骸骨大盾と女戦士
紫煙と体臭と香辛料の臭いが充満する薄暗い酒場、その片隅に陣取る吟遊詩人。
髭の手入れに失敗したのか、右頬に新しい小さな傷がある以外、これといった特徴のない顔立ち。
彼は酒場の雰囲気を読みながら、ケースからリュートを取り出し、軽く調弦した。
そして空のケースを足元に置き、数枚の銀貨を入れる。こうすると客が投げ銭をしやすくなるのだ。
準備の整った吟遊詩人は膝の上でリュートを爪弾き、喧騒を乱さないように低く歌い出した。
『ぁ~、今宵披露しますは~建国記第一章第一節~、剣聖女の旅立ち~
百血の騎士の横暴に対抗すべく~、魔王の廃城へと踏み入った~ 』
(…死んだわ、これ)
女戦士のフィカスは全裸の背中と、額に、同時に地面を感じていた。
視界を遮る赤髪が湿っているのは、恐らく頭の何処かが切れているからだろう。
瀕死の状態で縦穴に投げ込まれ、受け身も取れず、落下の衝撃で首が折れたようだ。
気道が捻じれているのか呼吸もままならないが、心音だけは感じる事が出来た。
有難い事に全身の感覚が鈍く、切り落とされた右腕の痛みも弱い。
(百血の騎士かぁ…運がなかったなぁ…)
百血の騎士、それは絶望を意味した。
300年前に魔王を倒し、その権限を人類に取り戻した英雄達。
しかしその実、百人の騎士が権限を独占し、世界を蹂躙するようになった。
毒も攻城兵器も効かず、建物ごと燃やしても笑って生還する、不老不死の存在。
ヤツ等はもう人ではなく、それ故に人を人として扱わなかった。
フィカスは商隊の護衛中、運悪く百血の騎士の一人に遭遇した。
剣では傷も付かず、隙をみて股間を蹴り上げたが、鉄の具足の方がひん曲がった。
その抵抗が面白かったのか、フィカスだけが生かされた。
そして蹂躙され、凌辱された。
フィカスは必至で抵抗した。
平手で耳を叩き、鼓膜を破ろうとした。
親指を突っ込んで、眼球を引きずり出そうとした。
差し込まれた舌を、噛み切ろうとした。
しかし全てが無駄だった。
その度にヤツは嬉しそうに笑った。
『もっと抵抗しろょッ!』
何十回もの無駄を繰り返したフィカスは抵抗を止めた。
そうしたら右手を切り落とされた。
泣き叫び、その声も上げられなくなると、ヤツはフィカスを縦穴に投げ込んだ。
死に際には人生の走馬灯を見る、というので、フィカスは24年の人生を振り返ってみた。
故郷、友達、初恋、上京、挫折、再起、そして冒険。
しかしそれを3度繰り返しても、フィカスは死ななかった。
(…なかなか…死なないものねぇ…)
その時、フィカスは下腹部に違和感を感じた。
これまで鈍かった感覚が少しだけ戻り、それは細い糸のように頭まで繋がった。
〈緊急の救命措置を行います。宜しいですか?〉
誰かの声が聞こえた。それは幻聴ではなく、何度も同じ言葉が繰り返された。
フィカスは声を出そうとしたが、捻じれた気道では何も発する事ができなかった。
誰かはそれを察したのか、言葉を変えてきた。
〈同意ならば瞼を閉じてください。でなければ瞬きを繰り返してください。〉
フィカスは言葉に従い、瞼を閉じた。
途端、下腹部から別の感覚が走り、それは左腕に宿った。
そして左腕が力強くフィカスの顎を掴むと、強引に首を元に戻した。
フィカスはその強烈な痛みで気を失った。
フィカスが目を覚ますと、さっきまでの痛みが嘘の様だった。
左手で確認すると首は正位置に戻り、頭と右腕の出血も止まっていた。
〈気が付きましたか?〉
「…あなた、誰?」
〈私はM■t■■■_Of_W■■■dです。貴女の下にいます。〉
フィカスが座り直して視線を落とすと、そこには頭蓋骨を模した大盾があった。
フィカスはその上に落ちてきたのだ。
〈貴女の体内外に残存するMOW素子…修正、疑似MOW素子により、一部機能が回復。貴女の救命措置を行う事ができました。〉
フィカスは違和感を覚えた。大盾の声が右耳でしか聞こえないのだ。
「…えっと、ありがとう…けどどうして、あなたの声は右耳にしか聞こえないの?」
〈現状、発音機能が破損している為、音波による伝達は不可能です。
よって残存する疑似MOW素子を通じて生殖器内壁より肉体に介入、
鼓膜を直接振動させています。〉
フィカスは内容の半分も理解できなかった。
フィカスが大盾から聞いた話を要約すると、大盾は百血の騎士に滅ぼされた【魔王】の頭蓋だった。
大盾は百血の騎士に力を奪われ、残骸だけが魔王城だった地下に放置された。
そこに投げ込まれたのがフィカスだった。
奇跡的に大盾の上に落ちたフィカスの、その体内外に残った百血の騎士の体液が、
偶然にも大盾に力を取り戻させた。百血の騎士の体液にも、魔王の力が宿っていたのだ。
大盾はその力でフィカスに救命措置を施したが、しかし完全ではなかった。
現在の大盾の力では右腕の断面を塞ぎきれず、今は【悪いもの】が入らないように
防いでいるだけだった。
さらに問題なのが、百血の騎士の体液の力は3日弱しか持たないらしい。
体液の中の何かが弱っていき、徐々に死んでいくのだそうだ。
それを過ぎると大盾は力を失い、【悪いもの】を防ぎきれず、結果的にフィカスも死ぬのだ。
フィカスは大盾を持ち上げた。フィカスの身長ほどもある大盾だったが、短剣ほどの重さもなかった。
大盾の話では、あまり離れるとフィカスの命が危ないらしい。
「余命3日かぁ…」
〈減退速度からの予測では、あと68時間32分です。〉
「その【ジカン】とか【フン】とか判らないけど、少しずつ減ってるのは判るわ…」
周りを見回す。周囲には無数のボロキレが転がっているが、それより先は暗闇で見えなかった。
「ここから出て、ヤツに復讐したいんだけど…」
〈申し訳ありません。私には【人間に危害を加えてはならない】という制限が課せられています。貴女の移動には協力できますが、復讐の補助は不可能です。〉
「それじゃ、ここから出るのに協力して。」
〈わかりました。杆体細胞を活性化、暗順応します。〉
途端、フィカスの視界が鮮明になった。
フィカスが居るのは大きな部屋で、天井には大穴が空いていた。
大穴は5階層程を貫通しており、よじ登って脱出するのは無理そうだった。
周囲にあったボロキレは死体で、まだ女性と判るぐらい新鮮なものもあった。
フィカスは短い祈りの後、使えそうな布地を集めた。
左手と口だけでの作業は難航したが、靴を作り、要所を布で覆い、大盾を背中に固定した。
部屋の出口は3カ所あったが、出られるのは扉が大破している1カ所だけだった。
フィカスは部屋を後にした。
『ぉ~、魔王の助力を得た剣聖女ぉ~、ついに百血の騎士等の討伐にぃ旅立つぅ~
幾千の苦難を乗り越ぇ~、ついに【鉄杭のパイローン】へと辿り着くぅ~… 』
不思議な事にフィカスには、ヤツの居場所が手に取るように判った。
肌で感じるより鋭く、それは確信だった。認めたくなかったが、何かが繋がってるようだった。
しかしヤツは移動を繰り返しており、跡を追えば自然と蹂躙の痕跡に辿り着いた。
焼かれた村、無数の死体、食い散らかされた食料。しかし不思議と凌辱の痕跡はなかった。
フィカスは短い祈りの後、食料の残骸を貪り、左手で扱えそうな短剣を拝借した。
フィカスがヤツを見つけたのは、大盾が【ジカン】と言わなくなった頃だった。
ヤツは粗末な腰布だけで木陰に寝転がり、気持ちよさそうにイビキを掻いていた。
今更ながらに気付いたが、ヤツはフィカスより若く見えた。
銀の短髪、無駄のない肉体、無邪気な寝顔。普通にしてれば好青年だ。
しかしフィカスは躊躇わなかった。
喉元、腹、陰部、顔面へ、左手の短剣を無造作に、渾身の力で何度も振り下ろす。
しかしヤツには傷一つ付かなかった。
「しまったなぁ~、右手、残しとけば良かったなぁ~」
気付けばヤツは薄目で笑っていた。フィカスに反応する訳でもなく、急所を隠す事さえしなかった。
フィカスが距離を置くと、ヤツは気怠そうに上体を起こし欠伸をした。
「いいねぇ~、その眼、【絶対殺す】って眼だぁ~…そんな眼はこの50年、無かったなぁ~」
ヤツがゆっくりと立ち上がり、腰布を外した。ソレはすでに上を向いていた。
フィカスはソレを横薙ぎに切りつけたが、短剣の刃の方が欠けてしまった。
手首を返しヤツの両眼を狙う。当たらなくても飛び退いてくれれば距離が取れる。
しかしヤツは両眼を見開き、自ら当たりにきた。短剣が根元から折れた。
〈残り時間、あと10分です。〉
抑揚のない大盾の声が聞こえた。
「久しぶりにヒヤッとしたぁ~、本当に久しぶりだぁ~」
ヤツはニタニタと笑い、姿勢を低くして構えた。
そう見えた瞬間、フィカスは押し倒されていた。
「滾るぜぇ~、こんなに【生きてる】って感じたのは久しぶりだぁ~」
ヤツがフィカスの右手を掴み、その断面に親指を捻じ込む。
〈固定した切断面が損傷。再固定措置の為、残り時間が減少します。あと5分。〉
(まだだ…声を殺せ…一切の感情を殺すんだ…)
フィカスは歯を食い縛り、痙攣する瞼を押し上げてヤツを睨みつけた。
「その眼、最高だッ!それだよッ!それが欲しいんだッ!!!」
ヤツのソレがフィカスに当たる。
「お前を飼う!飼い殺してやる!!壊れるまで飼ってやる!!!」
ソレがフィカスに割り入った。
「…捕まえたッ!!」
瞬時にフィカスの頬が歪む。その原因は苦痛ではなく歓喜だった。
同時にフィカスの両足がヤツの腰を抱き込む。
〈生殖器内壁よりMOW素子に接触。回収します。〉
途端、ヤツの体内からフィカスの体内へと何かが吸い出された。
「なッ!離せ!離せぇぇぇぇェェェッ!!!」
ヤツの両腕がフィカスの両足を剝がそうとした。顔面を殴り、眼球を引きずり出そうとした。
しかし全てが無駄だった。
数瞬の後、フィカスはヤツを解放した。
どちらも外見に変化はない。しかしその空気には大きな違いがあった。
「な、何だ?…指が、指が変な方にぃ…」
ヤツは殴打の際に折れ曲がった両手の指を、不思議そうに眺めていた。
この300年感じた事の無い、肉体の破損という痛覚が理解できなかったのだ。
〈少量のMOW素子を回収。機能の一部が回復。右腕の修復を開始します。〉
フィカスが右腕に温かみを感じると、その断面が少しずつ盛り上がってきた。
〈修復速度からの予測では、完了まであと2時間48分です。〉
フィカスは自分の死が遠退いた事を知り、次の行動を起こした。
辺りを見回し、適当な獲物を探す。短剣は折れているので使えない。
近くの草むらから頭を出している石を見つけ、それを左手で持ち上げてみる。
それは人の頭より大きかったが、スカスカのパン程の重さも感じなかった。
フィカスはヤツの前まで移動すると、その石をヤツの頭に打ち込もうとした。
〈人間への攻撃行動を確認。各種補助と修復を停止します。〉
途端、石の重さが正常に戻り、フィカスはそれを支えられずに落としてしまった。
それと同時に右腕に激痛が走り、思わずその場に跪いてしまう。
「…ッ、どうしても殺させてくれないんだ…」
〈すみません。貴女の行動を制限しませんが、攻撃行動には協力できません。〉
フィカスの視線の隅で蠢き、悲鳴にならない悲鳴が聞こえた。
視線を上げると、落とした石が当たったのか、ヤツは脛を抱えて失禁していた。
フィカスは何かが冷めたのを感じた。
痛い思いをしてまで殺すのは、割に合わない。
「…わかった、殺さないから…腕を治してよ。」
〈わかりました。各種補助と修復を再開します。〉
フィカスは立ち上がり、とりあえず焼かれた村を目指した。
ヤツの事など、もう路傍の石程の興味もなかった。
焼かれた村に到着する頃には、フィカスの右腕は完全に修復されていた。
フィカスは短い祈りの後、燃えてない民家から服装を拝借し、身支度を整え、シーツで大盾を隠した。
「これからどうしようかなぁ…故郷にでも帰ろうかな…」
〈貴女にお願いがあります。略奪されたMOW素子の回収に協力してください。〉
フィカスは頭を悩ませた。他の百血の騎士の位置が、何となく判るのだ。
それはヤツ程の確信ではないのだが、大まかな方向と距離が判ってしまうのだ。
しかしそれが判るからといって、協力できる訳ではない。
「それって百血の騎士を倒せって事!?殺しちゃ駄目なんでしょ!?」
〈対象の防御を上回ると推測される攻撃行動には協力できません。しかし自衛行動には協力します。〉
フィカスは大盾を元の場所に戻そうかと考えた。身支度を整える前に井戸水で身体を洗ったのだが、村の端と端ぐらい離れてもフィカスの命に問題はなかった。大盾を手放す事自体、可能だと思えた。
しかし再び百血の騎士と相見えた場合、逃げるのに協力してくれるのは本当に有難いとも思えた。
(うまく使えれば、故郷のみんなを守る事が出来るんじゃないかな…)
走馬灯のおかげで故郷の友達の顔が頭を過る。それを振り解く事は出来なかった。
フィカスは確かめるように大盾に聞いた。
「…こっちから積極的に探しに行かない…やってみて駄目だったら逃げる…それでもいい?」
〈構いません。私も、貴女を危険に晒すような危険行動は指示出来ません。〉
「…それだったらいいかな?とりあえず故郷に帰っていい?」
〈問題ありません。回復した機能の範囲で補助します。〉
『こぉして~、正々堂々とパイローンを打ち倒しぃ~、悪を挫いた剣聖女ぉ~、
その瞳はぁ~、懐かしき故郷へとぉ~、想いを馳せるぅぅぅ~
その先にぃ~、試練が待ち受けるともぉ~、知る由もなくぅ~ 』
吟遊詩人がリュートを掻き鳴らすと、観客に一礼した。
同時にケースの中身を見て、増えた銀貨に満足した。
「では皆様、今宵は有難う御座いました。次回は第二幕【剛腕のハンライト】となります。」
吟遊詩人は静かにケースを閉じると、疎らな拍手の中、酒場を後にした。
〈申し訳ありません。まだ貴女の名前を確認していませんでした。良ければお教えください。〉
「わたし?私の名前はフィカスよ?」
〈フィカス…Fi■■s…無花果を指す単語です。花言葉は【平安】【実りある愛】、女性名に最適です。〉
「そうなんだ…って、【平安】って何?」
〈【平安】とは、無事で穏やかである事です。〉
「そっか、無事で穏やかっていいね!」
フィカスは背負った荷物が軽くなったように感じ、青空を仰ぎ見て微笑んだ。
そんな彼女の前には険しくも、しっかりとした道が続いていた。




