満げに口を尖らせながらまた管理者の向かいに座った。それから思い出したように遊佐に振り返った。
「そうだ。遊佐もこの町の物は基本的に持ち帰り禁止だからね。手続きしないで持ち出したりすると厳罰ものだから気をつけなさいよ」
「今のところ持ち帰ったことはないけど駄目だったのか」
「駄目なんだってさ。この町から此岸に持ち帰ったら混乱させるようなものもあるでしょ? どうしてもって時はお父さんの、って言うか管理者の許可が必要なの。まぁお父さんは滅多な事じゃ許可を出してくれないけど」
そう言ってユズリは恨めしげに管理者を見たが、当の管理者は相変わらずにこやかに微笑んでいる。
「それぞれの世界を混乱させるのはよくないからね。この町は奇妙な物も危険な物も多くあるし」
「この太刀なんかお気に入りだし、うちに持って帰って床の間にでも飾ろうと思ったのに」
ユズリは残念そうな顔で握りしめていた太刀を見下ろした。
「なかなかいい代物だね。八卦院の店のものかい?」
「そう。この間から狙ってたの。すごーぉくすごーぉく欲しかったの」
「そうかい。じゃあそろそろ此岸に帰るならその太刀はお父さんに預けなさい」
にこやかに言う管理者。
舌打ちするユズリ。
「すごーぉく欲しかったのがやっと手に入ったって言ってるのに、もう取り上げようって言うの? お父さんの鬼」
「はいはい。お父さんは鬼でいいからユズリたちはそろそろ帰りなさい。もう此岸では夜明けも近いのではないかい?」
そう言われて十二階建ての塔を見上げてみれば、さっき見た時は確かに黒に近かった炎の色が鮮やかな藍色になっていた。
「あーあ。お父さんのせいで今日は代表者たちの所に行くしかできなかったじゃない」
ユズリが不満げに言うが管理者は穏やかに微笑んでいるだけだ。それ以上無駄だということは誰よりもユズリ自身が知っている。諦めて縁台を立ち上がって管理者に太刀を渡して遊佐に振り返った。
「あんたもクチナワのところで買った火薬を渡したらさっさと帰るわよ」
仏頂面でそう言い捨てるなり、ユズリはさっさと歩き出した。
「……本当にすまないねぇ、人の都合も聞かないような子で」
その管理者の苦笑交じりに言葉が聞こえたのか、ユズリが眉を吊り上げてこちらを振り返った。
「今、何か言った?」
「いいや、何も。それじゃあ遊佐くん、君も気をつけてお帰りなさい」
「……はい。それじゃあこれ、お願いします」
火薬袋を受け取った管理者は、穏やかな口調も柔らかな表情も遊佐が今までよく知っていると思っていた管理者そのもの。つい先ほど覗かせた鋭さなど微塵も感じさせない。
遊佐は軽く会釈してからユズリの背を追った。追いながら背後を振り返ってみれば管理者は笑顔で手を振っていた。もう一度それに会釈して答え、ユズリの後をついていった。
追いついたユズリは不満そうに口を尖らせていた。
「あーあ。あの性悪オヤジめ。娘がこんなに懇願してるって言うのに。別に此岸で事件を起こそうっていうわけじゃないんだからいいじゃない? こっちだって銃刀法違反で逮捕なんて御免被るし」
でもキレたら銃刀法なんて軽く破るのではないか、とも思ったが遊佐は黙ってユズリの横についた。
相槌を打つでもない遊佐になどお構いなしにユズリはひとり喋り続ける。
「いっつもニコニコニコニコしているから腹の内が読めないったら。娘をからかう時も笑顔、叱る時も笑顔! あのオッサンときたら笑顔以外の表情がないのかしら」
「……笑顔以外の?」
思わず口を吐いて出た遊佐の言葉にユズリは歩きながら答えた。
「うちのお父さんはいーっつもあの胡散臭い笑顔なの。生きている頃から笑顔以外なんて娘の私だって見たことないわよ。お母さんなら知っているかもしれないけど、私の前じゃ笑顔以外見えせた事ないわよ。まぁ笑顔にもいくつかレパートリーがあるけど、怒ってるときだってそういう怒り顔って言うの? そういうのは見たことないわよ。そもそもあんまり怒らないっていうのもあるんだけどね。叱ると怒るは違うじゃない? だから娘歴十八年の私もお父さんの笑顔以外の顔は知らない。町でだって笑顔以外のうちの親父を知ってる奴なんてそうはいないと思うわよ? 笑う管理者なんて呼ばれているくらいだし」
「そう、なのか……」
実の娘のユズリですら……否、実の娘だからこそユズリは知らないのだろう。笑みを捨てた管理者を。この町のどんな異形にも劣らぬ威圧感を纏う存在を。
「何よ? どうかしたの?」
ユズリが不思議そうな顔で覗きこんでくる。
「いや、何でもない」
実の娘だからこそ知らない。知らせたくない姿だってあるだろう。
だからと言って、遊佐があの管理者の一面をユズリに黙っている義理もないが、余計な真似をすれば後々が恐ろしいのは先ほどしっかり釘を刺されている。わざわざそんなリスクを冒してまで意趣返し程度のために話すこともないだろう。