第2話「血の衝動」
学園の朝は、思ったよりも静かだった。
空は灰色がかっていて、まるでこの世界の境界線を示すかのように、光と影の間で揺れている。
蓮は今日も、人知れず自分の席に座った。
机の上には、昨日の訓練の名残りでついた小さな傷や汚れ。
教室には人間も吸血鬼も混ざっているが、視線は明らかに冷たい。
「おはよう、蓮」
声をかけたのは彩花だった。
明るく柔らかい声。笑顔を絶やさず、周囲の冷たい視線を遮るかのように彼の横に立つ。
蓮は少し顔を赤らめ、視線を伏せた。
「…おはよう」
小さな声。自分でも驚くほど弱々しく響いた。
彩花はにっこり笑うと、そっと手を握った。
「今日も頑張ろうね。あなたならきっとできるから」
その言葉に、蓮の心は微かに温まった。
しかし同時に、胸の奥に潜む違和感も大きくなる――
血の衝動。
午前中の授業は、通常の魔法理論の講義だった。
蓮はノートをとろうとするが、手が震える。
魔力が弱い自分に、自信が持てないからだ。
「蓮くん、もう少し集中して」
授業を担当する先生の声に、蓮は慌てて姿勢を正す。
しかし、視界の隅でちらりと見えたセバスチャンの笑みが、胸の奥に不安を押し込む。
『血も使えない半端者め――』
思わず目を背ける。
でも、その冷たい言葉が、無意識に自分を奮い立たせる。
弱い自分、だけど守りたい人がいる自分――その狭間で心が揺れる。
昼休み、森での実習の時間になった。
今日の課題は、模擬魔獣討伐。学園内の簡易魔獣が森に放たれ、ペアで討伐せよ、というものだ。
蓮は怜とペアになった。
怜はいつもの冷静な表情で、地図を広げながら指示を出す。
「ここから森の奥に入る。魔獣はランダムで出現するから、気をつけて」
蓮はうなずくしかできなかった。
森に足を踏み入れると、空気はひんやりと湿り、葉のざわめきが不気味に響く。
魔獣の気配がすぐに襲う。
一匹が蓮たちの前に現れ、鋭い牙をむき出しにした。
「怜、前に出ないで!」
蓮は恐怖で声を上げるが、体は硬直したまま。
その瞬間、胸の奥が熱く疼いた。
血の衝動。
手のひらに魔力が集まり、普段の何倍もの力が体を駆け抜ける。
恐怖と欲望が混ざり、制御できない――
無意識に、蓮は魔獣に飛びかかり、圧倒的な力で蹴散らした。
「…っ!?」
怜の声。彼女は後ろに飛び退き、目を丸くして蓮を見る。
魔獣は跡形もなく消え、森は再び静まり返った。
蓮は膝をつき、息を荒くしながら自分の手を見る。
そこには赤い光の残像がちらつき、血の力を使ったことを証明していた。
「…僕…やってしまった…」
小さな声で呟く。
恐怖、罪悪感、孤独感が押し寄せ、涙がこぼれる。
怜はしばらく黙って蓮を見つめた後、ゆっくりと歩み寄った。
「…信じられない…」
その言葉に、蓮の心臓は締め付けられる。
信じられない――それは非難の意味ではなく、驚きと困惑の入り混じった声だった。
蓮は顔を覆い、声をあげて泣いた。
「ごめん…僕はやっぱり人間じゃない…怪物だ…」
怜は手を差し伸べ、ゆっくりと蓮の肩に触れる。
「違うわ、蓮。あなたは…人間よ。血の力を使ったとしても、あなたの心は人間のまま」
その瞬間、蓮は初めて、自分の存在を肯定される感覚を覚えた。
涙が止まらない。
人間でいたい、でも血の力を持つ自分――
その矛盾の中で、初めて希望の光が差し込んだ気がした。
森を出ると、彩花が駆け寄ってきた。
「大丈夫、蓮! ほら、笑って!」
怜の手と彩花の笑顔に支えられ、蓮は小さく頷いた。
「うん…ありがとう」
だが、心の奥では、血の衝動が再び目を覚まそうとしていた。
自分は人間でいられるのか――
それとも、力に飲み込まれてしまうのか――
蓮の戦いは、まだ始まったばかりだった。




