第二章
碧は壮絶な人生を歩んできたわけではない。壮絶な人生が障害者を作るというのは、健常者のありがちな偏見である。裕福な人生からも貧相な人生からも、それは時も場合も選ばず、産まれるときは産まれるものである。偏見に頼るしかない思考の貧困層は、総じて自分がこういう惨事の当事者になることを恐れて、虚しい悲鳴を上げているに過ぎない。
とはいえ、碧の人生が壮絶ではないにしろ、何かしら彼が今に至るその理由を求めなければ、人間というものは納得できないものである。人間はみな、他人の粗探しが大好きだ。
大変勤労者で洒脱さとは無縁な医者夫婦の間に、碧は産まれた。碧は雪の降る真夜中に白い産声を上げた。夫婦は二年前に流産した女の子に付けるはずだった名前を、そのまま碧に与えた。
二人は開業医ではなかったから、碧は幼い頃から大病院近くのマンションに住む所謂かぎっ子だった。碧が幼い頃、彼の面倒を見ていたのは主に父方の祖父母である。碧は一日において両親といるより祖父母といる時間の方が長く、言葉を失うような加齢臭と無抑揚な方言と奇妙な溺愛に囲まれて育った。
碧は多忙な両親から、一度だって誕生日をちゃんと祝ってもらったことがなかったし、一度だって父親と一緒に風呂に入ったこともなければ、一度だって母親の手料理を食べたこともない。
が、それでも碧の両親は立派に子供想いだったので、家庭を顧みなかった代わりに、碧が将来良い大学にちゃんと通うために、碧の高校卒業時点で彼名義の預金口座に二千万円余りを蓄えたので、碧は学生時代から今に至るまで、経済的に困ることなく済んだ。
碧は保育園の待機室の四隅を周り将棋のように一日ごとに移動しながら、親が迎えに来るまで空想科学や少女漫画にうつつを抜かした。碧は同じ小学校に友人がいないから、誰も通っていない隣町のスイミングスクールに毎日バスで通った。碧は中学校で陸上競技を始めたが、高校二年の夏に無理をして左脚のハムストリングスを酷く肉離れして辞めた。
ここまで碧の人生について、敢えて順序立てて列挙してみたは良いものの、しかしそのどれを取ってみても、別に普通の人間の、ありきたりな人生の類例に過ぎない。
世間にはびこる勉強しか能のない人間の典型で、関東のそこそこの国立大学を卒業したのち、精神障害の弊害で家の中に一日中閉じこもり、人目を避けて避け続け、半ば無為徒食な人生を送っている様子だけ見れば、碧はせいぜい田園暮らしの没落貴族のような韜晦に甘んじているとでも謂えるくらいである。
大学の物理学科を卒業してもうすぐ一年が経とうというのに仕事が見つからないままにもかかわらず、怠惰な人間がよくやるように、碧は自分の過去に固執しているばかりで、現在と未来を失念していた。気付けばもう年も暮れである。最近碧は朝から晩まで頭がぼうっとして、元気が湧いてくる気配がない。
大学までに得られた数少ない有益な知識があるとしたら、それらは主に、碧の趣味の小説の解説やら注釈にばかり役立って、寧ろ最も重要な、彼の生活には決して役立たなかった。人間の知識が生活を直視しその役に立つことは、寧ろ生活の方が知識に寄り添おうとしない限り有り得ないことである。大抵の知識は生活に根差さないし役立たない。
とはいえ、些細な好奇心を働かせて、碧の小説の病的な精読癖が彼の精神障害の一助になったのかもしれないなどと邪推してみるのも、なおさらお門違いである。
もし真の小説が、崇高かつ邪悪な主人公を必要とするならば、碧は極めてその素質には乏しいと言わざるを得ないのだから。
碧は生まれながら成り上がる必要のない中級国民の常として、別に社会に反旗を翻すような信念も野心も持ち合わせなかったので、つまり崇高さも邪悪さも、彼の畏怖的な美貌の齎し得る野蛮な可能性さえ除けば、顕著に欠けていたのである。
令和四年の、碧が大学四年生のとき、過酷な実験研究を課す研究室との因縁を金輪際断ちたくて、研究室縁故企業から届いた就職求人を全て蹴った。
学内でも碧の研究室は、毎年優秀な研究者が出る一方、一定数廃人を出すことで有名で、碧の同僚でドイツ人留学生のカールは、ある夏の日のむせかえる研究室に冒されて、マックス・プランクの熱力学第二法則に関する論文のドイツ語が読めなくなって入院した。
そして碧も、そんな強迫的な環境で奴隷のように卒業研究に血を流しながら、かたや大中小二十社ほどから不採用通知を貰ったあたりで、遂に異常をきたしたのである。
碧は徹夜で泊りがけの缶詰だった研究室から、二週間ぶりに自宅のアパートに帰った。
恰も灼熱の真夏のことである。あの蝉の頭痛のような騒がしさが陽炎の向こうで反響しているのが、このときほど恋しいと思えたことはない。碧は心地よい熱にうなされながら四日ぶりに死んだように眠りについた。
二日後に碧が再び意識を取り戻したのは、救急車に緊急搬送されている最中のことである。碧は大学病院の診断を仰いだ。すぐに碧の入院が決まった。
碧の入院生活は二週間に及んだ。この久闊の平穏な生活のあいだ、客足が足繁しいでもなく、無論見舞の品が病床に並ぶことなどもない。入院二日目にして研究室の教授から、退院後すぐセミナーの発表があるから、三日前にはプレゼンの中身を寄越せと連絡が来たくらいである。地元の両親には、碧から連絡しなかったので、当然なんの音沙汰もない。
アルコール消毒液の死の匂いのする病室で過ごす一昼一夜は、真夏にも関わらず、ベッドに縛りつけられた碧の亜麻色の病院着に、水揚げされた魚のようにべったり冷や汗をにじませた。
退院後、改めて大学病院の専門医が、碧に大学保健棟のメンタルケア医を紹介し、定期面談が始まったのが、同年九月の頭である。碧は正式に精神障害を診断された。