クチナワ 10
なかなかどころか、まったく想像がつかない。父親の後ろに隠れて驚くとすぐ泣く?
「それは人違いじゃないのか?」
大真面目に遊佐が言うと、クチナワは渋い顔をして薄く笑んだ。
「やっぱり想像つかねぇか」
「あいつがファザコン気味なのは知ってるが、人見知りして驚くとすぐ泣いて、しかも笑いながら馴れ馴れしく寄ってくる様というのがどんなに脳を酷使しても想像できない」
あの万年仏頂面で成分の九割が怒で構成されているような女が。短気ですぐ抜刀して、なぜあそこまで自信にあふれているのかというくらい根拠不明の過剰な自信家が。
「本当にガキの頃の話だからな。あれでも親しくなった町の奴に笑顔で名前呼びながら走ってきたような時代があったんだよ」
笑顔で……走ってきた?
「やっぱり別人じゃないのか? 双子の妹とか」
「あいつに兄弟はいねえよ。シノの子供はユズリ一人だ」
そう言うクチナワが嘘をついているようには見えないし、無駄な嘘をつくタイプにも見えないのだが、鵜呑みにするには日ごろのユズリはあまりにあれだ。
この町では随分常識を覆すような出来事に遭遇してきた。だが間違いなく一番困惑させられたのはクチナワの語る『幼い頃のユズリ』だ。
「まあその様子だとお前は随分ユズリに苦労をかけられてるらしいが、扱いに慣れりゃ悪い奴じゃねえ。せいぜい仲良くしてやってくれよ」
「な、仲良く……?」
「俺も最初は可愛げのねえガキだと思っていたが、慣れてくりゃ何だったか……何でもあいつの世界の何とかっつー甘いもんを他人にくれてやる行事があるらしいんだが、毎年律義に俺のところにも持ってくるようになったしな。俺は甘いものは食わねえから気ぃ遣って、その何とかっつー甘いもんに酒を入れて作ってくれたこともある」
「……甘いものを他人にやる行事? それってバレンタインか?」
まさかとは思うが。ユズリがバレンタインに手作りチョコを渡す姿なんて想像もつかないが。
だがクチナワは「そういやそんな行事だったか」と言ってひとり頷いていた。
「そういやシノの奴も似たような菓子をユズリからもらってたくせに、何で俺がもらうとあんな殺意の籠った顔で嫌がらせされてたんだ、俺は」
わからねえ、と言いながらクチナワは首をひねっていた。