7、前兆
「……私は駄目だ。この塔からは出られない」
「どうして……」
ロンがそう言いかけた時、最初にギイルに止められていたことを思い出した。それは、前王には質問するなという事だった。
「ごめんなさい……」
「良い……だが、答えられはしない。私は私の記憶を消し去ったのだから」
「え……?」
「うむ……少し頭が痛い。戻って少し寝る。おまえはしばらくここにいて構わない」
そう言うと、前王はギイルとともに、塔へと入っていった。
心配と不安にさいなまれながらも、ロンは庭に咲いている小さな花を摘み、花冠を作った。
「ロン」
しばらくして、ギイルがやってきた。
「ギイル……前王様は?」
「休まれたよ。でも、僕の忠告を無視したね。そんなに症状が重くなかったからよかったものの……」
「ごめんなさい……でもどうして? 前王様は自分の記憶を自分で消したって言っていたわ。それに、どうしてこの塔からは出られないの? 誰かが閉じ込めたの?」
「そこまでだ。大声を出すと父上に聞こえる」
そこに現れたのは、サーであった。
「王様。どうして……」
「父が発作を起こしたと聞いて、様子を見にな」
「発作?」
「あまり父のことには触れないでくれ。ギイルに尋ねても、父のことは私と一部の家臣しか知らないしな」
「ごめんなさい。私……」
ロンは身をすくめ、自分の愚かさを悔いた。
「今日は症状が軽かったからいい。だが今後は触れないでくれ。時々あのような発作が起こる。頭が痛くなって、胸が苦しくなるらしい」
「はい……」
「……花冠か。懐かしいな」
サーが、ロンの手から花冠を取った。
「……父はおまえのことを、娘か孫のように思っているようだ。だから聞けばなんでも答えるかもしれない。だが、父自身のことは決して触れないように。これは警告だ。わかったな」
「はい……」
サーはそれだけを言うと、塔へと入っていった。
「……僕らも戻ろう。ロンは仕事に戻りなさい」
「ええ……ギイル、ごめんなさい。私、これからは気をつけるわ」
「ああ」
「これ、前王様のお部屋に飾ってくれるかしら?」
「前王様が起きられたら聞いておくよ」
「ええ。じゃあ、またね」
「ああ」
ロンは使用人棟へと戻っていった。
次の日。ロンはパイを持って、使用人の庭を訪れた。
「ロン。俺たちにパイの差し入れかい?」
男たちが尋ねる。
「ううん。パイは前王様に焼いたの。昨日、私のせいで発作を起こさせちゃったから……ギイルは?」
「やつはまだ仕事中だよ。前王様の塔にはいるはずだ。しかしそうか……前王様じゃあ仕方がないな。でも前王様はきっとロンを許してくださるよ」
「だといいけれど、苦しい思いをさせてしまったから……」
「大丈夫だって。小さな発作だったんだろう? 誰にでも間違いはある。これから気をつければいいさ」
「うん……あ、みんなにはこれを焼いたの」
ロンはそう言って、袋を差し出す。
「本当かい? クッキーだね」
「ええ。これならたくさん食べられると思って。みんなで食べて」
「ありがとう。おやつの時間にいただくよ」
「うん。じゃあ私、行かないと。パイを焼いてて時間がなくなっちゃって……」
「そうか。早く行っておいで」
「じゃあね、みんな」
ロンはパイを持ったまま、塔へと向かっていった。
ロンが塔へ行くと、ギイルは前王の食器を片付けていた。
「ギイル。前王様は……?」
「今、水浴びをなさっている。すぐに戻るよ」
「そう。あのね、パイを焼いたんだけど、前王様、食べてくれるかしら……食毒検査は受けてあるわ。ほら、マーク」
そう言って、ロンはパイに焼かれた検印を指差す。
「ああ。前王様は甘いものもお好きだし、きっと食べてくださるよ。それに水浴び後にはちょうどいい。じゃあ、パイを切る準備をしておこう」
「うん」
そこに、前王がやってきた。
「おお、ロンか」
「こんにちは。あの、昨日は……」
「昨日のことは気にしないでいい」
「……あの。今日はお詫びを兼ねてパイを焼いてきました。よかったら食べてください」
「それはいい。では早速切ってくれ。一緒に食べよう」
「はい」
いつもと変わらぬ様子の前王に、ロンは少し安心した。そして前王に進められるまま、窓辺の椅子に座る。
「ロン。毎日どうだ? 楽しいか」
「はい。仲間も出来て、みんな優しくて楽しいです」
「それはよかったな。そうだ、昨日は花冠をありがとう。飾らせてもらったよ」
部屋の窓辺には、昨日ロンが作った花冠が飾ってある。
「よかった。私、何のとりえもないから……」
「そんなことはないだろう」
「いえ、本当です……でも、これからたくさん覚えます」
「覚える?」
「今はギイルやみんなに読み書きを教えてもらっているし、調理場のみんなからはお料理を、掃除の仲間には床をピカピカにするコツを。私、これだけ楽しい毎日を送れるのは、生まれて初めてです。前王様、私を雇ってくださって、本当にありがとうございます」
深々と頭を下げ、ロンが言った。その顔は笑顔で輝いている。
前王に向かって恐れを知らない少女を前に、前王は静かに微笑んだ。
「……おまえは不思議な子だな。なぜそうも自然に、素直に私の心に入ってくるのか。おまえといると心が和む……」
「ありがとうございます……」
ロンもそう言われたことが、素直に嬉しかった。
数日後。サーは妻のアクネとともに、広い城の庭を馬で散歩していた。
「あなた。少し競争しませんか」
アクネはそう言って、馬で駆け出す。
「おまえも男勝りだな。よし、いくぞ」
サーはアクネを追いかけていく。
「アクネ。あんまり深くは行くなよ」
「じゃあこっちよ」
「そっちは使用人棟だぞ」
「同じ城内だもの。いいじゃありませんか」
その時、男たちの笑い声が聞こえた。
「何かしら」
ふと、アクネが馬を止める。それに続いてサーも止まった。
「使用人たちだろう。関わることはない」
「でも気になりませんか? あんなに大きな笑い声……少し覗くだけ」
そう言うと、二人は声のする方へと駆けていった。
すると、庭では男たちがロンに剣術を教えている。
「アッハッハ。違うよ、ロン。そんな構えはないって。まず手が逆だよ」
「え、手が? そっか、持ちにくいと思った」
変に構えていたロンが、剣を握る手を持ち替える。
「まったく。ロンは身軽だけど、基礎的なものは何も知らないんだな」
「そんなことないわ。次は?」
「これが構え。後は軽く動いて、相手の動きを見る」
「王様……」
その時、ロンが気付いて、男たちがすぐにお辞儀をした。それにつられてロンも頭を下げる。
「国王陛下ならびにお妃様。このようなところにお越しいただきまして……」
男の一人の言葉に、サーは首を振る。
「偶然だ。楽しげな声が聞こえたものだから……ロンは女なのに剣術の勉強か? 男勝りだな」
「これからは女でも、剣術くらいは習わないといけないと思います。自分の身は自分で守らないと」
サーの言葉に、ロンが答えた。
「こ、こら、ロン! 王様に口答えするんじゃない!」
慌てて男たちがそう言った。
しかし、サーは動じること無く微笑む。
「いい心かけだ。そういう女性も増えたらいいな。では、頑張りたまえ」
そう言うと、サーはアクネとともに去っていった。
「ロン。おまえ、いい度胸してるな」
「だって本当に思ったんだもの……女だから剣も出来ないなんて、思われたくないわ」
反省しながらも、ロンが答える。
「本当に思ったからって、一歩間違えればクビになるよ。最悪、打ち首で処刑なんてことも……」
「そうね……みんなにいろいろ教えてもらってるのに、私ったら進歩ないんだわ」
「そんなことはないけど……でも久々にお目にかかれたな。お妃様も」
「えっ、あの方がお妃様?」
「そうだよ、アクネ様だ。知らなかったのかい?」
「ええ、凄く綺麗な方。王様とお似合いだったな……」
「ああ。あのお二人は親戚同士で、小さい頃から婚約していたんだよ。本当に仲睦まじくてね」
「へえ……」