裏道への曲がり角
さて、前を歩くユズリの足取りは心なしか軽い。八卦院の元から借りてきた大刀を遊佐に持たせ、今その手にあるのは折継から受け取った大刀だ。
あれほど怒り狂っていたにも関わらず、今はそんな素振り微塵も見せずに鼻歌でも歌いだしそうな勢い。まるで子供のような感情の起伏の激しさだ。
それにしてもあの折継という男もつくづく不思議な男だ。遊び半分にユズリの逆鱗に触れまくり、かと思えば最後には怒髪天を衝いたユズリの機嫌を途端に直してしまうのだから。
「折継だっけ? あいつとは付き合いが長いのか?」
「んーそうね。初めて会った時はお互い幼稚園か小学校かって頃だったと思う」
それは随分長い付き合いだ。どうりで慣れた調子で騒いでいたわけだ。
「うちのお父さんと折継のお父さん、今は先代折継って呼ばれてるけど、二人が顔見知りでね。割と小さい頃から町で会うことが多かったのよ」
懐かしむように目を細めてユズリは言う。
珍しい。
こんなに上機嫌なユズリを見るのは初めてだ。やはり折継は只者じゃない。喜怒哀楽の『怒』が九割方で構成されているような彼女が見るからに浮かれている姿など想像もつかなかったというのに。町の代表者とやらを務めるのだからやはりそれなりに優れた人物だということか。
「そう言えば、代表者っていうのは何のことだ?」
「え、何を今さら」
大げさなリアクションでユズリは振り返った。
「何だ。知っててついてきたんじゃなかったの?」
「代表者なんだから何かの代表で、お前の父親が俺に案内しろっていう相手なんだからそういうものだろうと思ってた」
遊佐はわざわざ積極的に自分の疑問を解消しようというタイプではない。必要であれば自分から答えを求めることもあるが、この町に関してはシノに任せた方が自分で行動を起こすより賢い選択だと思うからなおさらだ。
「てっきりお父さんから話を聞いてるんだと思ったわ。まったく。あのおっさんも娘任せにしないでちゃんと初心者に説明くらいしてほしいものだわ」
呆れまじりにユズリは息を吐いた。
「代表者っていうのはまぁそのままずばり町の住人、あるいは私たちみたいに定期的に町に来る連中で構成されているの。定期的に管理者を中心とした会議があってね、代表者たちはその会議で意見する権利を持っている。たとえば町のどこそこで問題が起こっているとか、ここにはこんな条例を敷いたほうがいいなじゃないか、とか。昼の世界でいう市議会とかそういう感じかしら」
「あーこの町にもそんな民主主義があったんだ」
「ここ数代の管理者の意向でね。管理者によっては独裁政権みたいのを好んで代表者制度を廃止していた人物もいるって聞くけど、ひとりでどうこうできるような町じゃないのはあんたもよく知ってるでしょ? 町に根付いた協力者がいるといないじゃ管理の効率も全然違うってものなのよ」
「ああ、八卦院は店持ってるし、やっぱり町の住人には詳しいのか」
「もう随分長いことこの町にいるしね。客層もけっこう幅広いし。折継なんかはまぁさっきも見たとおり、色町に入り浸って女装して刀狩りしてついでに情報も取ってくるから重宝されてるみたい。裏通りにも通じてるって話だし」
機嫌は直っても折継を褒めるのは抵抗があるのか、少し不満げにユズリは言った。
「私も全員と付き合いがあるわけじゃないけど、皆町にそれなりの影響力を持ってる奴ばっかよ。良くも悪くもね」
「はぁ」
良くも悪くも、という言葉が引っかかるが。確かに先ほどの折継の様子を見た限りでは良い意味で影響力があるという感じではなかった。八卦院はこの町ではまだ良識ある人物といった感じだったが。
「じゃあこれから会いに行く奴はどんな奴なんだ?」
狐の金物屋に女装無法者の刀狩り。これ以上の曲者など想像もつかない。
そもそも先の二人は人間と同じ姿をしていたが、町を行き交う者達を見ればどんな妖怪変化が出てきてもおかしくはないのだ。今も遊佐とすれ違った、顔に無数の目がある大男が長い舌を伸ばして辺りを飛び交う鬼火を食っているし。
「ああ、これから会いに行くのは薬種問屋をやってる奴。まぁ善人とは言い難いけど、悪い奴じゃないわよ。折継あたりと比べたらかなりの常識人だし」
ユズリの言う常識人とは一体どの程度からなのだろうか。そもそもこの町で『常識人』と言っていい人物などユズリを含め会ったことがないのだが。
遊佐がひとり思案を巡らせている前をユズリは話しながら進む。
「まぁ裏通りで主に商売してるっていうのが面倒なところなんだけどね」
ユズリは軽く息を吐き、闇に包まれ先が見えない横道の前で立ち止った。
「ってわけで、さぁ行くわよ。裏道」